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第八話 時の残照に墜ちゆく先

 ナイトは、撤退する友軍とともに移動していたのだが──。


 〝ドゥエル村で遭遇した幻想獣使いコンジュラーを討つ〟と言った後、リンクベルの通話が切れてしまったエレノアを探して林道を引き返していた。


 茜差す葉が風に揺れる様は、どことなく不気味さが漂っている。


 そして、不自然なマナの流れが木立の間を抜けていくことに、疑問を覚えた。先程通った時には感知しなかった異常だ。



(このマナの流れ……何らかの魔術が発現しようとしているのか?)



 直感と積み重ねた経験が告げている。〝敵の罠〟が存在することを──。

 嫌な予感がした。こういう時の感は外れたことがない。


 ひとまず「みんなに連絡を」と思い、ピアス型のリンクベルに触れるが、何故か作動しなかった。



(急いだほうがいいな……)



 焦燥感に駆られながらも冷静に、胸に飾ったヴェインの記章──〝身に付けた仲間の位置を特定できる〟という探知魔術の効果を持った魔道具マディアナに触れる。


 すると、金属面に塗料としてあしらわれた微細な魔耀石マナストーンが淡い輝きを放ち、ナイトの脳内に上空から俯瞰した周囲の光景が映し出された。


 こちらは無事に作動したことにほっと胸を撫で下ろしつつ、エレノアの姿を探す。



(────ここから、南西か)



 彼女はさらに南へと移動を続けている。


 ナイトは身に付けた装飾品アクセサリー──いざという時に使えそうな魔道具マディアナと、ネクタイの下に忍ばせた〝奥の手〟を確認しつつ、すぐさま、その軌跡を追った。



❖❖❖



 ──そうして、魔道具マディアナを利用してエレノアを見つけたのは良かったが、掴んだ腕は「信じて任せてください!」とすげなく振り払われてしまった。


 刹那のうちに、ピンクブロンドを靡かせた彼女の背は、不穏な気配が満ちる先へと向かい、小さくなってゆく。



「熱くなると周りが見えなくなるのは、エレノアの欠点だな……!」



 いや、この事態を招いた落ち度は自分にもあるのだろう。ナイトは思わず舌打ちをして、エレノアの後を追いかけた。


 実力を認めているのは本当だ。エレノアは自分には持ち得ない、優れた戦いの才能を有している。


 だからこそ〝独断専行〟を許容できるギリギリのラインで許してきた。


 だが、〝傷ついて欲しくない〟〝過去の自分のように過ちを犯して欲しくない〟と思うあまり、寛容になりすぎていた部分もある。



(それで結果的にエレノアを危険に晒していたら、笑い種だ)



 ナイトは唇を噛む。しかし〝後悔先に立たず〟である。


 額から流れた汗が目に入って痛いし、全力で走っているせいか胸も苦しいが、とにかくエレノアを止めなければ、とその一心で走り続けた。



 ──次に木々の合間にエレノアを見つけた時。彼女は暴風のように吹き荒ぶマナの奔流にさらわれ、閃光の渦へ消える寸前だった。



(転移魔術か……!?)



 彼女までの距離は、まだ遠い。

 すでに早鐘を打っていた鼓動が、一際大きく跳ねる。


 また、失ってしまうと思った。もう二度と何かを失うことがないように〝守るために戦う〟と決めて生きて来たのに。


 それが、たまらなく怖かった。過去のように、後悔したくなかった。

 胸を駆け巡る衝動が、ナイトの身体を突き動かす。



「エレノア!」



 手を伸ばして、願う。泡沫と消えてしまうに。忍ばせた奥の手、時計型の〝女神の遺物アーティファクト〟──奇跡をもたらすとされる古代の秘宝を握り締めて。



(女神ルクスよ……応えてくれ!)



 ナイトの手の中にあるそれが、熱を持ち激しく発光した瞬間。


 「ゴーン」と言う鐘の音が耳の奥で鳴り響き、全ての音が消え去った。


 微かな風さえ感じられない。宙を舞っていた木の葉も、微動だにしなくなる。

 木の葉だけじゃない。まるで凍り付いたかのように、世界が息をするのを忘れ、沈黙していた。


 ただ一人、ナイトを除いて。



「エレ、ノア……っ!」



 時を刻むのを忘れ、沈黙が支配する世界をナイトは進む。エレノアの手を掴む為に。


 凍り付いた息を吸い込むことはできない。


 肺が圧し潰されそうな感覚がある。


 身体中の体液が沸騰して熱い。


 耳鳴りがする。


 視界が霞む。


 この女神の遺物アーティファクト、〝凍結と沈黙の世界クロノエテルネル〟がもたらす奇跡は、代償とも言える身体への負荷が大きすぎる。



(長くは、保てない……)



 それでも、ナイトは朦朧としながらも気力を振り絞り、辿り着いた。エレノアの元へ。



「……捕まえた」



 呟いて、光に飲み込まれそうな彼女を包み込むように抱きしめたところで、再び時間の流れが動き出す。


 浮遊感のあと、ぐにゃりと視界が歪み、酩酊した時のような不快感に襲われる。


 転移魔術を止めるだけの余力はなく、作戦の指揮や、他のことへ気を配る余裕もなかった。


 ただ、エレノアを離さぬよう抱き留め、マナの奔流に身を委ねて瞼を閉じる。



❖❖❖



 ——どれほどの時間が経ったのか。


 浮遊感から解き放たれ光が晴れると、ナイトは盛大に地面へ叩きつけられた。



「……うっ!」



 肩から背中にかけて鈍痛が走り、体が鉛のように重い。息苦しさと、頭を締め付ける痛みもある。


 ナイトは手放しそうになる意識を必死に保ちながら、両腕の中にいるエレノアへ目を向けた。


 彼女に目立った外傷はない。頬には汗が滲み、瞼が固く閉ざされているが、規則正しい呼吸をしている。

 ナイトは大きく息を吐いた。



(どうにか、無事なようだね……)



 安堵しつつ、飛ばされた先は一体どこか、確認のため辺りを見回す。


 灰色の石造りの床。周囲は同じく石造りの壁がぐるりと円形にそびえたっている。壁の対角線上に鉄格子の重々しい扉が二つあり、その上は観客席が作られていた。


 圧迫感のある石壁の冷たさが肌を通じて伝わってくる。



「この光景、グランツ砦か……」



 ここは訓練場、あるいは闘技場として使われる施設だろう。


 不意に鉄格子の扉の向こうから、複数の足音と声が響く。


 人の気配を察知して、ナイトはゆっくりと立ち上がろうとするが、思うように力が入らない。


 女神の遺物アーティファクトへの代償を支払った直後だ。全身を疲労と倦怠感が苛んでいた。



(だからって、ただ寝ている訳にはいかない)



 痛む頭を振り、懸命に身体を起こす。この状態でエレノアを抱いて動くのは無理があるため、仕方なくそっと床に寝かせた。


 一見穏やかに眠っている彼女の頬に、淡いピンクブロンドがかかっていることに気が付く。



(……君を巻き込んだのは、俺だ。何としてでも守ってみせる)



 ナイトは静かな決意を抱きながら、指先で優しく、彼女の頬の髪を払い退けた。


 直後に扉が勢いよく開かれ、浅黒い肌に焦げ茶のローブを纏った男が姿を現わした。


 あの十字傷がまぎれもなく、ドゥエル村で戦った幻想獣使いコンジュラーの男だと示している。

 男の後ろには数人の王国兵が警戒態勢で控えていた。



「ほう……お前も一緒か。まさか仲良く転移されて来やがるとはなぁ」



 口の端をつり上げた嘲笑が耳を刺す。

 ナイトは見下ろす男を睨みつけながら無理矢理にでも立ち上がり、エレノアを背に隠した。



「お招きに預かり、光栄だね。わざわざ罠を張ってまで会いたいと思うほど、恋しかったのかな」


「ああ、お前に受けた屈辱は忘れてねぇ。〝お嬢〟に言われてその女騎士だけ捕らえるつもりだったがぁ……ちょうどいい」



 男が指を鳴らすと、背後の兵たちが一斉に踏み込んで来る。瞬時に思考を巡らせ、打開策を導き出そうとしたが──身体を蝕む代償が、それを許さなかった。


 凄まじい倦怠感に全身の力が抜け、崩れ落ちたところへ容赦のない攻撃を加えられる。


 初めのうちは守護結界ラプロテージュの魔術が込められた魔道具マディアナのピアスが防いでくれたが、数の暴力には抗えない。


 五つあったピアスが無惨に砕け散った後は、無抵抗のまま背を打たれ、顔を殴られ、抉るように腹に蹴りを入れられて、最後は頭から床に押し付けられた。



「っ……ぐ……!」



 痛いなんてものではない。意識が飛びそうになる。


 それでも歯を食いしばって顔を上げると、兵の一人がエレノアの両腕を掴み、荒々しく持ち上げていた。彼女は気を失ったままだ。されるがままになっている。


 幻想獣使いコンジュラーの男が高慢不遜に鼻で笑う。



「この前と違って満身創痍だな? こうもあっさり捕まってくれるとは予想外だがぁ、お嬢の顔も立つってもんよ」


「……その〝お嬢〟とやらが、君の飼い主ってワケか。放し飼いの狂犬かと思っていたけど、随分な忠犬っぷりだね」



 苦し紛れに皮肉を口にすると、男のかんに障ったのか、鋭い蹴撃がナイトの頬へ贈られた。衝撃で短くない距離吹き飛ばされ、床を転がる。


 口内に鉄の味が広がっていく。息をするのも難しかった。



「悪いなぁ。整っている顔を台無しにしちまって」



 耳障りな男の声が反響してしゃくだが、いつものように軽口を叩けるほどの気力は残っていない。悔しくても、拳を握る力さえない。



「てめえら、お客人を〝特別室〟へご案内だ! くれぐれも丁重になぁ。お嬢に会わせるまでは、殺すなよ」


「了解です、フェルド様!」



 男が手を上げて合図すると、兵の一人が動きのとれないナイトの腕に冷たく硬質な枷を嵌めた。そしてそのまま、粗雑に引きずられる。鎖の金属音が不協和音となって、痛む頭に響く。



(……ああ、まずったな。久しぶりに、大失敗だ)



 この状況でもナイトの思考は生きていた。「フェルド様」と呼ばれた幻想獣使いコンジュラーの男が口にした「お嬢」とは何者か。正体を口にしないあたり、相当な要人なのは間違いない。


 お嬢に会うまでがタイムリミットだろう。それまでにこの状況を脱する鍵を、見つけなければならない。


 しかしながら、兵らの足音がガンガンと鳴り響き、思考の邪魔をした。


 遠くから獣の唸り声や囚人らしき呻き声が聞こえてくる。冷えた空気が肌を刺し、麻痺した痛覚を蘇らせる。



(くそ……)



 意識が混濁とし、重くなった瞼を閉じる間際。ナイトは絶望的な状況でも決して諦めないと誓い、祈るように願った。


 エレノアの無事を──。


 暗闇の中でも、希望は胸の中にあると信じて。

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