「母上、こちらです。」
そう言って、アレクシスは細い林道の先を指し示し、私の手をぐいっと引いた。
少し前の彼なら、こんなふうに私と一緒に歩きたいだなんて言わなかったはず。それなのに、今は何の遠慮もなく“秘密の場所”へ案内しようとしている。
……少し離れたところにはカイルが控えているけれど、この場所だけは二人きり。
静かな木漏れ日のなかを、私はアレクシスの歩幅に合わせてゆっくりと進んだ。
ふと、アレクシスの視線を感じて横目で見ると、彼はじっと私を見上げている。
まるで何かを計りかねているようなその眼差しに気づかないふりをして、足を運ぶ。
「着きました。」
そう告げられた先には、草木に囲まれた細い小道と、ほんのり甘い香りを漂わせる花々。
その奥には苔むした石のベンチがひっそり佇んでいて――まるで、ここに来る者を静かに待ちわびているようだった。
美しい景色なのに、どこか寂しさがしのび込む場所。
私は息を呑むように立ち止まり、アレクシスが促すままベンチへと歩を進める。
「どうしてここに私を連れてきてくれたの?」
思わず問いかけると、アレクシスはしばし口を閉ざした。
やがて彼は私を見上げ、低く静かな声で言う。
「母上……」
そのひと言に、不思議な重みを感じて、私の胸がざわつく。
まだ幼いはずなのに、ひとりの人間としての気配が、確かにそこにある。
「……何かしら?」
わざとそっけない口調を装いながら視線を逸らすと、彼はまた一歩、そしてもう一歩と、私との距離を詰めてくる。
「母上は……僕と父上に、隠していることがありますよね?」
その問いに、心が大きく揺れた。どうしてこんなことを訊ねてくるのか。
私が何かに気づいていると思っているのか。それとも、ただの思い違い?
「……別に、何も隠してなんていないわ。」
なるべく自然に、平静を装って答える。
するとアレクシスは、一瞬だけ淋しげな顔をして、それからふわりと笑顔を取り戻した。
「なら、いいんですけど……」
そう呟いてから、彼は思い出したように言葉を続ける。
「母上……僕のこと、嫌いじゃないですか?」
思わず息が止まる。
思いがけない問いに、私はアレクシスの顔を凝視してしまった。
「どうして、そんなことを……?」
胸が強く締めつけられる。
気づかなかったとはいえ、この子にどれだけの孤独や不安を背負わせていたのだろう。血の繋がりのない母への戸惑い、そして私の冷たい態度……。
「だって、僕……いままで母上にひどいことばかり言ってきたから……」
幼い肩がわずかに強張っているのがわかる。
いつもは大人びて見えるのに、こうしてみるとやはり子どもなのだと痛感する。
(私の責任だわ。慣れない家で、血のつながりもない母親と暮らすなんて――どれほど心細かったことか。)
「だから……嫌われているんじゃないかって……ずっと、心配だったんです。」
震える声に、胸の奥がきゅっと痛む。
私が演じる“冷酷なソフィア”が、彼をどれほど追い詰めてきたのか。今さらながら思い知らされる。
「……嫌いなわけないじゃない。」
声がかすれてしまう。
必死に落ち着こうとしても、感情が堰を切ったようにあふれてくる。
どうにかそれだけを伝えると、アレクシスの目がわずかに見開かれ、そしてほんの少し微笑んだ。
「……そう、ですか。」
ほっとしたように息を吐く彼の横顔を見ていると、胸が熱くなってくる。
私は気づけば、涙が頬を伝っているのを感じた。何か言葉にしようにも、うまく声が出ない。
「じゃあ……これから、母上に甘えても、いいですか?」
その問いに、私は頷くことしかできなかった。
込み上げてくる想いで胸がいっぱいになり、言葉が出ない。
すると、アレクシスはそっと私の手を握る。
その小さな手のひらの温かさが、私の心にすとん、と落ちる。
(ああ……私は、この子の“母”なんだ。)
ようやく自分の役割を思い出したような、不思議な感覚が広がっていく。
冷徹な仮面を纏ってきた私にも、守らなくてはならない存在が、ちゃんとあるのだと――今、改めて実感する。
その小さな手のぬくもりが、私の心を溶かしていく。
遠くでさざめく木々と、花の香り。そして、アレクシスの笑顔。
いつもとは違う静かな時間の中で、私は彼の手をそっと握り返した。