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第二話 眠れる軍師

 天光てんこう歴 五六二年。

 エスペランド大陸北部、アドラシオン皇国・皇都ルーチェ。


 朝日が差し込む皇都ルーチェの軍本部。

 その廊下を、ナイトは盛大なあくびをしながら歩いていた。


 スレインの〝お願い〟と称した任務で徹夜明け──いつもの寝不足が更にこじれたせいで足取りは重い。



「ふあぁ……体力のなさは昔からだけど、二十六にもなるとキツいな」



 呑気な独り言をかみ殺すように、ナイトはのろのろと廊下を進む。

 厳粛な石造りの内装が、まるで自分を睨みつけているように感じるのは気のせいだろうか。


 ──いや、実際に陰湿な視線や嘲笑が混じっている。



「いい気なもんだよな……こっちは命懸けで王国と戦ってるってのに」


「あいつ、〝お荷物小隊〟の隊長だ。前科持ちって噂もある」



 低い舌打ちが遠くで聞こえ、ナイトは気配を消そうと歩調を速めた。


 大陸の南部を支配するサンクリッド王国との戦争は、二十年前、かの国の現王マグナス・サングリアが王位を簒奪さんだつした事件以降、激化の一途を辿っている。

 長引く戦乱に、皇国軍は気が立っているのだ。


 そんな中、「無能のくせに第一皇子に取り入って生き残っている」というナイトへの風当たりは強い。

 慣れたとはいえ、胸が痛む時もある。



(アドラシオン皇国は魔術至上の国……魔術も剣もロクに扱えない俺は、どう頑張っても無能扱い。それが便利でもあるから黙ってるけど、やっぱり肩身が狭いね)



 〝無能〟として扱われる事情は根深く、一筋縄ではない。

 が、わざわざ弁解して回る気もナイトにはなかった。



(君子危うきに近付かず。三十六計、逃げるにかず……ってね)



 あざけののしり、見て見ぬふりでやり過ごそうとしたのだが──鼻につく声に背後から呼び止められる。



「おい、待てよ。第零番ナンバーレス小隊ヴェインの隊長さんよ」



 振り返れば、強面の若い兵士と、その取り巻きが二人。

 挑発的な笑みを浮かべている。



(嫌な連中に捕まったな……。これも女神ルクス様の試練ってやつ?)



 国教の主神の慈悲深さにナイトは涙しそうになりながら、愛想笑いで取り繕う。



「……何か用かな? 急いでるんだけど」


「戦場へ行くわけでもねーだろ? お前は戦えねぇ隊長だからな?」



 舌打ち交じりの言葉にナイトは苦笑した。



「まあ、戦闘は得意じゃない。だけど、やるべき役割はある。今日は新しい隊員が来る日でね、迎え入れる準備をしないといけないんだ」


「はっ……どの面下げて隊長気取りしてんだ、無能が! いい迷惑なんだよ!」



 次の瞬間、男がナイトの胸倉を掴んで壁に叩きつけた。

 派手に背中を打ちつけられ、ナイトは痛みに眉を寄せるが、それでもヘラリと笑ってみせた。



「痛いなぁ……ごめんね。迷惑かけたなら謝るよ。謝るのは得意なんだ」


「ふざけんなっ!」



 男の拳が振り下ろされ、ナイトの視界が揺れる。

 頬の痛みに意識が飛びそうになりながらナイトは床に倒れ込む。

 天井を仰いで、痛みの中で思考を整理する。



(軍人の拳は重い。でも……)



 立ち上がろうとした矢先、男がさらに追い打ちをかけようとするような気配を見せた。

 もう一撃来るか──というタイミングで、ナイトはわずかに口元を吊り上げ、低い声で問いかけた。



「……で、気は済んだかな、アントニー・クレマンくん」



 男の名前を正確に呼ぶと、相手が息を呑むのがわかった。



「な、なんでオレの名前を──」


「ちょっとばかり記憶力には自信があってね。君たちの顔や言動は全部ここの中にある」



 ナイトは上体を起こし、壁に背を預けて、人差し指で自分の頭を差し示す。



「三日前は階段下でぶつかった相手に〝いちゃもん〟付けてたよね? 二週間前は門前の茂みで同期を殴ってた。そして一か月前は訓練場の倉庫裏で、〝教育〟と称して新人を痛めつけていた。……身に覚えがないとは、言わせないよ」


「て、てめえ……!」


「報告すれば軍規違反で処罰されるけど……スレイン殿下に訴えて見ようか。まあ、どうなるかな?」



 アントニーの顔が見る間に青ざめ、取り巻き二人も動揺している。



「おい、逃げるぞ!」



 彼らは舌打ちを残して一目散に走り去った。

 ナイトは頬をさすりながら、ふうと大きく息を吐く。



「……まったく。そっちのほうがよっぽど人様に迷惑かけてるじゃないか。また同じことをするなら報告せざるを得ないな」



 呟きながら、じわりと広がる痛みに意識を向ける。

 徹夜明けの身体に鞭打つような出来事は、思いのほか堪える。

 肩にずしりと疲労がのしかかった。



(こんなに消耗してるなら、少し寝ておきたかったな……)



 ナイトは苦笑する。

 夜通し任務に奔走した後で、朝から暴力沙汰に巻き込まれるのは、さすがに疲弊が大きい。



「ま、面倒ごとに巻き込まれるのも俺の仕事のうち、ってことか。……それより早く執務室に行かないと。〝彼女〟に会わなくちゃ」



 笑ってよろめきながら立ち上がり、穏やかな陽光が照らす廊下を再び歩む。

 寝不足で瞼も体も、鉛のように重い。


 だが、今日は大切な日である。


 あの〝エレノア・リュミエール〟──戦場に咲いた〝危険な華〟を、この第零番ナンバーレス小隊ヴェインへ迎え入れる手はずが整ったのだ。



(復讐を糧とする姫騎士。……どんな顔をするんだろう)



 想像するだけで、胸が高鳴った。

 人の憎しみに満ちた目をナイトは嫌というほど知っている。


 あの燃え盛る瞳を向けて来るであろうお姫様をどう飼い慣らすか。

 そして、彼女はこの〝お荷物小隊〟に飛ばされた理不尽をどう受け止めるのか。


 想像すればするほど、ナイトのまぶたはさらに重く──だが、心は踊り、邂逅が楽しみで仕方なかった。


 第零番ナンバーレス小隊ヴェイン。

 無能の寄せ集めと蔑まれるこの小隊に、あの〝姫騎士〟が配属されるまで、あと少し──。

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