〝彼女〟がヴェインの隊舎内にある執務室を訪れたのは、先に到着したナイトが頬の治療を終えて間もなくの事だった。
「この度、
隊長の威厳を保とうと、脚を組んで執務机に肘を付くナイト。その尊大とも言える振舞いに対し、エレノアは「ビシッ」とお手本のような敬礼を決めてみせた。
無駄のない美しい動作だ。
(へぇ……さすがエリートコースの軍人だね。ヴェインの噂を知らないはずはないだろうに、上手く取り繕ってる。──もっとも、細かいところは誤魔化しきれていないけど)
例えば、不自然に力の入った頬の
注意深く観察しなければ気づけない程度だが、彼女の感情が滲んでいた。
「……ポーカーフェイスを貫くには、まだまだ経験が足りないね」
エレノアはナイトの呟きが聞き取れなかったのか、小首を傾げるだけ。そんな彼女に、ナイトは「にこり」と笑って立ち上がり、
「この小隊の隊長を務めるナイト・エクス・ルーネントだ。エレノア・リュミエール少尉、君みたいに美人で優秀な人材は大歓迎だよ。これからよろしく」
握手を求めるように手を差し出す。しかし、エレノアはそれに応じず、
「……はっ! ルーネント隊長の期待に沿えるよう、尽力致します」
姿勢を保ったまま、淡々と答えた。
予想通りの反応だな、とナイトは苦笑するでもなく、「パンッ」と胸の前で手を叩く。
「それじゃ、まずは隊員を紹介するよ。……と言っても、今日は一人しか来ていなくてね」
ナイトは視線をエレノアの後ろへ向けた。
そこにはティーセットの置かれた机と、光沢あるダマスク柄のソファが配置された
ゆったりとしたソファの上、透き通った
分厚い本を膝上で広げ、黙読中だ。
「……隊長、まさか彼女がその一人……ではないですよね。妹さんですか?」
「はは! 妹みたいなものだけど、正真正銘うちの隊員だよ。ねえ、ティア。挨拶してあげて」
ナイトが声をかけるが少女は
「……イヤ。人を見かけで判断するなんて失礼だもの。話す気になれない」
その言葉に一瞬、エレノアの表情が強張った。ナイトは苦笑しつつ、
「エレノアも悪気はなかったと思うよ? ティアみたいに可愛い子は軍ではそういないし、驚くのも無理ない。ね、エレノア」
「え、あ……はい。非礼を……お詑びします」
ナイトが目配せすると、エレノアは慌てて頭を下げる。しかし、少女は相変わらず本から視線を外さないまま、
「謝られてもイヤなものはイヤ。……
ぼそりと呟き、さらにそっぽを向く。
それを見てエレノアは怪訝な表情だが、ナイトは想定内の様子だと肩を竦めた。
「はは……ごめんね、エレノア。彼女はスティーリア・ヘイルストーン。〝
初見から簡単に打ち解けられるとは、ナイトも思っていなかった。
エレノアに小声で囁く。
「いずれ話すけど……ティアにも事情があってね。共に任務をする仲間だから、ゆっくり慣れていってくれると助かるよ」
エレノアは少し戸惑いながらも「承知しました」と返してきた。その瞳には、疑問や困惑の色が見える。
「よろしくね。隊員はティアの他にもあと三人いるんだけど──昨日ちょっと羽目を外し過ぎてね。多分今日は出て来ないと思うから、また今度紹介するよ」
「……はい」
エレノアは平静を装っていたが、眉がピクリと動く。
そのわずかな静かにナイトが「フフッ」と笑みを漏らすと、エレノアは怪訝な面持ちになった。
(噂通り、不可解でどうしようもないヤツに見えているんだろうな。……まあ、それでいい。俺への評価が低いほど、やりやすいからね)
ナイトは心の中で呟いて、あからさまに昼寝を宣言する前段階へ移る。
「さて、挨拶は終わったし……。エレノア、君に任務を与えよう。早速、初仕事だ」
「はっ!」
エレノアが背筋を伸ばし、実直な返事をする。ナイトはその横をすり抜け、ティアの向かい側に置かれたソファへ腰を下ろした。そしてソファの座面をポンポンと叩く。
「こっちにおいで。ここで一緒にお昼寝しよう」
「はい! ……って、はい? 今なんと仰いましたか?」
「お昼寝だよ、お昼寝。一緒に仮眠を取ろうと思って」
あっけらかんと述べるナイトに、エレノアが何度も目を
「それ、任務ではありませんよね……。ふざけていらっしゃるのですか?」
「大真面目さ。徹夜続きで眠くてね。睡眠不足だとパフォーマンスが落ちるし身体にも悪い。──でも君が来るのに寝こけているわけにもいかないだろ? だから出迎えを済ませたら、お昼寝しようと決めてたんだ」
満面の笑みを浮かべつつソファにごろんと横になり、空いているスペースを手で示す。割と大きめのソファなので、二人並んで寝ることも難しくない。
「ほら、君もどう? 適度な仮眠は仕事の効率を高めてくれるよ」
「……っ、遠慮いたします!」
エレノアが顔を赤らめ、怒りか羞恥かわからない表情で強く口調を荒げた。
ティアがチラリと彼女に視線を送ったが、鼻で息を吐いてまた本へ視線を落とす。
「まあまあ。まさか俺が何かすると思ってる? 一応言っておくと、君が同意してないなら何もしないよ? 何よりティアがここにいるし──」
「──っ! 休まれるのであれば、お一人でどうぞ!!」
声を荒らげたエレノアは、見るからに困惑と嫌悪を混ぜ合わせた表情でナイトを睨みつける。ナイトは軽く両手を挙げて謝意を示す。
「ごめんごめん。ちょっと肩の力を抜いてほしくて、ふざけ過ぎた。……とはいえ、睡魔に負けそうでね。仮眠を取るから、一時間後に起こしてくれるかな?」
「はぁ……。一時間後、ですね。承知しました」
渋々ながらエレノアは命令として受け止めてくれたようだ。ナイトは「ありがとう、おやすみ」と言って
エレノアが退出した事を悟り、ナイトは笑みをこぼす。
(……第一段階クリアー。噂通りの〝無能隊長〟に見せれば、警戒されにくい。君は攻撃的な手負いの獣と同じだよ、エレノア。一筋縄ではいかないだろうけど、その分……やりがいがある)
チラリとスティーリアのほうを見ると、彼女は無言で本を読み続けていた。
兵器として生み出された彼女を救った時のことが思い出される。
(ティアもそうだったなぁ。とげとげしくて、最初は誰のことも信じなかった。でも、懲りずに関わるうちに懐いてくれた。エレノアも似たようなものだ。……ゆっくり懐柔してあげるよ)
思考巡らせながらも、ナイトは仮眠をとるべく呼吸を落ち着かせてゆく。
すべては〝和平〟という大きな理想を実現するための布石──。
この
スレイン殿下の懐刀となるべく結成され、集められた面々こそが、理想を形にする歯車なのだ。
(ヴェインには、彼女とまだ顔を合わせていない隊員が三人……。ヴァン、ブロンテ、アリファーン──この三人もクセ者揃いだ。ヴェインってのは〝ゴミ溜め〟なんて呼ばれてるけど……捨てるには惜しい才能ばかりだよね。あとでエレノアがどんな顔をするのか、今から楽しみだな……)
外から入り込む爽やかな昼の光が室内を照らし、スティーリアが本を
感じる光と音が心地よく、ナイトはいつの間にか意識を手放していた。