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第六話 光を宿す指輪、闇を抱く街

 ナイトは見逃さなかった。

 エレノアの指輪が、一瞬ほのかな輝きを帯びた瞬間を。



(あの指輪、女神の遺物アーティファクトか)



 女神ルクスが残したとされる古代の遺産。

 形状や効果は様々だが、奇跡を呼ぶほどの強大な力を秘めており、希少な品だ。

 危険な物も多く存在するため、皇国政府の厳重管理下に置かれている。


 それだけに、本物が流通することなど滅多にないのだが……。



(見ればわかる。あれは偽物じゃない。正真正銘、本物だ。どういう経緯で彼女が手にしたか、聞かなくても大体予想はつくけど……言及するのはやめておこう)



 ナイトはエレノアに余計な疑問を抱かせないよう、いつもどおり飄々とした態度を貫く。

 視線だけは鋭く周囲を見回しながら、皇都ルーチェの街を歩いていた。


 先程、エレノアに「散歩気分ですか?」と突っ込まれたが、決してそんなつもりはない。

 ナイトはきちんと治安維持のために周囲を観察している。


 途中で軽い軽食を買って、つまみながら市場を巡っていると──。



「銀髪の兄ちゃん!」



 威勢のいい声を耳にして、ナイトはそちらへ顔を向ける。

 活気あふれる店先には新鮮な魚が並び、水揚げされたばかりのような艶が目を引いた。



「久しぶり、おじさん。繁盛してる?」


「おうよ、おかげさまでな! 兄ちゃんは見回り中かい? それとも後ろの嬢ちゃんとデートか?」



 店主が茶化すように尋ねるので、ナイトは笑って肩をすくめる。



「見回りだよ。さすがに勤務中に羽目は外せないしね」


「そう言って、前に別の嬢ちゃんと白昼堂々デートしてたろ、この色男め」



 店主が揶揄すると、ナイトは顎と腰に手を当て、得意気に笑う。



「顔の良さは自覚してる。俺の重要な〝武器〟だからね」



 ナイトが冗談交じりに言うと、店主は途端に真顔になり、エレノアへ向けて声を落とした。



「お嬢ちゃん、気を付けな。こういう男は遊び相手にはいいが、深入りすると痛い目見るぞ」


「ご心配なく。彼は隊長で、私は部下。それだけです」



 どこか冷ややかな響きを帯びたエレノアの言葉に、ナイトは背中に微かな寒気を覚える。

 二人とも勝手に決めつけて酷いなと思いつつ、否定できない部分もあるので苦笑いで済ませる。



「それよりさ、最近何か変わったことはない?」



 話題を切り替えると、店主は腕を組んで少し考え込んだ。



「変わったことねえ……ああ、そういや近くの裏通りに妙な露店ができたって聞いたな。『異国の品を扱ってる』とか」


「裏通りに、ね。うん、是非見に行かないと。詳しい場所は?」



 店主が通りの先を指し示す。



「こっから三つ目の路地を曲がった先、酒場の向かいだよ。……兄ちゃん、おかしな連中には気を付けな」


「ありがと、おじさん。大丈夫、大丈夫」



 ナイトは手を振って魚屋を後にし、エレノアと一緒に市場を抜ける。

 賑やかな通りを外れて路地へ入ると、空気が一気に変わった。


 光の届きにくい古くてカビくさい木造家屋が立ち並び、壁に剝げた張り紙が貼りついている。

 昼間だというのに、そこだけ薄暗い空気が漂っていた。



「ここがさっき聞いた場所か」



 ナイトは念のため警戒を深める。


 年季の入った建物の奥に、小さな酒場があり、その向かいに粗末なテーブルだけの露店がぽつんとある。

 テーブル上には謎の木箱や袋が並び、布をかけているが隠しきれていない。



(いかにも怪しいな……)



 フードを被った浅黒い男が箱の中身を客らしき相手に見せている。

 そこに刻まれた紋様は、どこか禍々しい印象を与えた。



「隊長……あれじゃないですか」



 エレノアの声が後ろから小さく聞こえる。

 ナイトは頷きながら、あくまで軽い調子を装い露店へ近づいた。



「やあ、珍しい品を扱ってるって噂で来たんだけど、見せてもらっていいかな?」



 声をかけると、男は一瞬だけ瞳を険しく光らせたが、すぐに営業用の愛想笑いを浮かべてみせる。



「もちろん見ていきな。ここにあるのは皇国じゃ手に入らない貴重なモノばかりだ」



 箱の中には色の怪しい袋詰めの薬草や液体瓶が無造作に詰めこまれていた。

 鼻を近づけるまでもなく、刺激的な臭いが漂ってくる。



(……やっぱり禁制品か。薬物か、魔術的な効能がある違法なやつも混ざってそうだ)



 ナイトが目を光らせると、エレノアが先に声を荒らげた。



「これはこの国で取り扱いを禁じている物です。商会の許可は得ていますか?」


「へっ……商会の許可? さあ、どうかな」



 男は唇を吊り上げ、ナイトとエレノアを交互に値踏みするような視線を投げかける。

 その態度は挑発的で、どこか自信がありそうだ。


 次の瞬間、男は布を手に取り、こちらへ向かって投げつけた。

 視界が一瞬塞がれ、木箱を蹴倒す音とともに袋の中身が飛び散る。



「待て!」



 エレノアが即座に追いかけようとするが、ナイトは腕を掴み、制止する。



「隊長、離してください! 逃げられます!」


「ダメだ。今は追わなくていい」



 ナイトは低く断言すると、エレノアが納得いかない顔をするのがわかった。

 しかし態度を崩さないまま、男の背が路地の奥へ遠ざかるのを見送る。



「どうして……あんなものを野放しにしていいはずがありません!」



 エレノアが憤る声に、ナイトは静かに視線を向ける。

 木箱や袋が転がっており、薬物の残渣や刻印だらけの木片など、はっきりした痕跡が残っている。



「だからこそ、泳がせる必要がある。下っ端を捕まえても、大元が警戒してすぐ尻尾を隠すだけだ。大元を潰すなら、大局を見ないと」


「そんなの……詭弁です!」



 ナイトはエレノアの怒気を正面から受けとめながら、肩をすくめる。

 彼女の怒りは当然だが、培った経験が告げている。ここでは譲れない。



「これは命令だ。背けば処罰するよ」



 決然と告げると、エレノアは唇を噛みしめて黙った。


 路地の先には男の姿など残っていない。

 ナイトは散乱した袋を見下ろしながら、小さく息を吐く。



「軍が然るべき対策を取られるように、きちんと報告しよう。奴らがこの街に何を流そうとしてるのか……本当の狙いを暴かないとね」



 エレノアは何か言いたそうだが、ナイトの決定を覆せないと悟ったのか、拳を震わせて先に歩き出した。



(相当納得いかないんだろうな……)



 ナイトは心の中で、彼女に申し訳ない気持ちを抱えながら、路地裏を抜けて再び大通りへ向かう。


 ふと空を見上げると、夕陽が建物の合間を朱色に染めていた。



「……今夜も眠れそうにないな」



 ナイトは誰にも聞こえぬように呟き、エレノアの足音に合わせて歩調を合わせる。

 脳裏で思うのは、エレノアの指輪が示す〝可能性〟とルーチェの街に潜むまだ見ぬ〝闇〟。

 どちらも、ただの小手先では暴けない。



(だけど、引きずり出してやるさ。……もしかしたら、大きな陰謀に繋がっているかもしれないね)



 そう感じながら、ナイトは一歩ずつ先へ進む。

 これは、新たな転換点へ踏み入れる第一歩であった。

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