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第七話 誘い込まれた罠

 エレノアは鉄と土の匂いが漂う茜色の荒野を、厳しい表情で見渡した。


 今回の任務は皇都より南、辺境のルゼマーレ公爵領を越えて国境を出た先。劣勢を強いられている友軍の撤退を援護すること。


 ここは王国軍が拠点とするグランツ砦が近く、いつ敵に包囲されてもおかしくない危険地帯だ。


 ヴェイン小隊の面々——ナイト、アリファーン、ヴァン、ブロンテ、そしてエレノアを含めた五人は、隊を二手に分けて友軍の退路を確保していた。


 アリファーンとヴァンは砦近くの見張りの排除を、エレノアとブロンテは撤退する友軍の殿を担い、ナイトが小隊の連携を総括している。



『ここまでは順調だね。被害も最小限で済んでいる』



 エレノアは、通信の魔道具リンクベルから響く落ち着いたナイトの声を、今しがた斬り伏せた敵を見下ろしながら聞いていた。



『エレノア、ブロンテ、敵の追撃の勢いはどう?』


「問題ありません、全て処理しました」


『こ、こっちも大丈夫……!』


『オーケー。引き続き警戒を頼むよ』



 「了解」と短く告げて、刃を濡らす血潮を振り落とす。そして一定の距離を保って、エレノアは友軍の後を追った。


 探知魔術に敵の反応は今のところない。荒野から樹木が林立する森へ入った味方部隊は、危なげなく撤退ルートを辿りつつある。



(……今回の任務も楽に終わりそうね)



 正直、つまらない。エレノアは張り合いのなさを感じていた。


 ヴェイン本来の任務に参加させてもらえるようになってから、もう二週間以上が経つ。


 その間に数多くの任務──敵将の暗殺、王都に潜む密輸犯の摘発、辺境の街で王国の間諜の排除など──をこなしたが、一部を除いて、さしたる危険を伴うほどではなかった。



(私は、もっともっと、戦えるのに)



 復讐の炎がちりちりと胸を焦がし、燻ぶり続けている。父の仇を取り、母の無念を晴らすには、敵を一体、二体、倒したところで足りない、届かない。


 エレノアは胸元で揺れる白銀の指輪へ手を伸ばす。この冷たい感触が、真に対峙すべき〝敵〟を想起させる。


 打ち倒すべきは、強大な王国そのもの。だと言うのに、いつになったらこの剣を突き立てることが出来るのか。



(もどかしい。一日も早く、この手で復讐を……!)



 感情のまま、戦場へ身を投げてしまいたくなる。だが〝守るべき者弟のリヒト〟の存在がエレノアの理性を繋ぎ止めた。



『エ、エレノアさん! 敵襲だよ……!』



 ブロンテの警告がエレノアの鼓膜を震わせ、思考を引き戻される。エレノアは、即座に戦闘態勢を取った。



(探知魔術の反応は……西か!)



 発見と同時に〝風纏加速レジェ・レゼール〟の魔術を唱え、駆け出す。魔術の恩恵を受けた身体は軽く、一足いっそくで通常の倍以上の距離を跳ぶ。


 程なくして、エレノアの視線の先に赤い軽装の兵と、魔獣の姿が映り込む。サンクリッド王国軍の追手だ。


 一足ひとあし早く遭遇したブロンテが雄々しい叫びを上げて、拳で応戦している。エレノアも参戦すべく地を蹴った。



『ブロンテ、エレノア、状況は?』


「会敵しました。敵は……歩兵十、魔獣五! 大丈夫です、十分殲滅できます」


『無理はしないようにね。危ないと思ったらすぐ下がるんだよ』


「わかっています」



 エレノアはナイトの通信に応答しながら、頭上に振り上げた剣を着地とともに振り下ろす。重力の乗った一振りが断末魔の上げる間を与えず、兵の一人を葬り去った。



「増援か……! 灰狼ガルム!」



 エレノアの死角から、猛獣使いテイマーの操る灰毛に包まれた狼の魔獣が迫る。が、エレノアは鼻を鳴らして身を反転。剣を突き出し、噛みつかんと開かれたあぎとの間から脳天を貫いた。


 剣身を赤い雫が伝い流れる。それを振り払うように灰狼ガルムの身体を地面へ叩き付けて、剣を抜く。



「──次!」



 エレノアは身近な兵を見つけて、剣を振るう。刃が風を切る音に気付いた兵が剣で応じた。得物は同じ。しばし鍔迫つばぜり合うが、勝利の女神はエレノアに微笑んだ。


 相手の剣に亀裂が走り、そのままバキリと折れた。驚愕とする兵を、エレノアは振り抜いた剣で容赦なく斬り伏せる。


 倒れる兵の向こう側に、ブロンテの姿があった。彼は三体の兵を殴り倒し、今度は魔獣を相手にしている。



(この短時間に、ブロンテも流石ね)



 残りは約半数。エレノアは口角を上げ、さらなる標的を探して視線を彷徨わせた。

 すると──視界の端に、どこかで見た焦げ茶色のローブを纏った男が映り込んだ。



「あの男……」



 男は周囲の王国兵へ指示を飛ばしながら、虎のように鋭い三白眼でエレノアを睨んでいる。体中に巻かれた血の滲む包帯の隙間から覗く浅黒い色の肌、頬には十字の傷痕──。


 傍に控えさせている魔獣の特徴は、赤い目が三つ、真っ黒な体毛に包まれ、細く枝分かれした尾。とても記憶に新しい獣だ。



「〝死黒鼠モルトラット〟! じゃあ、あの男は、あの時の……!」



 ドゥエル村で遭遇した〝幻想獣使いコンジュラー〟に間違いない。


 生死不明だと聞いていたが、生きていたのだ。敗北の屈辱が蘇り、胸の奥に激情が燃え上がる。感情を抑えきれず、エレノアは剣の柄を強く握り締めた。


 男もエレノアに気付いたのか、ニタリと笑う。


 だが何故か、負傷しているせいだろうか。こちらに攻め入る様子はなく、一人後退を始めた。



「待て、逃げるのか!」


『エレノア、どうした? 状況報告を!』


「あの時の〝幻想獣使いコンジュラー〟です。後退して行く……追いかけないと……!」


『ドゥエル村の幻想獣使いコンジュラーか? だとしても、深追いする必要はない。今は──』



 リンクベルからナイトの指示が響いたが既に遅く、エレノアは走り出していた。


 幻想獣使いコンジュラーの能力は脅威だ。ここで取り逃せば、再び甚大な被害をもたらすかもしれない。



「その前に私が……討つ!」


『エレノア!』



 手負いならば機はある。使命感と激情が入り混じり、エレノア自身も己の制御を失っていた。


 来た道を戻るように枝葉を踏み分けて、ローブをはためかせた男の後を追う。


 けれど、中々追いつくことが出来ず、付かず離れずの鬼ごっこが続いた。



(くっ……どこまで行くつもり……?)



 時折、振り返る男の顔には余裕が見て取れる。こちらを嘲笑う態度に苛立ちが募り、エレノアの中で焦りが見え始めた頃──。



「エレノア、待て!」



 リンクベル越しではなく、後方からナイトの鋭い声がした。


 手首を掴まれ、引き止められる。


 反射的に彼を見やると、いつになく険しい表情だ。普段なら〝甘い〟と称しても差し支えないほど柔和な人柄だが、今は翡翠色の瞳に明らかな怒りを宿しているのがわかった。



「隊長、止めないでください。あの男を見失います!」



 幻想獣使いコンジュラーの姿が木立の向こうへ消えていく。エレノアは腕を振り払おうともがいた。



「落ち着け。周りをよく見るんだ。


「ですが、あの男は手傷を負っている。ここで仕留めるべきです、私ならやれます」


「君の実力は知っているよ、だからこそ……」


「なら、信じて任せてください!」



 決意を込めた刃のような言葉とともに腕を振り解き、再び駆け出す。ナイトが何かを叫んだ気がしたが、エレノアは振り返らなかった。


 これまでの任務だって、独断を厳しく咎めず許してくれたのだ。今回もきっと許される。


 そんな信頼にも似た甘えが、エレノアの中にあった。


 男の気配はすぐ近く。

 森の開けた場所に出ると、鬱蒼と茂る新緑のカーテンの下に、焦げ茶色のローブを纏った人影が立っていた。



「ようやく追い付いた……!」


「相変わらず勇猛果敢だなぁ、小娘」



 男の宵闇の如き瞳が細められ、不敵に口角が歪む。初めて対峙した時と違って隙だらけだ。


 しかし、構うことはないと、エレノアが一気に距離を詰めようとした、次の瞬間。



『零落せよ、栄光を冠する者……!』



 男が唸るように文言を紡いだ。エレノアの足元に緻密に刻まれた紋様が浮かび上がり、燦然と光を放つ。



「な、何……!?」



 ナイトの警告が脳裏を掠める。咄嗟に場を離れようとするが、もはや手遅れだった。


 視覚化した重々しい光の鎖が顕れてエレノアの身体を縛り上げる。逃れようとするが叶わず、それは体内へ溶け込むように消えてゆく。


 途端に全身を締めつける圧力を感じた。剣を握った指先から力が抜ける。



(くそ、身体が……)



 エレノアは立っていられずに、膝を折ってしまった。


 加えて、体内を流れるマナが堰き止められる感覚があり、発動していた魔術の効果が掻き消される。


 息苦しさとしびれが全身を蝕む。どうにか対抗できないかと魔術を発動しようとするが──無駄だった。


 奇跡を為すため女神の名を紡いで詠唱してもマナが応えることはなく、まるで意味をなさない。



(やられた、〝魔術阻害インヒビション〟か……!)



 エレノアが歯を食い縛って男を睨むと、男は「ククッ」と喉の奥を鳴らして笑った。



「単純だがぁ、あからさまな誘いに乗ってくれてぇ、助かったぜ」


「お前……!」



 視線の先、男が聞き慣れない言語で〝何か〟を口早に唱えている。大気のマナのさざめきに、エレノアの本能が「逃げろ!」と激しく警鐘を鳴らした。


 しかし、身体が言うことを利かず、動くことが出来ない。リンクベルの通信も、気付けば先程から繋がらなくなっている。


 背中にひやりと嫌な汗が伝った。



「悪いがぁ、お嬢に言いつけられてるんだ。見逃してやらねぇよ」



 男が指先を弾く仕草を見せると、足下の紋様が広がりを見せ、眩しい閃光が迸る。

 エレノアは思わず目を覆った。強力な引力に似たマナの奔流が生まれ、浮遊感に襲われる。



「まさか、転移の魔術!? こんな高位魔術、どうやって──」



 唖然と呟いた瞬間、光の渦へ飲まれた。



「エレノア!」



 脳が揺さぶられ、視界が歪む光の中、ナイトの声が耳元で弾ける。


 伸ばされた彼の腕が、自分を掴み包み込む気配がした。


 だが、エレノアの意識は真っ白に染まりゆく世界に塗りつぶされ──。


 状況を正しく認識する前に、途切れてしまった。

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