今日は久しぶりに、家族三人で朝食をとる日。
広々としたダイニングでは、誰も口を開かない。
静けさを切り裂くのは、時折聞こえるスープをすするかすかな音と、微かな食器の触れあう音だけ。
冷酷で高貴な義母、そして妻――それが私の役目。
家族にも使用人たちにも「冷酷で気高いソフィア夫人」という印象を抱かせるのが、この世界での私の務めなのだ。
最近は、あの二人のせいで気が緩むことが多くなってしまったけれど、今日は再び“冷酷”を貫かねば――そう固く決意して席につく。
ちらり、と隣に視線を送る。
そこには、小さな手でナイフとフォークを握りしめ、肉と格闘しているアレクシスの姿があった。
まだ幼い彼には、朝食に出された硬い肉は大変なのだろう。額にはうっすらと汗が滲んでいる。
(……ソフィア、目を背けなさい。これも教育の一環よ。)
そう自分に言い聞かせる。助けを求められない限り、こちらから手を差し伸べてはいけない。
でも、私の口は勝手に動いてしまった。
「アレクシス、そのお肉、硬いわね。……仕方ないわ、切ってあげる。」
あくまでも淡々とした口調。
ところが、アレクシスは思いがけず目を丸くして、頰をほんのりと染めた。
「ありがとう、母上。」
その幼い頰に浮かぶわずかな赤みを見た瞬間、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚える。
冷酷な悪役に戻らなければいけないのに、心が揺れてしまう――まずい。
(いけない。こんな表情、してはいけないのに。)
それでも、こぼれそうになる笑みを抑えられない。
あくまで取り繕うように、私は彼の皿を手元に引き寄せて、慎重に肉を切り分けていく。
切り終えた頃には、アレクシスの瞳はきらきら輝き、その純粋な笑顔が私の心を危うくさせる。
(……だめ。これ以上、優しくしすぎたら崩れてしまう。)
向かいに座るエドガーの視線にも気づいたが、私はそちらを見ないよう努める。
しかし彼は、ふっと口角を上げると、唐突に片肘をついて、少し不気味なくらいのニヤニヤ顔をこちらに向けてきた。
「ソフィア、今日はどこかに出かけるのか? ずいぶんとめかし込んでいるじゃないか。」
含みのある声音。
思わず背筋を伸ばし、私は毅然と答える。
「何をおっしゃいますの? これは単なる日常の一環ですわ。」
しかし、胸の内では(リナとアンナが朝からやる気に燃えてしまったせいで……)と嘆いている。
まさか朝食のためだけに、髪を縦ロールに巻き上げ、華やかな衣装を着せられるなんて思いもしなかった。
エドガーは楽しげに喉の奥で笑う。
「私に会うからって、そんな気合いを入れなくてもいいのに……ふふっ」
(もしかして、また彼の好感度を上げてしまったかもしれない……そんな気がしてならないわ)
ますます不可解な笑みを浮かべるエドガーに目を丸くしていると、今度はアレクシスが甘えた声を出す。
「母上、今日の昼は、僕の“秘密の場所”でピクニックなんてどうですか?」
突然の提案に、私は思わずフォークを止める。
「ピクニック、ですって?」
アレクシスは、自信たっぷりに微笑む。
すると今度はエドガーが、ほんの少しだけ眉をひそめて低い声で言った。
「私が行くのでは……ダメなのか?」
アレクシスは迷いなく、朗らかに答えてみせる。
「もちろん。父上はお忙しいんですよね。だから、ぼくと母上だけで行きます。」
さらりと言い放つアレクシスに、エドガーは意外そうに言葉を失ったようだ。
その様子を眺めているうち、私は思わず微笑みそうになる。
これほどはっきりと父親を差し置いて話すアレクシスを見たのは、初めてかもしれない。
(ふふ……こんな朝食も、悪くないかもしれないわね。)
朝の静寂のなか、二人のやり取りを眺めながら、私はいつもより少し柔らかな気持ちでナイフとフォークを動かす。
冷酷な仮面の内側で、ほんの少しだけほころぶ私――そんな自分に気づきつつ、静かに朝食を終えたのだった。