目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第10話

「父上、母上が困っているではありませんか。」


 ――来た。監視役、二号。

 アレクシス、堂々の登場。

 まさか、扉の向こうから様子を覗いていたとはね。一体いつから……?!


 慌ててそちらに目を向けると、小さな影がスッと部屋に入ってきた。

 その瞳はまるで大人顔負けの冷静さを帯びていて……しかも、どこか鋭い。


 淡い光が射し込むこの部屋で、アレクシスは静かに私を見上げたまま言う。

「母上は……過呼吸になるほど、父上が心配だったのですが?」


 ビシリと指摘された瞬間、部屋の空気が凍ったようにぴたりと動きを止める。


「母上は……意識を取り戻すまで、泣きながら父上の名を呼んでいましたよ。

 エドガー死なないで、とか、あなたがいなくなったらこの世界で生きていけない、って。」


 ――え? えええっ?!


 何ですか、その暴露情報は。


(そんなことを……言ってたなんて?

 ああ、終わった……まさしく終わったわ。

 こんなところ、もう挽回のしようがない!)


 どうしようもない混乱を抱えながら、私は深く息を吸い、背筋を無理やり伸ばした。


「ふっ……まさか。」


 鼻で軽く笑い、目元をわずかに歪めてみせる。

 ――そう、私はブラックソーン家のソフィア。

 今は“冷酷な悪役”であり続けなければならない。


 そう思うと、舞台の上の女優にでもなったかのように、手元をひらりと翻す。

 あくまで心の中でだけ、扇子を広げるように。

 この偽りの小道具さえあれば、悪役としての私をきっと取り戻せる――そう、信じた。


「私がそんな弱々しい姿を見せるなんて、あり得ないわ。

 ましてや、エドガーが好きだなんて。そんな嘘をでっちあげないでちょうだい。」


 冷たく微笑みながら、ちらりとアレクシスの様子をうかがう。

 しかし、その瞳にはわずかな揺らぎが見えて……。


(……大丈夫。私こそ悪役。

 冷たく、尊大に――これで引き下がってくれるはず。)


 そう祈るような気持ちでいたのに、二人は私を見つめたまま、呆然として動かない。


 ――あれ?

 何か、妙に空気が重い。

 私、言い方を間違えたかしら?


 窓から差し込む陽光でさえ、いまは冷たい。

 そんな張り詰めた沈黙のなか、アレクシスの小さな肩がかすかに震えた。


「母上……」


 その声は、とても小さく震えていた。

 まるで私が突き放したことで、深く傷ついたかのように。


(……え、ちょっと待って。

 私の息子がこんな顔をするなんて、何か地雷を踏んでしまった?)


 混乱する頭を何とか整理しようとしたとき、沈黙を破ったのはエドガーだった。


 視線を外そうとした私の耳に、彼の低く落ち着いた声が届く。


「ソフィア……私はずっと勘違いをしていたようだ。」


 え? 勘違い? 何を?


 一瞬、まばたきさえ忘れてしまう。

 私が何も言えずにいるなかで、エドガーの瞳はまっすぐに私を射抜いていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?