目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第十一話 交錯する想いと視線

 囚われた暗闇の牢獄で、エレノアの口から告げられた〝血統の真実〟──。


 不規則に滴り落ちる水の音と、遠くから響く兵の笑い声を耳にしながら、ナイトは思いを馳せる。



(エレノアがサングリア王家の血統であることは、一目見た時に気付いていたさ)



 〝〟という能力を有しているが故に、一度見た情報を忘れることは、決してない。


 エレノアのピンクブロンドの髪も、神秘的な淡い紫に黄金の彩りが差し込んだ紫黄水晶アメトリンのような瞳も、とても珍しい。


 自然とその出自に憶測が立った。


 さらには女神の遺物アーティファクト──サングリア王家に、王たる証として代々引き継がれてきた〝王の証〟の指輪を所持していたことで、疑う余地はなくなった。



(けど……あそこまでの想いを秘めていることには、気付かなかった。……いや、気付かないフリを、していた)



 エレノアは泣き疲れたのかナイトの膝の上で微睡みに沈んでいる。


 こんな無防備な彼女を見るのは、始めてだ。

 今までいかに気を張り詰め、孤軍奮闘してきたのか──胸が痛む。



「君の言う通り、馬鹿だな、俺は……」



 エレノアを利用しよう、目的のためなら何をしてもいい、だなんて、非情に策謀を巡らす過去の自分を、ナイトは殴りたくなった。


 呆れ混じりに上半身を動かすと身体が軋み、波のように痛みが押し寄せる。けれども耐える他なく、大きく息を吐き出して壁に後頭部を押し付けた。


 じっとしていると、エレノアへの後ろめたさと、怪我の痛みで気が滅入りそうだ。


 ナイトは気を紛らわそうと、視界に広がる鉄格子と牢の構造を見回しながら、思考を巡らす。



(……この状況、どうひっくり返そうか)



 味方の到着か、内側からの脱出か。どちらにしても希望的観測の薄い選択肢である。



(幸いなのは、身に付けている装飾品が一切没収されていないこと……かな)



 「何故?」という疑問は残るが、ここでは魔術と魔道具マディアナが使用できないため、武器と違って見逃されたのだろう。



(記章の反応を辿って、アリィたちが救出に来てくれる可能性も残されているけど……)



 予期せぬトラブルがあっても、まずは任務を優先するはずだ。

 そうなると、やはり自力での脱出が一番の選択肢に上がる。



(〝お嬢〟とやらが、何を考えて俺たち──いや、エレノアを捕縛したのか。そこがわかれば〝交渉〟という別の選択肢も広がるか……?)



 だが、今のところ〝お嬢〟の目的は憶測の域を出ず、不確定要素が多い。



(博打をうつのはごめんだな。無謀に命を危険に晒す策は取れない。……とはいえ、確実性の高い方法が現時点では〝強行突破〟しかないんだけど)



 看守の巡回時間、人数、経路はおおよそ頭に入っている。脱出ルートも、地上に出るまでは一本道なので迷うことはない。



(エレノアの戦闘能力と、俺が所持する〝女神の遺物アーティファクト〟──〝凍結と沈黙の世界クロノエテルネル〟をうまく使えば……)



 ほんのわずかだが、勝機は見える。

 それも〝心身が万全の状態なら〟の話ではあるが。



(……ダメだ。こんなまともに動けない体じゃ、俺は足手まといになる。勝率は一割にも満たない。低すぎる。もう少し……別の視点から考えてみないと)



 エレノアが起きたら、もう一度、彼女と意見を交わそうとナイトは思った。自分とは違った着眼点から、最適解を導くヒントを得られるかもしれない、と。


 思考を終えて、ナイトは視線を落とした。


 小さな寝息を立てて眠るエレノアの横顔がある。目元は赤く、頬には涙の跡。


 憂いを帯びた紫黄水晶アメトリンの瞳を間近で見た時、彼女を抱き留めたい衝動に駆られたことを思い出す。


 今も両手が自由であれば、優しく背をさすり、くように頭を撫で、慈しんであげるのに──と、もどかしい気持ちになる。



(この感情は、何だろうな。共感、同情……あるいは、エレノアにアイナを重ねた兄心から来るものか)



 不意に「情でも移ったのかい?」と愉悦に弾む声で指摘した、スレインの顔が浮かぶ。

 あの場では取り繕ったが、肯定せざるを得ない。


 ナイトが苦笑いをもらすと、エレノアが小さな声を発して身じろいだ。


 程なくして、緩やかに瞼は開かれ、起き抜けに虚ろう瞳が露わになる。



「……大丈夫? 少しは、休めた?」



 囁くように尋ねれば、紫黄水晶アメトリンの瞳がこちらへと向けられ、数回、瞬きを繰り返した後、エレノアは勢いよく身を起こして飛び退いた。



「す、すみません、隊長! 緊張感を持たなければいけない状況なのに……」


「気にしないで。気を張り詰めてばかりじゃ、疲れちゃうし……可愛い寝顔が見られて、役得だよ」



 茶目っけたっぷりに口元を緩ませる。と、エレノアは頬を赤く染めて顔を逸らした。


 いつもなら、澄まし顔で悪態をつくところなのに、そんな様子はまったくない。何だかむず痒い気持ちになってしまう。



(……んんっ。参ったなぁ……こうも態度を軟化されると、調子が狂う。少し前なら「思惑通りだ」って喜べたんだけど)



 複雑な思いがないまぜだ。


 けれど、余計な自問をしている暇はない。ナイトは頭を振って、思考を切り替える。


 呼吸をするたび痛む肺から息を吐き、



「エレノア、これからの、ことだけど──」



 と、会話を切り出した矢先のこと。カツン、と高い靴音が牢獄に響き渡った。


 看守の巡回時間にはまだ早い。


 唇を引き結び、音のする暗がりへ視線を凝らすと、エレノアもまた身構えた。


 カツン、カツン、と規則的で不穏な音が向かって来る。



(……音は一人分だな。これは、ヒールの音……か?)



 一体何者が姿を現わすのか。場に緊張が走った。


 まるで、地獄からの使者の訪れを待つかのような心境だ。ナイトが息を潜め、睨みを利かせていると──。


 闇の中で銀色が煌めいた。

 一瞬、照明や魔術の光かと思ったが、すぐに違うと気付く。


 それはたなびく、長い髪の色。


 認識すると同時に、靴音を響かせていた人物の輪郭が明らかになる。



「お前たちがフェルドの言っていた者ね」



 芯があり、凛とよく通る女の声。


 鉄格子の前へ立ったが身に纏うのは、異質なまでに白さの際立つ軍服。胸には王国軍の記章が輝いている。


 視線を上へ、その顔を目に入れた瞬間、ナイトは凍り付いた。


 右目は眼帯に覆われている。だが、こちらを見下ろす左目は──冷たく澄んだ翡翠の色。


 自分と同じ。すべてを見透かすような色だ。


 そして、彼女はひどく見覚えのある容姿をしている。



(まさか……そんな、はず……)



 鼓動が大きく跳ねた。

 ナイトの脳裏をよぎるのは、故郷シュトラールの悪夢。


 そこで失ったはずの、家族の姿、面影を……目の前の彼女に垣間見る。


 あり得ない。

 あり得ないと、わかっている。


 けれど、妹が生きて成長していれば、きっとこんな風貌だろう。



「……アイ、ナ……?」



 その名を呼ばずにはいられなかった。


 鋭く細められた翡翠の瞳がナイトを射抜く。わずかな間を置いて、静かに女性の唇が動いた。孤を描いてゆっくりと。


 そうして、紡がれたのは、



「久しぶりね、ナイト兄様」



 抑揚がなく、けれども寂しげな音色の、再会の言葉。


 長いシルバーブロンド、翡翠色の瞳。

 死んだと思っていた妹が、王国の軍服を纏ってそこにいる。


 動揺と驚愕にナイトの頭は真っ白になった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?