ナイトが入眠の態勢に入ったのを確認後、執務室を退室したエレノアは──。
(……何なんだ。何なんだ! 何なんだ!? あいつは!!)
彼の態度に激しい怒りを覚えていた。込み上げる感情に突き動かされ、盛大な靴音を鳴らして廊下を歩く。
(軽薄な発言もそうだが、あの見た目……!)
無駄にキラキラしたシルバーブロンドの髪、女性ウケを狙ったようなウルフカットのアレンジ。
左胸に隊の記章を飾り、軍服自体は規定品をきっちり着ているが、ピアスやチョーカー、ブレスレットなど、無駄な装飾品が多すぎる。
今時、爵位を持つ貴族の軍人でも、あそこまで露骨に着飾る者は少ない。
しかも、あの優しげな翡翠色の垂れ目が軟派なイメージに拍車をかけていて──だが、ほんの少し違和感もあった。
(柔和な笑顔を見せてはいたが……たまに目が笑っていなかった)
単に自分の理想とする父のような〝紳士的な軍人〟からかけ離れているから嫌悪感を抱いているわけではない。
彼の視線にはどこか得体の知れないものが潜んでいた。
(……っ気味が悪い。やはりヴェインは、公に語られている通りロクでもないところだ)
通称「お荷物小隊」と呼ばれる部隊の実態は軍内でまことしやかに囁かれている。
軍の出来損ないが集められる墓場。
無能の掃き溜め。
犯罪者の温床。
──ほとんどが悪評ばかり。
それらの噂を度々耳にしてきたが、火のないところに煙は立たない。
けれど、ごく一部ではこういう噂もあった。
(ヴェインは王国との戦争を終わらせるために作られた〝皇族の極秘部隊〟という噂。そうであればと願っていたが……)
エレノアは頭を振る。そんな大それた部隊なら、隊を率いるあの軟派な隊長のどこにその要素があるというのか。
信憑性のない噂を一瞬でも信じようとした自分が恥ずかしくなった。
「大体、羽目を外したとは何だ! それに、この戦時下にのうのうと昼寝だと? ふざけるなよ!」
冷静になりかけた思考が再び苛立ちを呼び、廊下の壁を拳で殴りつける。
硬い石壁が揺らぐわけもなく、手の甲が痛みを訴えるだけだ。
(……どうして私がこんな小隊へ転属になんて……っ)
苛立ちと困惑を抑えるように、深呼吸を繰り返す。
そうして、一週間前に辞令を知らされたあの瞬間を思い返した。
あれは国境付近での小競り合いに勝利し、自陣へ戻った直後の事。
エレノアは休む間もなく、上官ある中佐に呼び出された。
「おめでとう、エレノア・リュミエール少尉。貴君に異動の辞令が出た」
夕陽だけが差し込む薄暗い砦の一室で、エレノアは辞令書を手渡される。
「異動……ですか?」
「そうだ。
エレノアは〝皇子殿下〟と聞いて、一瞬胸が高鳴った。
皇太子ラウルス・ローレル・ディ・アドラシオ殿下──完璧で優秀な皇子だと世間から高い評価を受けている存在だ。
もしラウルス殿下が自分の手柄を認め、さらに活躍の場を与えてくれるなら、父の仇を討つための機会も増えるはず、と。
だが、辞令書を開いた瞬間、エレノアは固まった。
〝スレイン・ロベリア・ディ・アドラシオ〟の名、そして〝第零番小隊ヴェインへの転属〟とあるのだ。
「……え?」
エレノアは一瞬、これが何かの冗談かと考えた。
(……スレイン殿下、第一皇子。──放蕩三昧で名高い、あの〝遊び人の皇子〟が……私を?)
何度見返しても文字は変わらない。〝ナンバーレス〟……存在しないものと扱われることもある部隊への辞令だ。
全身から熱が引き、指先が震えた。
「良かったじゃないか。そこなら少尉の力も十分に発揮できるだろう?」
あくまで朗らかに言葉を投げかける中佐。その態度にエレノアは言葉を失う。
〝お荷物小隊〟と呼ばれるヴェインが力を発揮できる場所なわけがない。
「そ、そんな……何故なんですか、中佐!」
士官学校で首席を取ってきたエレノアには、かの王国を倒すために実力を示すだけの自信があった。国境最前線でのさらなる活躍や、皇太子殿下への認知といった未来があったはずだ。
それが、なぜ放蕩皇子の名で異動を命じられているのか。
「さあ? スレイン殿下の意図は私にも測りかねる。──いずれにせよ、決定事項だ」
「私は戦いたいのです! 父の仇を……王国を倒したい! 中佐だってご存じでしょう!? なのに、なぜこんなっ……!」
エレノアの訴えを、中佐は溜息混じりで遮る。
「……確かに君の努力も知っているし、失った家族を想う気持ちもわかる。だがな、少尉。君の独断専行ぶりは上層部でも問題になっている。もはや黙殺できないレベルだぞ?」
「だから何だというのですか!? 弱腰の指揮官になどついていけません! 大事なのは結果でしょう、私は戦果を上げています! 現に先程の戦闘でも──」
「馬鹿者め! 過去にもいたぞ、君のように
中佐の叱咤は鋭く、エレノアは言い返せずに震える。
恐ろしいのではなく、認められず切り捨てられるという現実があまりに悔しかった。
「……大人しく辞令に従いなさい、少尉。スレイン殿下がどういう腹づもりかはわからんが、もう決まったことだ」
投げやりな声音。その言葉が終わりを告げる合図。中佐は背を見せた。
エレノアは数秒間固まったあと、唇を噛み締めて呟く。
「…………わかり、ました」
じわり、と染み出した鉄の味が、口の中に広がって行く。
身を翻したエレノアの背を、中佐の声が追いかける。
「貴君の健闘を祈る。どこであれ……な」
それは慰めのつもりだったのだろうか。
それとも、すでに切り離した存在への別れの挨拶だったのか。
エレノアは言葉の意味を考える気にもなれず、沈黙の中、夕陽が淡く染める部屋から立ち去るしかなかった。
──思い返しても、あの時の事は納得できない。
エレノアは廊下の壁に寄りかかりながら、悔しさに拳を握る。
(スレイン殿下……あの放蕩皇子が何を企んでいるか知らないけど、私はこんな所で終わるつもりはない)
自分は父の仇を討ち、王国を倒すために軍人になった。
どこであろうとも、やれることをやるだけである。
「……私は戦う。王国を倒すためなら何だってしてみせる」
苛立ちを含んだ吐息を漏らし、エレノアは踵を返した。
この屈辱に耐えていつか返り咲く──その決意は、血の味とともにエレノアの中で燃え上がり続けている。
さしあたって一時間後、あの軽薄な隊長を叩き起こさねばならないのは、どんな顔で向き合えばいいのかわらず、憂鬱だった。