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第40話 血巡

「はあ…はあ…はあっ!」


貞暁は四つん這いでその場に倒れ込んだ。

体中のありとあらゆる血が今にも噴き出しそうに脈打っている。


やはり、立て続けに鬼力をこめた血を流し込むのは疲れる。

これが普段の日なら、きっとよく眠れそうだ…で済まされるんだがな。


「痒っ!」


人差し指を自身の親指で掻く義宗に殺意すら湧いてくる。


俺はこんなに疲れてるのに何で、お前はちょっと蚊に噛まれたみたいな感じなんだ?

流した血の量も俺の方が多いのも気にくわない。


世の中ってなぜ、こんなにも理不尽なんだ!

俺はただ、悟りを開きたいだけなのに!


心の中だけで喚く中、顔を上げた。通具様の発疹は先ほどよりは収まってきてはいるが、すべてが取り除かれたわけではない。


定家様と違って、症状が重いしな。


「現状、緩和させるだけが精いっぱいのようです」


はあ、泣きてぇ!


「よく頑張ってくださいましたわ。通具様だって分かってくださいます」


こういう時の慰めは逆に胸をえぐってくる場合もあるんですよ。因子様…。


「だと、良いのですが…。一体どういうことなのか分かりかねます。同じ寝殿にいるというのに、定家様と通具様とでは症状にこれほどの差があるのですから」


最近、疱瘡が流行しているという話と関係があるのか?


「うううっ!はあっ!」


うわごとのように発する通具様の唸り声に顔を上げた。


「お気をしっかり!」


思わずの細長い通具様の手を握りしめた。


冷たっ!


「因子様、布団はまだありますか?」

「はい!ただいま」


滑るように渡殿を走り抜けていく因子様。


「おじさんは火桶ひおけを!体を冷やしてしまうと治る物もなおらない」

「おうっ!姫さん、火桶どこだ」

「ああ、それなら…」


二人とも屋敷中を行ったり来たり、慌ただしく走り抜けていく。


俺も何か手伝おう。

そう思い、立ち上がろうとした瞬間、強く手を握り返され、押し戻された。


「通具様?」


焦点が合わない虚ろな瞳を彷徨わせる彼の顔を覗き込んだ。


「はあ…。はあ…」

「大丈夫です。私がついてますから」


再び、立ち昇ろうとする瘴気に開いていた方の指でぬぐい、祓っていく。

そして、祈るように額に手を置き、微笑んだ。


「お休みください。ここは安全でありますから」


まるで赤子のように通具様は再び、深い眠りの底へと落ちていく。

しばらくは起きないだろう。


「次に目覚める時は晴れやかであればよいのですが…」

「布団を持ってきましたわ」

「では、定家様と通具様に…」


――ドスっ!

――ドスン!


大きな足音を立てて、戻ってきた義宗の腕にはこれまた、大きな火桶を抱えていた。


「さあ、やるか!」


三人は顔を見合わせた。音は無くなり、静まり返る。その刻は一瞬…。


「炭!」


弾かれたように因子様は再び、姿を消した。

だが、一瞬で戻ってくる。その両手に沢山の炭を抱えて…。


病は気からという。

この場が温かくなれば、瘴気が極端に大きくなることはないだろう。

鬼脂の影響がどの程度あるかにもよるがな。


なんだか、さらに疲れがこみあげてきた。

顔には出されていないが、因子様も同じであろう。


「ここは我々が見ておりますから、どうか寝殿でお休みください」

「とんでもございません。貞暁様が親身をとして、ご尽力していただいているのに、休んでなどおられません」


だが、微量ではあるが、彼女の周りにも瘴気が漂っている。

霊力の目覚めがあったとはいえ、小さなものだ。

心身の疲労の方が勝っているのだ。


「何より、お父上様が動けぬ今、この屋敷の主は私でございます」


そんな謎の覚悟を見せられたら何も言えなくなる。

なら、せめて、瘴気だけでも祓って差し上げよう。

因子様の髪に触れ、禍々しい色の気を拭った。


「もう、お人が悪いんですから」


頬を染めて裾で顔を隠す彼女の様子に不安がよぎった。


やはり、具合がお悪いのか?


だが、目視したところ、因子様の霊力がなぜか上がっており、瘴気の気配は感じない。


なら、別の問題が?


しかしなあ…。


「本当に大丈夫でございますか?」

「ええ~。ご心配なさらないでください」

「さすがに姫さんに同情するぜ。一目ぼれってるのにな」


なんだ?

聞きなれない言葉が流れたような?


因子様は檜扇で顔を隠したまま、義宗の肩を後ろに押した。


「いってっ!何すんだよ」

「貴方が余計な事をおっしゃるからでしょ!」


貞暁は呆れたように額をおさえた。


「そうですよ。このようなときに」

「武丸様には言われたくねえと思うぞ」


それはこっちの台詞だ。

義宗にだけは”何も分かってねえな”みたいな態度はとられたくない。

何より、この男は本当になぜ、そんなに元気なんだよ。

体力は悪鬼なみかよ。


「うう…」


義宗に謎の嫉妬を覚える中、定家様の小さな声がかすかに漏れた。


「お父上様!」


表情が明るくなる因子様の瞳に映るのは唸る父親の顔。


「定家様!」


まさか、俺の治療は効果がなかったのか!


「良い歌が…歌が…出てこない」


貞暁の心配をよそに突然、目を見開いた定家様の声から発せられたのは、和歌に関する愚痴であった。


さすが、都一の歌人。

凡人とは考えが違う。


「貞暁様の手を煩わせておいて、その発言は信じられません!」


因子様は呆れたように定家様の腹の上に布団を投げ飛ばした。


「うわっ!何をする。それが、姫のする事か。少しは成長したかと思ったが、やはり、まだ子供とは…」

「今はそのような戯言を言っている場合ではありません。あれをご覧になってください」

「うん?」


状況が飲み込めない定家様だが、眠る通具の顔を見て、表情が曇った。


「何があった?」

「疱瘡ですわ」


因子様、もう少し言い方ってものが…。


「疱瘡だと!」


思わず、飛び起きた定家様は柱にしがみついた。


「おっ…恐ろしやぁ~!くわばらくわばら…」


怯えているのは分かるんですが…。


さっきまであの世の門を開いたとまでは言わないが寝込んでいた人間の行動とは思えねぇ!

この人も体力、悪鬼なみか?


そして、義宗!

お前は火桶を独占するな!


貞暁はまるで猫のように丸まっている落武者への苦言を喉の奥へと押し込めたのであった。

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