ナイトは、撤退する友軍とともに移動していたのだが──。
〝ドゥエル村で遭遇した
茜差す葉が風に揺れる様は、どことなく不気味さが漂っている。
そして、不自然なマナの流れが木立の間を抜けていくことに、疑問を覚えた。先程通った時には感知しなかった異常だ。
(このマナの流れ……何らかの魔術が発現しようとしているのか?)
直感と積み重ねた経験が告げている。〝敵の罠〟が存在することを──。
嫌な予感がした。こういう時の感は外れたことがない。
ひとまず「みんなに連絡を」と思い、ピアス型のリンクベルに触れるが、何故か作動しなかった。
(急いだほうがいいな……)
焦燥感に駆られながらも冷静に、胸に飾ったヴェインの記章──〝身に付けた仲間の位置を特定できる〟という探知魔術の効果を持った
すると、金属面に塗料としてあしらわれた微細な
こちらは無事に作動したことにほっと胸を撫で下ろしつつ、エレノアの姿を探す。
(────ここから、南西か)
彼女はさらに南へと移動を続けている。
ナイトは身に付けた
❖❖❖
──そうして、
刹那のうちに、ピンクブロンドを靡かせた彼女の背は、不穏な気配が満ちる先へと向かい、小さくなってゆく。
「熱くなると周りが見えなくなるのは、エレノアの欠点だな……!」
いや、この事態を招いた落ち度は自分にもあるのだろう。ナイトは思わず舌打ちをして、エレノアの後を追いかけた。
実力を認めているのは本当だ。エレノアは自分には持ち得ない、優れた戦いの才能を有している。
だからこそ〝独断専行〟を許容できるギリギリのラインで許してきた。
だが、〝傷ついて欲しくない〟〝過去の自分のように過ちを犯して欲しくない〟と思うあまり、寛容になりすぎていた部分もある。
(それで結果的にエレノアを危険に晒していたら、笑い種だ)
ナイトは唇を噛む。しかし〝後悔先に立たず〟である。
額から流れた汗が目に入って痛いし、全力で走っているせいか胸も苦しいが、とにかくエレノアを止めなければ、とその一心で走り続けた。
──次に木々の合間にエレノアを見つけた時。彼女は暴風のように吹き荒ぶマナの奔流にさらわれ、閃光の渦へ消える寸前だった。
(転移魔術か……!?)
彼女までの距離は、まだ遠い。
すでに早鐘を打っていた鼓動が、一際大きく跳ねる。
また、失ってしまうと思った。もう二度と何かを失うことがないように〝守るために戦う〟と決めて生きて来たのに。
それが、たまらなく怖かった。過去のように、後悔したくなかった。
胸を駆け巡る衝動が、ナイトの身体を突き動かす。
「エレノア!」
手を伸ばして、願う。泡沫と消えてしまうに。忍ばせた奥の手、時計型の〝
(女神ルクスよ……応えてくれ!)
ナイトの手の中にあるそれが、熱を持ち激しく発光した瞬間。
「ゴーン」と言う鐘の音が耳の奥で鳴り響き、全ての音が消え去った。
微かな風さえ感じられない。宙を舞っていた木の葉も、微動だにしなくなる。
木の葉だけじゃない。まるで凍り付いたかのように、世界が息をするのを忘れ、沈黙していた。
ただ一人、ナイトを除いて。
「エレ、ノア……っ!」
時を刻むのを忘れ、沈黙が支配する世界をナイトは進む。エレノアの手を掴む為に。
凍り付いた息を吸い込むことはできない。
肺が圧し潰されそうな感覚がある。
身体中の体液が沸騰して熱い。
耳鳴りがする。
視界が霞む。
この
(長くは、保てない……)
それでも、ナイトは朦朧としながらも気力を振り絞り、辿り着いた。エレノアの元へ。
「……捕まえた」
呟いて、光に飲み込まれそうな彼女を包み込むように抱きしめたところで、再び時間の流れが動き出す。
浮遊感のあと、ぐにゃりと視界が歪み、酩酊した時のような不快感に襲われる。
転移魔術を止めるだけの余力はなく、作戦の指揮や、他のことへ気を配る余裕もなかった。
ただ、エレノアを離さぬよう抱き留め、マナの奔流に身を委ねて瞼を閉じる。
❖❖❖
——どれほどの時間が経ったのか。
浮遊感から解き放たれ光が晴れると、ナイトは盛大に地面へ叩きつけられた。
「……うっ!」
肩から背中にかけて鈍痛が走り、体が鉛のように重い。息苦しさと、頭を締め付ける痛みもある。
ナイトは手放しそうになる意識を必死に保ちながら、両腕の中にいるエレノアへ目を向けた。
彼女に目立った外傷はない。頬には汗が滲み、瞼が固く閉ざされているが、規則正しい呼吸をしている。
ナイトは大きく息を吐いた。
(どうにか、無事なようだね……)
安堵しつつ、飛ばされた先は一体どこか、確認のため辺りを見回す。
灰色の石造りの床。周囲は同じく石造りの壁がぐるりと円形にそびえたっている。壁の対角線上に鉄格子の重々しい扉が二つあり、その上は観客席が作られていた。
圧迫感のある石壁の冷たさが肌を通じて伝わってくる。
「この光景、グランツ砦か……」
ここは訓練場、あるいは闘技場として使われる施設だろう。
不意に鉄格子の扉の向こうから、複数の足音と声が響く。
人の気配を察知して、ナイトはゆっくりと立ち上がろうとするが、思うように力が入らない。
(だからって、ただ寝ている訳にはいかない)
痛む頭を振り、懸命に身体を起こす。この状態でエレノアを抱いて動くのは無理があるため、仕方なくそっと床に寝かせた。
一見穏やかに眠っている彼女の頬に、淡いピンクブロンドがかかっていることに気が付く。
(……君を巻き込んだのは、俺だ。何としてでも守ってみせる)
ナイトは静かな決意を抱きながら、指先で優しく、彼女の頬の髪を払い退けた。
直後に扉が勢いよく開かれ、浅黒い肌に焦げ茶のローブを纏った男が姿を現わした。
あの十字傷がまぎれもなく、ドゥエル村で戦った
男の後ろには数人の王国兵が警戒態勢で控えていた。
「ほう……お前も一緒か。まさか仲良く転移されて来やがるとはなぁ」
口の端をつり上げた嘲笑が耳を刺す。
ナイトは見下ろす男を睨みつけながら無理矢理にでも立ち上がり、エレノアを背に隠した。
「お招きに預かり、光栄だね。わざわざ罠を張ってまで会いたいと思うほど、恋しかったのかな」
「ああ、お前に受けた屈辱は忘れてねぇ。〝お嬢〟に言われてその女騎士だけ捕らえるつもりだったがぁ……ちょうどいい」
男が指を鳴らすと、背後の兵たちが一斉に踏み込んで来る。瞬時に思考を巡らせ、打開策を導き出そうとしたが──身体を蝕む代償が、それを許さなかった。
凄まじい倦怠感に全身の力が抜け、崩れ落ちたところへ容赦のない攻撃を加えられる。
初めのうちは
五つあったピアスが無惨に砕け散った後は、無抵抗のまま背を打たれ、顔を殴られ、抉るように腹に蹴りを入れられて、最後は頭から床に押し付けられた。
「っ……ぐ……!」
痛いなんてものではない。意識が飛びそうになる。
それでも歯を食いしばって顔を上げると、兵の一人がエレノアの両腕を掴み、荒々しく持ち上げていた。彼女は気を失ったままだ。されるがままになっている。
「この前と違って満身創痍だな? こうもあっさり捕まってくれるとは予想外だがぁ、お嬢の顔も立つってもんよ」
「……その〝お嬢〟とやらが、君の飼い主ってワケか。放し飼いの狂犬かと思っていたけど、随分な忠犬っぷりだね」
苦し紛れに皮肉を口にすると、男の
口内に鉄の味が広がっていく。息をするのも難しかった。
「悪いなぁ。整っている顔を台無しにしちまって」
耳障りな男の声が反響して
「てめえら、お客人を〝特別室〟へご案内だ! くれぐれも丁重になぁ。お嬢に会わせるまでは、殺すなよ」
「了解です、フェルド様!」
男が手を上げて合図すると、兵の一人が動きのとれないナイトの腕に冷たく硬質な枷を嵌めた。そしてそのまま、粗雑に引きずられる。鎖の金属音が不協和音となって、痛む頭に響く。
(……ああ、まずったな。久しぶりに、大失敗だ)
この状況でもナイトの思考は生きていた。「フェルド様」と呼ばれた
お嬢に会うまでがタイムリミットだろう。それまでにこの状況を脱する鍵を、見つけなければならない。
しかしながら、兵らの足音がガンガンと鳴り響き、思考の邪魔をした。
遠くから獣の唸り声や囚人らしき呻き声が聞こえてくる。冷えた空気が肌を刺し、麻痺した痛覚を蘇らせる。
(くそ……)
意識が混濁とし、重くなった瞼を閉じる間際。ナイトは絶望的な状況でも決して諦めないと誓い、祈るように願った。
エレノアの無事を──。
暗闇の中でも、希望は胸の中にあると信じて。