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第十一話 無邪気な瞳、復讐の招く闇 ≪後編≫

 慣れないせいもあるのだろうが、たった数時間、一緒に遊んだだけなのに疲労感が凄い。



(疲れた……訓練よりも体力を使った気がする)



 こめかみを抑えて項垂れるエレノアの耳に、くすくすと笑う声が響く。

 気配を感じて視線を向けると、アリファーンが壁にもたれかかっていた。



「お疲れ様。初めてにしては、よくやっていたじゃない」


「……ありがとうございます。貴女は、慣れているのですね」


「まあね。私も孤児院出身だもの。子どもたちを見るのは慣れているわ」



 さらりと何でもない事のように語る彼女に、エレノアは息を飲む。

 この戦時下で珍しくはないが、どう返していいかわらず、押し黙ったまま通路の奥へと歩みを進める。


 中庭に出ると少しばかりの花壇があり、彩り豊かな花々が植えられていた。

 やわらかな日差しと、子どもたちの遠い寝息が微かに聞こえる穏やかなひととき。


 しかし、エレノアの胸は重苦しさを拭えず、まるで抜けない棘が刺さっているかのようにじくじくと痛む。



(こんな時間を過ごすために、軍人になったわけじゃないのにな……。私の目的は、王国への復讐だ)



 だというのに、転属させられてこれまでにこなしてきた任務は、街の見回りや使い走り、今回のような奉仕活動など。

 剣を握る機会すら与えられていない。


 街中で禁制品の密輸人を見つけたことはあったが、上層部へ報告するだけで終わり、その後どう処理されたかはわからない。



(──飼い殺しにされている気分だ)



 指に触れる鎖の先、母の形見の指輪を握りしめたくなる衝動を抑えられず、エレノアはそっと手を伸ばす。

 白銀の指輪は、自分に復讐を誓わせた決意の証でもある。


 しかし、その輝きを見ていると、何故か今は心がざわついた。



「不満なの?」



 唐突に投げかけられた声に、エレノアは振り返る。

 アリファーンが静かな足取りで距離を詰め──エレノアの顔を覗き込んだ。

 彼女の表情は冷ややかである。



「……当然です。こんな雑務をこなすために、私は軍人になったのではありませんから」



 吐き出した心の底にある苛立ちに、思わず語気が強くなった。

 エレノアはハッとする。孤児院の出身であるという彼女を前に、失言だ。

 アリファーンは眉を寄せて、明らかに不快感を露わにしていた。



「雑務、ねぇ……。貴女、イーリスの惨劇は知ってるでしょう? ここの子たちの大半は、あの時の生き残りなの」


「イーリス……五年前、ですよね、我が軍の攻撃に対し、王国側が報復としてイーリスを滅ぼした史実。……あれは虐殺に近い、凄惨な有様だったと習いました」



 シュトラールと同じように、近年の歴史書で度々取り上げられる暗い事件だ。

 憎しみの炎がエレノアの心に灯る。

 やはり、王国は非道で卑劣極まりない相手なのだと、再認識した気分だった。



「表向きはそうね。けど、報復に繋がった本当の理由は伏せられている」


「本当の……?」



 アリファーンの瞳が、遥か遠くを見つめるかのように空を仰いだ。

 その横顔は儚く、色濃い悲しみを滲ませている。



「とある軍師が進言した〝殲滅作戦〟よ。彼の動機は……復讐。戦争で家族を奪われた怒りを、王国の民全てに向けたの。イーリスの惨劇なんて、目じゃないわ」



 すっと、光を無くした昏い瞳が、エレノアを射抜く。

 極寒の冬を思わせる冷たさに背筋が凍り、唇も上手く動かせなくなる。



「あなたも復讐が目的なのでしょう? 別に止めはしない。でも、周りに迷惑をかけるのはやめて。もしあなたがそういう行動に出れば、また同じような悲劇が繰り返されるかもしれない。……隊長は──」



 そこでアリファーンが言葉を止めて、水面のように揺らぐ紅玉ルビーの瞳を伏せた。


 ここでどうして隊長の名が出て来るのか、そして彼女が何かを思い出して悲しんでいるように見えるのは何故か、推し量れない背景にエレノアは混乱する。


 一呼吸おいて、開かれた彼女の瞳は鋭い光を帯びていた。



「あなたが雑務と思っている任務は全部、大切なことばかりよ。こういう地道な支援だって、無駄なことは何一つないわ」



 アリファーンの言葉は真っ直ぐだ。

 反論しようとするが、何も出てこない。

 悔しさと、ある種の恐れがエレノアの胸を焼いた。



「にもかかわらず、貴女はそこを理解しようともせず、自分の事ばかりね。隊長が信用しないのも納得だわ」


「……それ、は……、どういう意味ですか」



 ようやく絞り出した言葉は、震えている。



「記章を貰えていないのが何よりの証拠でしょう?」



 そう言って、アリファーンは自分の左胸を指差した。

 金属製の小さな装飾──第零番小隊“ヴェイン”の隊員であることを示す記章が飾られている。


 ナイトもこれと同じ物を同じ位置につけていた。


 だがエレノアは、隊員の証であるそれをまだ貰っていない。



「……っ!」



 ドクリと心臓が脈打った。

 エレノアは記章のない自分の胸元で拳を握りしめる。


 ヴェインの噂にいい評判は聞かなかったし、特殊部隊という噂も眉唾物に思っていた。


 実際に蓋を開けてみた後も、その印象は変わらず。

 だから転属には不満しかなくて、信用が欲しいと思った事もなかった。


 しかし、何故だろう。

 悲鳴に近い何かが喉の奥から飛び出そうになる。



「どう、して……」



 無意識にこぼれた言の葉に、アリファーンが鼻を鳴らして笑みを作る。



「どうしても何も、当たり前じゃない。信頼とは互いを信じる心の等価交換で成り立つものよ。嫌悪感丸出しの相手に、それが出来るかしら? だから、実力を持ちながらも、貴女は密輸組織摘発に呼ばれなかった」


「密輸組織の摘発……? あれは報告して終わったはずで……」


「昨日の夜、私たちで解決したわよ」



 数日前、街の裏通りで見つけた禁制品の売人を追おうとして、ナイトに止められたあの事件。

 彼が上層部に報告を上げて、進捗の分からないまま時が過ぎていたのだが──まさかアリファーンたちが極秘で動き、解決していたとは思わなかった。



「隊長はあなたを戦力外と判断したのね。危険な任務に連れ出して周りに被害が出ても困るから。ほら、信用されてない。実力はあるのに、可哀想ね」



 嘲笑う声が耳に付く。

 悔しいのか、悲しいのか、自分でもよくわからない感情が渦巻いている。



「よく考えなさい。あなたの力は、どこへ向かうの? 自分の復讐のためだけに振るうなら、いずれ大きな悲劇を生むでしょうね。──私は忠告したわよ」



 何か言わなければ、とエレノアは思うが、上手く言葉が紡げない。


 険悪な沈黙が漂う中、スタッフが「あ、そろそろ午後の手伝いを……」と声を掛けに来た。

 アリファーンは何か言いかけたようだったが、結局、口を閉ざして無言のまま踵を返す。


 エレノアは唇を噛んでその背中を見送るしかなかった。

 頭の奥で「力の使い方を考えなさい」というアリファーンの声が反響する。



(……自分が何のために剣を握るかなんて、分かっているはずなのに……)



 「あの……大丈夫ですか?」とのスタッフの呼びかけに、エレノアは苛立ちや悲しみを抑え込んで静かに頷いた。


 そして、アリファーンと視線を交わすことなく、後片付けや事務的な作業を手分けして終わらせて行く。


 明るい光に彩られた孤児院とは対照的に、エレノアの視界は薄暗い靄に覆われ、胸の奥では先ほどの言葉が燻る火種となって小さく燃え続けていた。



(どうして、こんなにも……痛いのだろう……)



 理由なんてわからない。


 エレノアは深く息を吐き、「今は任務をこなすしかない」と自分に言い聞かせる。


 ──そうして、微かな震えを隠すように背を伸ばし、心に刺さった棘が生み出す熱を感じながら、エレノアは黙々と与えられた仕事をこなした。

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