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第43話 年長者の申し出

「若君様」


誰だよ。それ!


思わず喉からついて出そうになる叫びを押しとどめた。

目の前の麗しい青年はまるで親しい友との再会を喜ぶように微笑んでいる。


えっと…この男と面識ないはずだよな?

なんだか、不気味だ。


けして、視線をそらさない武士に得体のしれない不安感がよぎるのはきっと陶器のように美しい故に心が読めないせいだろう。年齢は俺と変わらない気もするが、案外上のような予感もする。年齢不詳な所もなぜだか底知れない恐怖を植え付けてくるのだ。


武士といってもいろいろなんだな。

いや、ただ単に俺が小心者なだけか?

そもそも、単純な考えで動いていそうな義宗と比べることが間違っている。


「和田胤長様で?」

「様はつけなくて結構ですよ。若君様」

「私もただの僧。若君というのはすぎた呼び名でございます。胤長殿」

「では、貞暁様」

「私に用があるとか?逃げ隠れするつもりはありません。どこへでも連れていかれるとよろしいかと…」


胤長殿は愉快そうに大笑いした。


「取って食おうなどとは致しませぬよ。貞暁様は面白い方だ」


面白い要素、何もないだろ!


この瞬間にも嫌な汗が吹き出しまくっている。

ああ、俺この法衣しか持ってないのに。

帰ってくる頃にはびしょぬれじゃねえかな。

命があればの話だが…。


「胤長様、立ち話をしている暇はありませぬ」


取り囲む数人の在京御家人の中から進み出た男は胤長殿に深々と頭を下げた。

体の大きな義宗と同格の筋肉と目の鋭さに思わず肩が強張っていく。


「おっと、それもそうだな。だが、孝道、貞暁様の前で失礼だぞ」

「これは配慮が足りませぬなんだ」


孝道と呼ばれた男はこちらに目も向けずに後ろに下がっていく。


「彼は?」

横山孝道よこやまのりみちと申す者でございます」


横山?

その響きどこかで…。


「もしや、頼家よりいえ様の誕生の祝いとして父上に御護刀おまもりかたなを献上したという有力御家人の横山時兼よこやまときかね様と繋がりのある方で?」

「さすがは貞暁様でございます。そのような古い話も知っておられるとは…」


俺の誕生の時は何もなかったと母上が散々、ぼやいていたから印象に残っているだけだ。

大体、嫡男の頼家様と側室の子である俺とでは扱いが変わるのは当然である。

そう言えば、あの時はおじい様も憤慨されていたな。


もしや、あのじじいっ!


あの頃から幕府に弓引く算段を立ててたんじゃないだろうな!


「あれは時兼様とは血の繋がりはありませぬが、一族の者でございます」

「では、和田家とも親しいのでしょうね」


和田義盛の奥方は確か横山家の出だったはず。

全く、鎌倉に帰りたくないと言ってるわりに情報だけは京にいても入ってくるんだよな。


「ええ、公私ともに親しくさせていただいておりますよ。ですから、私からも彼の無礼を謝罪いたします。何分、田舎者ゆえ…」

「それは私を含め、ここにいるものすべてに当てはまるのでは?」


俺、何を言ってるんだよ。

わざわざ、喧嘩売るような真似をする必要はないだろうに!


「貞暁様のおっしゃる通りでございます。それでは、そろそろ、移動いたしましょう。孝道の言う通り、京都守護様を待たせるわけにはいきませぬから」


彼に促され、用意された牛車に足をかけた。

すぐそばで待機している孝道殿は俺ではなく胤長殿の行動に注視しているように思える。立場的には和田家も横山家も同じであろうが、二人の関係はまるで、主と家人のようだ。


まあ、ただの印象でしかない。

本当の所は分からないか。

そもそも、俺が今、考えるべきは生きて帰る事だけであるのだから。


頼むから、牛車に乗り込んだ瞬間、グサッ!だけはやめて欲しい。


そう祈りつつ、屋形に手をかけた瞬間、見知った声が耳をかすめていった。


「私も一緒に参りましょう」


姿を現したのは定家様であった。


「動かれて平気なのですか?今日一日ぐらいは安静に…」

「貞暁殿の祈祷のおかげで、この通り、腕も上がりますぞ」


祈祷じゃないんですけどね。

しかも、腕が上がるからって元気とは限らないのでは?


「武士の方々、構いませぬな」

「困りましたな。京都守護様がお会いしたがっておられるのは貞暁様だけゆえ」


胤長殿は表情を変えずに定家様を見上げた。


定家様、意外と身長あるんだな。


場にそぐわぬ感想が心の中でついて出た。


「貞暁殿は私の客人。このような夜更けに連れ出されるのも心外であるのにさらに公卿である藤原定家を無下にする。幕府とはそれほどまでに野蛮な集団であるのか?」

「とんでもございません。では、どうぞ…」


胤長殿は深々と頭を下げ、身を引いた。


「ほほほっ!さあ、参りましょう」


檜扇を開いた定家は空いている手で貞暁の肩を掴んだ。


思いのほか、強い!


「ちょっと、押さないでください。入りますから」


定家と一緒に牛車に詰め込まれた貞暁は困惑で口が開いていく。


そのおかげなのか、汗は引いていったが…。


「定家様。何を考えておられるのですか!自ら、厄介ごとに巻き込まれるとは」

「任せてくだされ。いざとなったら、逃げます故」


逃げる気なら、最初から付いてくるなよ。

この人、天然なのか…ただの馬鹿なのか分からなくなってきたよ。


俺の周りって変人ばっかりかよ!

まだ、京都守護様にすら面会していないのに疲れが滝のように押し寄せてくる。


思わず、上半身を前に倒し、泣いたふりをした。

すると、背中に温かさが広がっていく。


「貴方様はすべてを背負い込みすぎなのですよ。まだ、お若いのですから、たまには年長者の手を借りるのも悪くはないはずですぞ」


定家様に優しくさすられているのに気づき、何も言えなくなった。

今、その優しさはかなり胸に来るものがある。


勘弁してくれよ。本当に泣きたくなってくるじゃないか。

湧き上がる感情を押し殺そうと法衣で濡れた瞳を拭った。


緩やかな時間が流れる中、牛車は複数の馬に囲まれながら、夜の道を進んでいくのであった。

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