「父上…やはり心配です。
母上は大丈夫でしょうか?」
アレクシスは焦燥を滲ませながら、扉の前を何度も行き来していた。落ち着かない様子で足を止めることができない。
「心配するな。中の様子は実は監視させている」
そう言いながら、エドガーはふと眉間に深い皺を刻んだ。扉の前に立つ使用人の異様な振る舞いが目に留まったのだ。
――おかしい。
使用人の様子が明らかにおかしい。先ほどまで淡々と報告をしていたはずが、今はやけに落ち着きがなく、視線を泳がせている。手元をぎゅっと握りしめ、小刻みに震えているのが分かる。
「……どうした?」
エドガーが低く問いかけると、使用人は一瞬、はっとしたように肩を震わせた。しかし、何かを誤魔化すように目を伏せ、かすれた声で答える。
「い、いえ……」
その言葉に、エドガーの胸の奥がざわついた。
――まさか。
瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡る。
「くそっ!」
迷いなく扉へと駆け寄り、力任せに蹴りを叩き込む。
ドンッ――バキィン!!
重厚な扉が激しい音を立てて吹き飛んだ。
エドガーが室内へと踏み込んだ瞬間、目に飛び込んできたのは、ぐったりと倒れたソフィアを抱きかかえる伯爵の姿だった。
「な…!」
血の気が引く。反射的に剣を抜き、伯爵へと詰め寄ろうとした、その刹那――。
ガシャァン!!
鋭い音とともに窓ガラスが砕け散る。
闇よりも漆黒の影が俊敏に舞い降りた。風のような速さでエドガーとの距離を詰め、一閃。冷たい刃が喉元に押し当てられる。
「……お前がエドガーか?」
低く、淡々とした声音が響く。
黒髪の青年は、一切の迷いも見せず剣を構えていた。鋭い眼差しには感情の揺らぎがなく、しかし圧倒的な存在感を放っている。
紅の瞳が、まるで炎のように揺らめきながら、エドガーを射抜く。
「……答えろ」
剣先がわずかに喉元を押した。
その視線には、冷酷な意思と――深淵のような静寂が宿っていた。
エドガーは即座に剣を弾き、飛び退いた。
「チッ……!」
喉元に押し当てられていた刃がわずかに揺らぐ。その一瞬の隙をついて、エドガーは剣を薙ぎ払い、黒髪の青年を跳ね除けるように距離を取った。
「なかなかやるな」
青年は薄く口角を上げると、再び剣を構えた。紅の瞳が静かに輝き、闇の中で鋭く光を放つ。
キィンッ!!
刃と刃が激しくぶつかり合う。
エドガーの剣筋は力強く鋭い。対する青年は、まるで舞うような動きでエドガーの攻撃を捌き、すれすれのところで避ける。接戦だった。
しかし、互いに譲らぬ戦いが続く中、突如として轟音が響いた。
「――エドガー様!」
駆け込んできたのは、カイルだった。
「こ……これは一体……!」
カイルは即座に戦況を把握し、剣を抜くと青年の背後を取る。二対一。形勢はエドガーたちに有利に思えた――その時だった。
「動くな」
ゾクリとするほど冷たい声が響いた。
エドガーが反射的に振り返ると、そこには――
アレクシスの首元にナイフを突きつける伯爵の姿があった。
「……!」
エドガーの全身が一瞬で強張る。
伯爵の瞳は冷酷そのものだった。片腕でぐったりとしたソフィアを抱えながら、もう片方の手で、ためらいなくナイフを息子の喉元に押し付けている。
「剣を捨てろ、エドガー」
伯爵の静かな命令に、エドガーの手が震えた。
「……ふざけるな」
剣を握る指に力を込めるが、伯爵のナイフがわずかに押し込まれたのを見て、胸が締めつけられる。アレクシスは苦しげに顔を歪め、しかし必死に耐えていた。
「捨てろと言っている」
「くそっ……!」
エドガーは唇を噛みしめ、悔しさを滲ませながら剣を地面に叩きつけた。
「カイル、お前もだ」
「……」
カイルも渋々剣を下ろす。
伯爵は冷たく笑うと、手際よくソフィアの身体を抱え直した。
「助けたければ――死ぬ気で追ってこい」
その言葉を最後に、伯爵は青年と共に闇の中へと消えた。
エドガーは、拳を握りしめたまま動けなかった。
「父上……母上を……!」
アレクシスのかすれた声が、ひどく痛々しく響いた。