青空が広がる庭の片隅で、三人が向かい合って正座している。
広げられた布の上にはサンドイッチや果物などの軽食が乗せられていたが、その光景はどこかぎこちなく、いかにも「ピクニックを演じているだけ」という雰囲気が漂う。
こんな場面が用意されたのは、数日前の食事中にアレクシスが「ピクニックをしてみたい」と提案し、それをエドガーが強引にスケジュールを決めたからだ。
私は布の上へと腰を下ろし、小さく息を吐く。
今日こそ、この中途半端に「仲の良い家族」を装った空気を逆手に取って、二人の私に対する“好感度”を下げるのが目標だった。
──そう意気込んではいるのだけれど。
「さあ、ピクニックって何をするのかしら?」
わざと素っ気ない調子で口を開けば、アレクシスが小首をかしげる。
その幼い瞳がまっすぐ私を見つめてきて、妙に胸が騒ぐ。
「母上も、知らないの?」
無垢な輝きをたたえた視線には、弱い。
思わず言葉に詰まってしまった私を見て、アレクシスはにこりと笑う。
「僕、本で読んだんだ。家族で外に出て、一緒に食事しながらおしゃべりするんだって!」
「そう……なの。」
どこか気まずくうなずいたまま、会話が途切れる。
もともと口数の少ない家族なのだから、あらためて「しゃべりなさい」と言われても難しいのだ。
沈黙が広がりそうになったとき、エドガーがわざとらしく咳払いをして話を振ってきた。
「君は……伯爵家でどんな日々を過ごしていたんだ?」
思わぬ方向から放たれた質問に、私は思わず目を見開く。
ブラックソーン伯爵家での生活。あの監視と束縛に満ちた日々をどう話せばいいのだろう。
「どう、って……」
言葉を探すうちに、幼いころからの息苦しい記憶が脳裏をよぎる。
“駒”として育てられ、束の間の外出すら許されない。
たとえほんの少し庭に出たくても、誰かの監視が途切れることはなく……。
「……毎日、何かに追われていました。こうしてのんびり過ごすことなんて、なかったわ。」
その短い言葉に、封じ込めてきた記憶が鮮明に蘇る。思わず声がわずかに震えた。
エドガーは静かに私を見ている。まるで私の深いところまで覗き込もうとしているかのような、鋭くも優しい瞳で。
「君は、これから自由だ。」
確信めいた声が、穏やかな庭の空気を震わせた。
自由。その響きが心の奥底をざわつかせる。こんな私が……自由?
一瞬、思考が停止する。私にとってはあまりにも遠い言葉で、儚い夢のようだったから。
そんな私の困惑を見つめていたエドガーは、さらに落ち着いた口調で言葉を継ぐ。
「誰も君を縛らないし、縛らせはしない。私が保証する。」
低く、確かな決意を含んだ声に、胸がきゅっと締めつけられる。
それが、どれほど甘美で、どれほど届かぬ夢のような響きを伴っているかを、私はどう受け止めればいいのだろう。
「母上、ほらっ! サンドイッチ、食べてみて!」
隣では、アレクシスが幼い手でサンドイッチを差し出し、純粋な笑みを向けてくる。
私はゆっくり手を伸ばしてそれを受け取ろうとした――その瞬間、視界がふいに揺らいだ。
温かい陽射しの下の景色が、かすれて歪んでいく。何かが頬を伝っているのを感じた。
見れば、それは止めどなくあふれてくる涙だった。
「え……母上?」
驚きで声を上げるアレクシスに、私は反射的に目をそらす。こんな姿を見せるなんて想定外。
冷酷な仮面を崩してはいけないのに、勝手に涙がこぼれて止まらない。
「……違うの。ただ……なんでもないわ。」
それだけを、かすれた声で言う。
震える手で涙を拭おうとしたとき、エドガーがそっと私の手を止めた。
「気づけなくて、すまなかった。」
静かに落ちるその言葉が、胸の奥まで沁み込んでいく。
そんな私を見つめながら、アレクシスが小さな手で私の手をぎゅっと握った。
「僕が母上を守る。もう、母上が辛い思いをするのなんて、絶対に嫌なんだ。」
幼いながらも必死な瞳が、まっすぐこちらを向いている。
その真剣さが、私の心を弱くしていく。
顔を上げるのが恐ろしくて、二人の表情は見られない。
だけど、その温かな声と手のひらだけは、私にとって確かなぬくもりとなって伝わってきた。
(どうして、こんなにも……)
気づけば私は、堰を切ったように涙を流し続けていた。それでも二人はそっと寄り添うように、私のそばを離れなかった。