エレノアはアリファーンと共に皇都の北区へ足を運んだ。
そこは、近年の戦争の影響で増えた孤児たちを保護するため設立された小さな孤児院がある場所だ。
古い石造りの建物には増改築の跡が見られたが、ところどころに新しいレンガが組み込まれており、違和感なく馴染んでいる。
「ここが孤児院……?」
門をくぐりながら、エレノアは少し意外に思った。
もっと荒れ果てた感じを予想していたが、周囲の庭先には花やハーブが植えられ、よく手入れが行き届いている。
温かな人の気配が感じられ、無機質な軍施設とはまるで違う雰囲気だ。
ここに来ても、エレノアの胸には復讐への渇望がずっと燻っている。
(こんなことをするために、軍人になったわけじゃないのに)
今日の任務が、ただの奉仕活動だという事実を、どうにも受け入れがたかった。
「おはようございます」
柔らかい声が響き、エレノアの意識が引き戻される。
見ると、エレノアの先を歩いていたアリファーンが、院長らしき初老の男性に向かって挨拶をしていた。
「お待ちしておりました。本日はよろしくお願いしますね」
院長の笑顔は人柄を映すように暖かく、思わずエレノアも頭を下げた。
周囲を見渡すと、門から建物の玄関先にかけて掃除が行き届き、落ち葉一つ落ちていない。
案内された建物の内部は、床に敷かれたマットや壁に飾られた絵などが整然としていて、まるで小さな学校のようだ。
子どもたちが描いたと思われる笑顔の人物や動物の絵が、別世界を創り出している。
「姉ちゃん、来たー!」
「アリファーン姉ちゃん久しぶり!」
奥から甲高い声が聞こえるや否や、数人の子どもたちがバタバタと駆け寄って来た。
そのままアリファーンの腰に抱きついたり手を引っ張ったりしている。
アリファーンは慣れた様子で、彼らと目線を合わせるように屈み込んだ。
「みんな元気だった? ちゃんとお勉強してる?」
「もちろん! ねえ、今日はナイト兄ちゃんは来ないの?」
「残念だけど、隊長はお仕事があるの。代わりに、今日は新しいお姉さんが一緒よ」
子どもたちの興味がエレノアへ向けられる。
アリファーンの目配せに、エレノアは少し緊張しながら口を開いた。
「えっと……エレノア・リュミエールです。よろしく……」
子どもたちは遠慮のない好奇心を向けてくる。
エレノアはどう振る舞えばいいか戸惑い、硬直してしまう。
貴族、軍人としての礼儀作法は完璧に身についている。
でも──こんな場面では、どう振る舞えばいのかわからない。
歳の離れた弟とも、このように過ごした事はない。
「わあ、お姉ちゃんすごく綺麗な目してる!」
「ピンクの髪! お姫様みたいー!」
「一緒に遊んで!」
容赦なく手や腕を引っ張られ、エレノアは流されるように子どもたちの輪へ混ざる。
アリファーンが苦笑しながら「頑張ってね」と声をかけきて、振り返って視線が交わった時、彼女はほんの少しだけ意地の悪い笑みを浮かべていた。
「鬼ごっこしようよ!」
「かくれんぼがいいなあ」
「お姉ちゃん軍人なんでしょ? めっちゃ強い?」
「え? うん、まあ……」
「どれくらい強いの? 魔獣とか倒せる? ねえねえ!」
言葉が多すぎて頭の中が渦巻く。
エレノアはどう返事をすればいいのか分からず、「ああ」「うん」と頷くだけ。
子どもたちは素っ気ないと思える返しも気にせず、こちらの手を引いて走り回った。
「お姉ちゃん、こっちこっち!」
「ま、待って。あまり引っ張らないで……!」
少し厳しめの口調にも、怖がる様子がなく楽しそうに笑っている。
その無邪気さがエレノアには新鮮だった。
戦場で受けた血生臭い感覚とは、あまりにもかけ離れている。
だが、少なくとも子どもたちの屈託のない笑顔を見るのは、悪いものではないと思えた。
そう思っていると、小柄な男の子が袖を引っ張った。
「ねえ、お姉ちゃん、戦場でいっぱい敵を倒したの?」
「……え? そ、それは……」
返答に詰まる。
子どもらしい純粋な疑問だが〝復讐のために剣を握った〟現実をどこまで話していいか迷った。
苦笑い気味に口を閉じると、男の子は不満げに「むー」と唸る。
「ナイト兄ちゃんはいつも弱いフリしてるけど、本当は強いんでしょ? お姉ちゃんも強いんだよね」
「……そう、ね。強い……かも」
「じゃあまた王国をやっつけてくれる? 悪い人たち、ボクも嫌いだよ」
王国を〝やっつけて〟という子どもの無邪気な一言が胸を抉った。
言葉がうまく出てこない。
(私は、王国を憎んでいる。でもこの子は……ただ符号のように〝王国が憎いから倒して〟と言っているだけ……)
覚悟を決めた自分とは違うのだ。
エレノアが答えられずにいると「お姉ちゃん?」と男の子が首を傾げた。
だが、何を迷う必要があるのだろうと思い至る。
自分がやるべき事は一つだ。
「……うん、お姉ちゃんに任せて。悪い人をやっつけるよ」
男の子は満足したのか、「約束だよー!」と笑い走り去った。
これでいい。
これでいいはずなのに──エレノアの心はざわつき、罪悪感にも似た後ろめたさを感じていた。
やがて昼時になり、みんなで簡単な昼食を頂くことになったのだが、ここでもエレノアは子どもたちの言葉攻めに合う。
「姉ちゃん、お肉もっと食べる?」
「ねえねえ、こっちのサラダも美味しいよ!」
「髪サラサラだね!」
(……元気すぎるだろう……せめて、一人ずつ……)
返しきれないほどの声に、内心でため息をつく。
居心地が悪いというよりは上手く対応出来ない事への不甲斐なさから来るものだ。
(本当に……ここで何をしているんだろうな……)
モヤモヤした気分を抱えたまま、昼食の時間は過ぎて行き──。
昼食後、子どもたちのお昼寝の時間となった。
孤児院のスタッフが部屋を少し暗くして、マットの上へ寝そべる子どもたち毛布をかけてあげると、元気に走り回っていた子どもたちがあっという間にまどろみに沈んでいった。
エレノアはほっと安堵する。
同時に肩の力が抜けてゆくの感じながら、そっと子どもたちが寝静まる部屋を出た。