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第七話 密輸の海路に潜む影 ≪前編≫

 満天の星を遮る雲が空を覆い始めた頃。


 ルーチェの北に位置する貿易港カンデーラは、日中の喧騒を忘れたかのように静まり返っていた。

 通常ならば活気がある年季の入った桟橋も、夜陰の帳が下りると人影は疎らになる。


 そんな薄暗い埠頭ふとうへ、ナイト率いる〝ヴェイン〟のメンバーが足を踏み入れた。



(港自体はそれなりの規模だが、ここは異国との貿易が盛んだ。密輸を行うには最適だろうな)



 ナイトは港全体を見回しながら思考する。


 染みついた潮の香りと、微かに耳を打つ波の音。

 いつもは魚や香辛料、武具などを積む商船が停泊しているが、今は閑散としており、不穏な静けさが漂っていた。



「隊長、どうします? そろそろ動きましょうか?」



 声をかけて来たのはアリファーンだ。

 彼女こそは数日前、ナイトがエレノアと街の巡回中に遭遇した密売人の痕跡を追って、この港を突き止めた功労者。


 ふわりとウェーブのかかったヘーゼルナッツの髪を靡かせた彼女はとても妖艶で、夜目を利かせる諜報員らしく闇に紛れ込む姿が自然だ。



「そうだね。まずは、事前の打ち合わせ通り配置につこう。アリファーン、もう一度周辺を回って敵が増えていないか確認を頼む。倉庫の裏手まで念入りに探ってくれ」


「了解。何かあったら、リンクベルで知らせるわね」



 アリファーンは紅玉ルビーの瞳を細めて艶やかに微笑み、ひらりと身を翻して闇へ消えていった。


 次いでナイトは視線を港の時計塔へ向ける。


 ここから視認はできないが、頂上にはヴァンが待機しているはずだ。

 毒舌家だが狙撃の腕は超一流。港全体を睨む絶好の場所を確保している。



(性格に難ありだけど、ヴァンは仕事に関しては誰よりも完璧だ)



 苦笑しつつ、ナイトは背後へ振り返る。

 そこにはブロンテとスティーリア、対照的な二人の姿があった。


 ブロンテは大柄な体格で、薄汚れたマントを羽織り、落ち着かない様子でフードの中から優し気な琥珀色アンバーの瞳を覗かせている。



「隊長、ボ、ボクは、どの辺で待ってたらいいだろか? あんまり細かい策は、苦手なんで、い、言われたとおり動くからさ」


「ブロンテは海沿いの通路を塞いでほしい。ヴァンの初弾に合わせて突撃だ。でも、相手はただのチンピラじゃないはずだ。むやみに殺す必要はないけど、激しく抵抗するなら容赦はするな」


「わ、わかった。手加減は苦手だけども、やってみるよ」


「頼んだよ」



 ブロンテは頼もしげに胸を叩いた。

 ナイトは続けてスティーリア──薄手のローブをまとい、分厚い本を抱えて立つ小柄な少女へ視線を向ける。


 彼女の頭の両サイドで纏めた縦巻きの白金髪と白い肌が、暗がりの中で不思議な存在感を放っていた。



「ティア、魔術の準備はいい?」


「……いつでも、大丈夫。魔術は一回。隊長マスターが合図するまで、待ってる」


「うん。もしもの時はお願いするよ」



 スティーリアは無言のまま小さく頷き、抱えた分厚い本を開く。


 彼女の魔術は絶大な威力を持つ代わりに生命力を削るという大きな代償がある。

 ナイトはその事を誰よりも理解しているため、彼女に多くを求めたくはなかった。


 こうして、第零番小隊「ヴェイン」の隊員は、各自の配置についた。


 ナイトは桟橋から少し離れた倉庫前の影、港を一望しながら状況をコントロールできるポジションへ身を顰める。


 エレノアはこの作戦に呼んでいない。まだヴェインの〝本当の任務〟を任せる段階じゃないと、ナイトは判断したからだ。



(今夜の遊び相手は、先日出くわした密売人の男が逃げ込んだ先……どうやら大きな密輸組織の一端らしい。しかも、調べた限りでは皇国内部に手引きする者がいる。──さて、どんな顔を見せてくれるのやら)



 ナイトはわずかに口元を上げて、周囲の闇を見渡す。

 入り江に面したこの港は潮の流れが独特で、船の揺れる音が時折耳を打つ。


 しばし、音を楽しんでいると、リンクベルに囁きが届いた。



『隊長、船着場の周辺に十人ほどいるわ。皆、武装している。あと例の箱以外にも大きな檻が船に積まれてるわね。……生きた〝何か〟を入れてる。吠え声らしき音も聞こえたわ』


「……生物いきものの密輸、ね。あまり当たって欲しくない予想だけど、十中八九〝魔獣〟だろうね」


『ええ、サンクリッド王国の装備を持った連中も混じってるし、当たりでしょうね』


「ありがとう、アリファーン。引き続き、作戦開始まで監視を続けてくれるかな」


『オーケー。──そろそろ動きがありそう。合図を待ってるわ、隊長』



 通信が途切れると、ナイトは眉を寄せる。やはり内部に協力者がいる、という嫌な確信が強まる。



(こんな場所から魔獣を持ち込もうとしているなんて……イカれてる。皇国を恐怖に陥れるつもりか?)



 そこから相手の動向を窺い、時間にして十数分後。

 海風がやや強まり、倉庫と桟橋の隙間を抜けるように吹き荒れ始めた。


 遠くから怒声混じりの声が聞える。

 どうやら船から降ろそうとしている荷が上手く運べていないらしい。ここが付け入る隙だ。



「──よし、行くぞ。開幕のを鳴らせ!」



 ナイトはリンクベルを使って指令を送る。


 パァン──!


 時計塔に潜むヴァンが、一発目の銃声を鳴らした。

 鋭く乾いた音が港の夜を裂き、見張りをしていた男が膝をついて倒れる。



「う、うわっ!?」


「敵襲だ! 何者かが狙撃してくるぞ!」



 密輸人たちが慌てて声を上げる。

 そこへ、倉庫の影に潜んでいたブロンテが吼えるような声を上げ、突進を始めた。



「うおおぉぉっ!」



 豪腕を振るい、一気に敵陣へ食い込むブロンテ。

 鍛え上げられた彼の体躯が、二人、三人と相手を吹き飛ばした。


 騒ぎを聞きつけた他の密輸人たちが武器を構える。

 だが、その頭上から二発目の狙撃が撃ち下ろされ、即座に行動不能へ追い込まれる。



「ぐは……っ」


「くそっ、どこから狙ってるんだ!」



 悲鳴と混乱が起こる中、ブロンテが海沿いの通路を封鎖する形で立ちはだかる。

 鍛えられた腕が一振りされるだけで、軽装の密輸人はひとたまりもない。


 なかには物陰を縫うように背後を取ろうとする者もいたが、再度ヴァンの正確な銃撃がそれを許さなかった。



「ヴァン、ナイス援護! ブロンテ、油断して怪我するなよ! 生け捕りにできそうならよろしく!」



 ナイトは周囲の兵力が手薄になったのを見て、船着き場へと駆け出す。渡り板を駆け上がって甲板へ上がると、大量の木箱の中に一際大きな鉄檻があり──中で黒い巨大な影がうごめいていた。



(サンクリッド王国の猛獣使いテイマーに使役された魔獣だな。まさか、こんな形で皇国に持ち込まれているなんてね)



 ナイトが息を呑んだ矢先、檻の前にいたリーダー格の男が声を張り上げた。



「野郎ども、ビビるんじゃねぇ! 相手は少数だ、潰せ! ……船に入り込んだネズミは、生かして帰さねえよ!」



 男が角笛を吹き鳴らした。

 檻に施された魔術封印がバチッと火花を散らして解除され、大型の獣が咆哮を上げる。



 「グルルル……ガァッ!」



 ガチャン! と不吉な金属音。

 ナイトに警鐘が走る。



(マズい……思ったより動きが速い!)



 しかし気づいた時には、魔獣が距離を詰めており、一撃をナイトへ叩きつけていた。

 耳の奥に鈍い音が反響する。



「ぐっ……!」



 身体が宙を舞い、船体へ叩きつけられる。

 ひゅっと息が詰まり「パリン!」と甲高い破裂音が響き渡った。

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