耳元で砕け散った破片が、パラパラと地へ落ちる。
幸いにも怪我はない。
身に着けていたピアス型の
「……いったた、いきなりじゃれついてくるのは止めて欲しいな……!」
ナイトは拘束から解き放たれた猛獣、燃え盛るたてがみを纏う獅子、一般的に
(ティア特製の〝
「逃がすなよ、行け!」
刹那、思考を巡らせている間に、男の指示に従って
回避はナイトの反応速度では間に合わない。
もう一発、受けるしかないと身構えたところで。
「おいたはダメよ?」
声と共に
アリファーンの暗器だ。
彼女は音もなく現れ、いつの間にかナイトの前へ立っていた。
「アリファーン、助かった」
「隊長を危険に晒すなんて、ヴァンとブロンテは何をしているのかしら」
「二人は悪くないさ。俺がちょっと先走り過ぎたんだ」
現にブロンテが敵を片付けてこちらに追いつき、足を止めた
「ちぃっ! 一体では分が悪いか……ならば!」
リーダー格の男が再度、角笛を吹き鳴らす。
すると、幾つかの木箱が光を放ち、獣の咆哮が響いた。
どうやら木箱に扮した檻のようである。
「さすがに数を揃えて来られたら厄介だな……。一発ですべて片付けるしかない」
それが出来るのは──ただ一人。
「ティア!」
ナイトは咄嗟に幼い魔術師を呼ぶ。
と、スティーリアはひょこりと姿を現し、ナイトが目配せをすれば首を縦に振って、分厚い本を開いた。
「足止めは私とブロンテにお任せくださいな、隊長」
指示を出すまでもなく、アリファーンが動き、颯爽と跳び上がり、両手に構えた
そしてブロンテが屈強な肉体を活かして、鋭い爪と牙を剥き出しに暴れる獣を殴打した。
その間に、スティーリアの澄んだ音色が魔術の文言を、紡いでゆく。
『……約定に従い、この力を解き放たん。
稲妻の光が花びらを照らし、雷鳴がその開花を告げる。
いざ咲き誇れ、雷の花よ。
我が声に応えよ──!』
少女の小さな手が淡い光を帯び、強烈なマナの風が吹き荒れる。
『
夜の港を燦然たる紫電の火花が一瞬にして包み、雷光が密輸人もろとも獣を焼き尽くさんばかりに広がった。
美しくも恐ろしい、稲妻の花──。
密売人達の悲鳴が響き渡り、
「
「す、すごい……」
ブロンテが感嘆を漏らした。
確かに何度見てもスティーリアの魔術は凄まじい威力だ、とナイトも冷汗を流す。
薄煙が晴れると魔獣は倒れ込んでおり、リーダー格の男も力尽きたのか、頭から煙を立てて地面に伏していた。
息を切らした様子のスティーリアが本を閉じる。
そんな彼女の頭を撫で「ありがとう」と礼を述べると、彼女は頬を赤らめてこくりと頷いた。
「……これで動きは止まったかな?」
ナイトは周囲に目を凝らす。
密売人の殆どは無力化できたようだが、運よく魔術から逃れ震えながら逃走を図る者がいた。
アリファーンがすかさずその者を追って優雅な動きで逃走経路を塞ぎ、ブロンテが「ご、ごめんよ……」と言いながら羽交い絞めにして意識を喪失させていた。
やがて、祝砲にも似た銃声が一発、鳴り響き。
狙撃に特化したマナ装填銃を抱えたヴァンが、黒いローブをはためかせて降りてきた。
風の魔術を使ったのだろう。
そして、彼がここへ来たという事は、一帯の敵が沈黙した事を意味する。
「お疲れ様、ヴァン」
労いの声を掛けるも、ヴァンは反応することなくナイトの横を通り過ぎ。
「ふん……手間を取らせやがって」
倒れたリーダー格の男を足で小突いた。
ブロンテが顔を青くする。
「ら、乱暴はよくないよ」
「あァ? テメェもさっきまでブチかましてだろーが。良い子ぶってんじゃねェぞ」
ギラリと
戦闘時の豪快さはどこへやらである。
「はいはい、そこまでにしてよ。その男からは情報を聞き出さないといけないからさ」
「わーってるよ、リーダー」
舌打ちしたヴァンにナイトは
命に別状ないようだ。
それから、ナイトは隊員一人一人に視線を走らせて、深いため息をつく。
全員無事で良かった、と。
「さて、本隊もそろそろ来る頃かな。手柄はいつも通り譲るとして、こいつらへの尋問の優先権を貰おう。この魔獣と禁制品がサンクリッド王国のものなら、裏で繋がってる〝誰か〟がいるはずだ」
するとアリファーンが「そういえば、奥で面白い書類を見つけたのよ」と一枚の紙をナイトへ差し出した。
見覚えのある刻印と、何やら暗号のような文字列が書かれている。
「この刻印……皇国軍に所属する兵の紋章か」
「ええ。誰かが敵国と取引していたのは、もう疑いようがないわね」
これは動かぬ証拠だ。
ナイトは改めて味方の裏切りを確信する。
「いい仕事だよ、アリファーン。これで証拠は揃った。あとは帰還してから……」
「──ふ……ククッ」
ナイトの言葉を不気味な笑い声が遮った。
地面に倒れ込むリーダー格の男だ。
まだ意識を保っていたらしい。
男が力を振り絞って顔を上げ、苦し気に唸りながら言い放つ。
「……お前たちは、まだ何も知らない。……すべて、あの方の
「あの方だって?」
「ク……クハハッ! せいぜい足掻け……愚かな女神の信徒ども……! お前たちに待ち受けるのは、絶望だ! 終末の鐘の鳴る日が、楽しみだなぁ?」
怨嗟のこもった言葉を吐き出し、男は意識を失った。
言葉の意味を測りかねて、ナイトは黙考する。
しかし、この場でどうこう考えても仕方がない。
彼らを尋問すれば〝あの方〟が誰であるかも割れるだろう。
ナイトは頭を振って気持ちを切り替え、部下たちに向かって声を張り上げる。
「よし、作戦完了だ。ブロンテ、魔獣を檻に。拘束具もしっかり嵌めてね。ヴァン、逃げる奴がいないか改めて確認。アリファーンは書類を回収して。……ティア、大丈夫かい?」
力を使い果たしたスティーリアは、ふらふらとした足取りで大きなあくびをしている。
まるで眠くてたまらない子どものような彼女を、ナイトは支えた。
「……少し、眠るね。おやすみ、
呟きを残して、スティーリアは
すぐに規則正しい寝息が聞こえ始める。
ナイトはふっと微笑み「おやすみ」と告げて、自分の上着を羽織らせた彼女を船体へもたれかけさせた。
(ここからが本番だな。この密輸事件の黒幕が誰で、内部の裏切り者が何を企んでいるのか……)
見上げれば、雲間から顔を覗かせた月が淡い光を港に落としている。
闇が深ければ深いほど、灯された微かな光が浮かび上がるように、事態はさらに先へと進むだろう。
ナイトはリーダー格の男の言葉を
(王国の魔獣を皇国へ運び込むなんて、一兵士が独断でできることじゃない。……恐らく、権力者が絡んでいるな。思ったよりも、根が深そうだ)
密輸組織の摘発は始まりに過ぎない。
ナイトは胸の奥でくすぶる疑念に警戒を強めながら、薄暗い夜の海へ目を凝らした。