囚われた暗闇の牢獄で、エレノアの口から告げられた〝血統の真実〟──。
不規則に滴り落ちる水の音と、遠くから響く兵の笑い声を耳にしながら、ナイトは思いを馳せる。
(エレノアがサングリア王家の血統であることは、一目見た時に気付いていたさ)
〝
エレノアのピンクブロンドの髪も、神秘的な淡い紫に黄金の彩りが差し込んだ
自然とその出自に憶測が立った。
さらには
(けど……あそこまでの想いを秘めていることには、気付かなかった。……いや、気付かないフリを、していた)
エレノアは泣き疲れたのかナイトの膝の上で微睡みに沈んでいる。
こんな無防備な彼女を見るのは、始めてだ。
今までいかに気を張り詰め、孤軍奮闘してきたのか──胸が痛む。
「君の言う通り、馬鹿だな、俺は……」
エレノアを利用しよう、目的のためなら何をしてもいい、だなんて、非情に策謀を巡らす過去の自分を、ナイトは殴りたくなった。
呆れ混じりに上半身を動かすと身体が軋み、波のように痛みが押し寄せる。けれども耐える他なく、大きく息を吐き出して壁に後頭部を押し付けた。
じっとしていると、エレノアへの後ろめたさと、怪我の痛みで気が滅入りそうだ。
ナイトは気を紛らわそうと、視界に広がる鉄格子と牢の構造を見回しながら、思考を巡らす。
(……この状況、どうひっくり返そうか)
味方の到着か、内側からの脱出か。どちらにしても希望的観測の薄い選択肢である。
(幸いなのは、身に付けている装飾品が一切没収されていないこと……かな)
「何故?」という疑問は残るが、ここでは魔術と
(記章の反応を辿って、アリィたちが救出に来てくれる可能性も残されているけど……)
予期せぬトラブルがあっても、まずは任務を優先するはずだ。
そうなると、やはり自力での脱出が一番の選択肢に上がる。
(〝お嬢〟とやらが、何を考えて俺たち──いや、エレノアを捕縛したのか。そこがわかれば〝交渉〟という別の選択肢も広がるか……?)
だが、今のところ〝お嬢〟の目的は憶測の域を出ず、不確定要素が多い。
(博打をうつのはごめんだな。無謀に命を危険に晒す策は取れない。……とはいえ、確実性の高い方法が現時点では〝強行突破〟しかないんだけど)
看守の巡回時間、人数、経路はおおよそ頭に入っている。脱出ルートも、地上に出るまでは一本道なので迷うことはない。
(エレノアの戦闘能力と、俺が所持する〝
ほんのわずかだが、勝機は見える。
それも〝心身が万全の状態なら〟の話ではあるが。
(……ダメだ。こんなまともに動けない体じゃ、俺は足手まといになる。勝率は一割にも満たない。低すぎる。もう少し……別の視点から考えてみないと)
エレノアが起きたら、もう一度、彼女と意見を交わそうとナイトは思った。自分とは違った着眼点から、最適解を導くヒントを得られるかもしれない、と。
思考を終えて、ナイトは視線を落とした。
小さな寝息を立てて眠るエレノアの横顔がある。目元は赤く、頬には涙の跡。
憂いを帯びた
今も両手が自由であれば、優しく背をさすり、
(この感情は、何だろうな。共感、同情……あるいは、エレノアに
不意に「情でも移ったのかい?」と愉悦に弾む声で指摘した、スレインの顔が浮かぶ。
あの場では取り繕ったが、肯定せざるを得ない。
ナイトが苦笑いをもらすと、エレノアが小さな声を発して身じろいだ。
程なくして、緩やかに瞼は開かれ、起き抜けに虚ろう瞳が露わになる。
「……大丈夫? 少しは、休めた?」
囁くように尋ねれば、
「す、すみません、隊長! 緊張感を持たなければいけない状況なのに……」
「気にしないで。気を張り詰めてばかりじゃ、疲れちゃうし……可愛い寝顔が見られて、役得だよ」
茶目っけたっぷりに口元を緩ませる。と、エレノアは頬を赤く染めて顔を逸らした。
いつもなら、澄まし顔で悪態をつくところなのに、そんな様子はまったくない。何だかむず痒い気持ちになってしまう。
(……んんっ。参ったなぁ……こうも態度を軟化されると、調子が狂う。少し前なら「思惑通りだ」って喜べたんだけど)
複雑な思いがないまぜだ。
けれど、余計な自問をしている暇はない。ナイトは頭を振って、思考を切り替える。
呼吸をするたび痛む肺から息を吐き、
「エレノア、これからの、ことだけど──」
と、会話を切り出した矢先のこと。カツン、と高い靴音が牢獄に響き渡った。
看守の巡回時間にはまだ早い。
唇を引き結び、音のする暗がりへ視線を凝らすと、エレノアもまた身構えた。
カツン、カツン、と規則的で不穏な音が向かって来る。
(……音は一人分だな。これは、ヒールの音……か?)
一体何者が姿を現わすのか。場に緊張が走った。
まるで、地獄からの使者の訪れを待つかのような心境だ。ナイトが息を潜め、睨みを利かせていると──。
闇の中で銀色が煌めいた。
一瞬、照明や魔術の光かと思ったが、すぐに違うと気付く。
それはたなびく、長い髪の色。
認識すると同時に、靴音を響かせていた人物の輪郭が明らかになる。
「お前たちがフェルドの言っていた者ね」
芯があり、凛とよく通る女の声。
鉄格子の前へ立った
視線を上へ、その顔を目に入れた瞬間、ナイトは凍り付いた。
右目は眼帯に覆われている。だが、こちらを見下ろす左目は──冷たく澄んだ翡翠の色。
自分と同じ。すべてを見透かすような色だ。
そして、彼女はひどく見覚えのある容姿をしている。
(まさか……そんな、はず……)
鼓動が大きく跳ねた。
ナイトの脳裏をよぎるのは、故郷シュトラールの悪夢。
そこで失ったはずの、家族の姿、面影を……目の前の彼女に垣間見る。
あり得ない。
あり得ないと、わかっている。
けれど、妹が生きて成長していれば、きっとこんな風貌だろう。
「……アイ、ナ……?」
その名を呼ばずにはいられなかった。
鋭く細められた翡翠の瞳がナイトを射抜く。わずかな間を置いて、静かに女性の唇が動いた。孤を描いてゆっくりと。
そうして、紡がれたのは、
「久しぶりね、ナイト兄様」
抑揚がなく、けれども寂しげな音色の、再会の言葉。
長いシルバーブロンド、翡翠色の瞳。
死んだと思っていた妹が、王国の軍服を纏ってそこにいる。
動揺と驚愕にナイトの頭は真っ白になった。