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第五話 陽光の裏に燻ぶる炎

 結局、エレノアは悶々もんもんと思いを巡らせているうちに約束の一時間が過ぎてしまい、隊舎をほとんど見て回れなかった。


 執務室に戻って、気持ち良さそうに寝ているナイトを起こし──「んー」と伸びをしながら夢現に「行こうか」と告げる彼に連れられて、エレノアがやってきたのは皇都ルーチェの街中だった。



「とりあえず、今日は街中を巡回してみようか」


「警備任務……ですね?」



 エレノアが確認すると、ナイトは笑みを浮かべて軽く肩をすくめた。



「まあ、警備のようなもの。うちは主に他の隊がやりたがらない雑務が回ってくるんだけど……配属初日だし、のんびり行こう」



 そう言いつつ、彼は武器を携行していないようだ。



「隊長、武器も持たずに散歩気分ですか?」


「フットワークは軽いほうがいいだろう? 何かあったら、君が守ってくれると期待してるよ」



 悪戯っぽく笑うナイトに、エレノアは頭が痛くなったが──言い返す気力もない。



「……了解です」



 結局、エレノアは渋々頷いて、彼の後を追った。


 ルーチェは皇族の住まう〝アウローラ城〟の麓に作られた城下町だ。

 市壁の内側に様式美を追求したレンガ造りの街並みが広がり、街の中心には清涼な川が流れている。


 そして、大魔術師が建国した皇国は、〝魔術〟を要とする国だ。

 要所にその技術の粋が詰まった〝魔道具マディアナ〟が使われており、景観美と利便性を兼ね備えた華やかな都だった。



(ここへ戻るのは士官学校を卒業して以来……数ヶ月ぶりか)



 久方ぶりに訪れた皇都は、子ども達が川沿いを笑いながら駆け抜け、商人の威勢の良い呼び込みが道端で響く。

 戦地から遠く離れたこの地には、とても活気に満ちあふれている。



(……平和だな。戦争をしているなんて、嘘みたいに)



 最前線で日々血を流す兵たちの姿が頭を過り、エレノアは人々の賑わう光景に複雑な思いを抱く。


 王国との戦いは、終わる兆しが見えない。

 これまでも、これからも、領土問題、文化や宗教観念の違いから、争いは幾度となく繰り返されていくのだろう。



(こんなところで腐るつもりはない。前線へ戻る方法を考えないと……)



 そんなことを思っていると、通りの露店から声がかかる。



「いらっしゃい! どうだい、お姉さん!」



 果物を売る太っちょの商人が大振りのリンゴを高々と掲げていた。



「甘くて美味しいよ! 軍人さん、ご苦労様だね!」



 エレノアは戸惑いつつも会釈を返すが、ナイトが軽快に手を振って笑って応じる。

 露店主は楽しげに笑い、「また今度ね」と見送った。


 そういうちょっとしたやりとりが、前線にはない温かさを映すように感じられる。



(……あの戦場と、あまりにかけ離れた光景だな)



 取り残されるような感覚を振り払うように、エレノアは川沿いの橋を渡りながら思考を巡らせる。



(今もどこかで誰かが戦っている。それなのに私は……。お父様の仇を討ち、リヒトを守るって誓ったのに)



 ふと目を向けた先には、仲睦まじく手を繋いで歩く少女と母親らしき女性の姿があった。


 それが、父が生きていた頃の自分と母に重なって見えて、胸が痛む。

 エレノアはそっと首から下げている指輪に触れた。



(……お母様……)



 エレノアの頭に浮かぶのは、死の間際で「ごめんなさい」と繰り返す母の姿。


 貴族である父ブライト・リュミエールと恋に落ち、リュミエール家に迎えられた母ルチア。

 しかし、出自の知れぬ母はリュミエール家の人々に疎まれ、父と駆け落ちして辿り着いたのが辺境のシュトラールだった。



(あの日々は、本当に幸せだった。小さな家で質素な暮らしだったけど、お母様はいつも笑顔だったし、お父様もそんなお母様を見て表情が柔らいでいた。リヒトが生まれて、これからも……あのままでいられると思ったのに)



 けれど、そのシュトラールはもう存在しない。



(あの日、王国軍の襲撃を受けて……。お父様は私達を守る為に──)



 焼け落ちた家、赤く染まる大地。

 王国という存在に奪われ、殺され、壊された。

 その情景を目の当たりにして、エレノアの胸の内にどす黒い感情が渦巻いた。



(王国を憎んだ。何もできない自分が許せなかった……!)



 父を亡くして以来、心身を蝕まれ憔悴してゆく母に対しても、エレノアは無力であった。


 ただ、やり場のない怒りを王国へ向けて吐き出すことしか出来ず──そんな自分を、母は見ていられなかったのだろう。



(……お母様は「すべて私のせいだわ」と自分を責めて、涙ながらに語ってくれた。お母様──ルチア・シエロ・サングリアが歩んだ半生を)



 その時に、エレノアは知った。

 自分に流れる血統の、おぞましい真実を──。


 かくして、すべてを知った時、エレノアの心は認めたくない自分の出自への嫌悪感と、王国への強烈な復讐心に囚われてしまった。



(お母様の幸せを奪い、苦しめた元凶は、私だ。それなのに……)



 母は最期にこう言ったのだ──「エレノア、愛しているわ。……リヒトと幸せに……ね」と。



(お母様は私を愛してくれたけど……あの言葉の裏にある思いを、知る術はない。けれど、私はあの日誓った。父の仇を討ち、母の想いに報いるため、必ず王国を倒すのだと。そうすれば、取り戻せるものがあるはずだから)



 形見の指輪を握り締める。そこに、微かな震えと熱を覚えた気がして、エレノアは眉をひそめた。



「──ノア、エレノア」



 名を呼ばれて意識が現実に引き戻される。頭上から声が降り、見上げるとナイトが覗きこんでいた。



「ぼーっとして、大丈夫?」


「……申し訳ありません、考え事をしていました。大丈夫です」


「そう? でも、顔色が悪いね」



 ナイトが心配そうに眉根を下げる。

 エレノアは申し訳ない気持ちになったが、警戒心を優り「本当に大丈夫ですから」と距離を置いた。



「わかったよ。何かあったら、いつでも頼ってね。俺は君の〝隊長〟だからさ」



 キザったらしく肩をすくめてウインクするナイトに、エレノアはほんの少し呆れ混じりのため息をつく。


 再び、ナイトが歩き出した。その後を追いながら、エレノアはじわりと汗ばむ手のひらを見下ろす。指輪が一瞬、ほのかに光ったような気がする──。



(今、光った? まさか……)



 エレノアは先日の戦場で似たような事があったと思い出す。


 だが、周囲を見回すが、特に異変はない。

 振り返ったナイトが指輪に鋭い視線を送った気がしたが、すぐに柔らかな笑みに戻った。


 その一瞬の冷ややかな瞳に、エレノアは気づけなかった。



「さて、もう少し見回ったらお昼にしようか。エレノア、食べたいものある?」


「いえ……特に」


「じゃあ適当に見つくろうよ。──気楽にいこう、ね?」



 エレノアはひたすらに複雑な感情を抱えんだまま、能天気な口調で会話を繰り出す彼に続いて、穏やかな日常が広がる街を歩む。


 握り締めた指輪は、やはりかすかな熱を帯びていた。

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