「私の死は近いのかのぉ~。もしもの時は貞暁殿が見送ってくだされ」
「お恥ずかしい限りですわ」
終始、怯える定家様に呆れたのか因子様は大きなため息とともに檜扇で顔を隠した。
「ご心配なさらずとも、お父上様は貞暁様のおかげで疱瘡の脅威から逃れましゆえ。通具様は日頃の行いが悪いのかあの通りですが…」
良い夢でも見ているのか通具様は笑みを浮かべている。
「そうか。いや、助かったぞ。だが、疱瘡とはなぁ」
柱から両手を放した定家様だが、通具様と距離を取るように布団を被り、隅へと足を滑らせていく。
いくらなんでも、それは通具様が可哀そうすぎやしないか?
「厳密に言えば、違うようでございます。どこかで瘴気にあてられたご様子。定家様も同じでしたが、症状が軽く幸いしたしました」
貞暁は正座をして、定家に向き直った。
「そういう事か…。この馬鹿。私に一体何を飲ませたんだ!」
「落ち着けって!」
通具様に掴みかかる勢いの定家様の両脇を義宗は後ろから抱え、思いとどまらせる。
怯えたり、怒ったり、忙しい方だな。
「このような事態に陥った理由に心当たりがおありで?」
「通具が持ってきた珍薬を飲んだのだ」
「珍薬でございますか?」
「内裏で流行っている妙奇薬とかいう媚薬だな」
公家ってその手の物好きだよな。
「媚薬!まあ、お父上様、どこぞに新しい女性でもおられるので?」
「いないよ。父の事より私はお前の方が心配だ。浮いた話もなく…」
「また、そのお話ですか?私は一生独り身でもよいと思っておりますの。それこそ、叔母上のように女流歌人として…」
「因子!その歳でなんと寂しい事を…。叔母上だって夫は持ったのだ。別れはしたがな」
「でも、そのお相手がこれでは…」
「それは言うてやるな」
親子喧嘩するのかと思ったら、共感し合うのかよ。
しかも、息をするように通具様を貶すしさあ…。
まあ、この調子なら、定家様はもう大丈夫だな。
「ところで妙奇薬と申しましたか?」
「ああ、まだ余っているはずだ。通具の持ち物は?」
「探してみましょう。失礼いたします」
意識のない通具に小さく頭を下げ、直衣をあさった。
「奇妙な印が書かれた袋に入れられていたぞ」
「印でございますか?」
定家様の返答に言葉を返す中、通具様の直衣から小さな袋が飛び出してくる。
五芒星か。
魔問屋といい、今日はこの印にも縁があるようだ。
貞暁は慎重に小袋を開いた。
すると、数粒の薬玉が揺れる。
「これを飲まれたので?」
「ああ、私は一粒だけだがな。なんでも、ホカリイカリソウを使っているとか」
呑気な事だな。
確かに複数の薬草が使われている可能性はある。
この気配なら使用されている鬼脂も微量そうではあるが…。
しかし、住蘭の鬼力は確かに感じる。
おぞましい…。
こんな代物を口から摂取するなど、考えただけで吐き気がする。
これの正体を定家様に告げたら、発狂しそうだな。
よし、詳細は隠そう。
思わず袋を握りしめる中、妙奇薬が小刻みに動き始めた。
冗談だろ!俺の鬼力に反応して、妙奇薬が振動している!
このままでは悪鬼を呼び寄せかねない。
貞暁は大慌てで庭に降り立ち、妙鬼薬を袋のまま、地面にたたきつけた。
――カッ!
空気を斬るように鬼言がそれらを包み込む。
その瞬間、炎が舞い上がり、妙奇薬なる薬玉の姿はない。
砂地に浮かび上がるのは焼けた跡のみ。
よし。鬼脂の気配はないな。
俺の鬼言で消し去れたか。
頭がぐらつき、思わず目を閉じた。
今日は本当に使いすぎたな。
せり上がる何かを抑え込むように胸をさする。
「それほど、危険なものだったので?」
「ええ。とても。話によれば、内裏で出回っているとか?」
定家様は頭を抱えた。
「ああ、通具の話によればな」
「であるならば、公家の間で流行っているという疱瘡の原因も妙奇薬の可能性が高くなってまいりました」
「なんと!」
「そうなると、さらに被害は増えるやもしれませぬ。早急に対処しなければ…」
だが、妙奇薬を回収できたとしてもすでにかなりの人数が摂取しているはず。
「さらに厄介なのは治療法が今のところ無い事でございます。普通の疱瘡ではございませんゆえ」
「だが、私はこの通り、元気だが?」
「定家様は一粒だけでしたのでしょう?それに日頃から私が瘴気を浄化している。今回、症状が比較的早く出たのはある意味で瘴気への耐性が低かったからかと存じます」
「つまり、貞暁殿のおかげというわけだな」
なんで、嬉しそうなんだよ。この人。
「通具様の症状は少しばかり抑えられましたが、応急処置にしかなりません」
「先ほども言ったが、この男に関しては自業自得だ。貞暁殿が気に病む必要はないですぞ」
どうして、定家様と因子様は通具様に対して、かなり辛口なんだ?
親戚ゆえにあたりが強いだけか?
それにしても、妙奇薬か。
おそらく、作っているのは鳥辺山で死体を掘り起こしていた者と同じだろう。
一体、何を企んでいるんだ?
全く、平和には程遠い。
「武丸様!」
突然、刀を持った義宗が庇うように立ちはだかった。
「どうした?」
「刺客だ!」
「はあ?」
周囲を見渡す義宗。
その背中には殺意が宿っている。
本当に戦が好きなんだな。
「武丸様、俺の後ろに」
違うな。俺を死なせたくないのか。
奴の野望のために…。
だが、それは本当に義宗の想いなのか?
それを問いただすのは今ではないのだろう。
確かに屋敷の入口の方で足音が聞こえてくるのだから。
それも複数人だ。
ああ、平和どころか平穏も数日しか持たなかったか。
貞暁は密かに肩を落としたのであった。