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第十三話 螺旋を描く因果の鎖


「フフ、フフフ……アハハハ!」



 突如として、アイナは頭を抱えて笑った。あでやかな唇を慎ましさの欠片もなく開き、高揚を表すかの如く身震いしている。



「……何なのですか、急に。気でも触れましたか?」



 再度ナイトの前へ立つエレノアの横顔は、怪訝そうに歪んでいた。



「いいえ、至って正常よ? 〝あの人〟 の言っていたことが本当だとわかったら、とても滑稽に思えてしまってね」


「あの人だって?」



 肩から滝のように流れ落ちるシルバーブロンドを、アイナが後ろへ払いのけた。ナイトの質問を歯牙にもかけておらず、喉元にはまだ笑いが残り、口の端が上がっている。



「ああ、可笑しい。悲劇こそ最高の喜劇になり得るのだと、身を以て体感したわ」



 くるり、と身を反転させたアイナが、ソファの肘掛けに腰を落とす。尊大に足を組んで小首を傾げ、浮かべる笑顔は仮面のようだ。



「私はこの感情をどこにぶつければ良いのでしょうね? 王国? 皇国? それとも──」



 底冷えする殺気を孕んだ瞳がエレノアへ向けられ、次いでナイトと交わった。



「返礼をしなければいけない相手が多すぎて、困ったわ。ねえ、兄様。私はどうすべきかしら?」



 紡がれた「兄様」という言葉に愛情はなく、代わりに暗い哀しみと怒りが注がれている。


 おそらく、アイナは知っているのだ。ナイトの犯した罪を。



(なんて皮肉なんだ。俺の〝復讐〟が、こんな形で返って来るなんて……っ)



 ナイトは堪らず顔を歪め、唇を噛んだ。


 この結果を誰が予想できただろうか。家族を失った怒り、哀しみから復讐に手を染めた己の愚行が、血を分けた妹を深い闇へ落としたのだ。



(それに、きっとアイナは勘付いている。エレノアの血統に)



 であれば何故、シュトラールが王国軍に襲撃されたのか。その真相にも辿り着いているに違いない。


 翡翠色の瞳が答えを待ち望んで、こちらを注視している。


 取り繕っても過去の過ちは消せない、正せない。アイナに芽吹いた憎しみの根が取り除けるとも、思えない。


 しかし、想いは口にしなければ伝わらないのも真だ。ナイトは勇気を振り絞り、一歩前へ躍り出る。



「……アイナ。をしたところで、気持ちが晴れるのはほんの一瞬だよ」


「フフ、経験則ですか?」


「ああ。怒りは人を蝕む。感情のまま力を振りかざせば、新たな禍根を生むだけだ」



 拳を握り、俯きがちに呟くと、頬杖をついたアイナが訝し気にこちらを見やった。



「本当にそうかしら。結果は試してみなければ、わからないでしょう?」


「そんなもの、試さなくていい! 後悔と業を抱えて生きるのは、復讐を果たせない苦しみよりもずっと辛いんだ……!」


「……なるほど。兄様にとってはそうであった……と。言葉の重みが違いますね。フフ」



 声を張り上げるナイトを嘲笑うかのように、アイナは唇を歪めて笑った。



「でもね、兄様。よく言うじゃないですか。〝やらずに後悔するより、やって後悔するほうが良い〟って。真理ですよね。だから、私もそれに倣おうと思うんです」



 怜悧れいりな瞳に依然と仄暗い感情が乗っていて、痛感させられる。妹の心には、自分の言葉などまったく響かないのだと。


 憎しみの連鎖が己の足をすくい、そのまま泥沼へと沈む錯覚に、ナイトは息を詰まらせた。


 ──脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。


 生まれたばかりの、か弱く小さくて、けれども愛らしい妹の姿。


 無邪気にじゃれ合い、本を読み聞かせて笑った日々。


 生真面目で頭の回転が早いくらいしか取り柄のなかった自分と違い、自由で才能にあふれ、誰からも好かれる少女だったアイナ。


 羨ましいと思うこともあったが、くだらない嫉妬より、ナイトは妹が大切だった。


 それなのにどうして……このように、相対する羽目になってしまったのか。



「アイナ……こんな形で、再会したくなかったよ」



 やっとの思いで搾り出した声は、掠れている。



「ナイト隊長……」



 いつの間にか隣へ並んだエレノアが、服の裾を掴んだ。憂い気に瞳を揺らしている。

 彼女もまた、自分と似た道を歩み復讐に生きる者ではあるが……今はその激情も、鳴りを潜めていた。



「だとしても、また会えて嬉しかったでしょう?」



 淡々と言葉を連ねるアイナの冷たい笑みが、ナイトの心を刺す。もはやあの頃とは別人だ。



「そう、だね。もう二度と会えないと、思っていたから……生きていてくれて、嬉しいよ」



 慟哭しそうになる衝動を押し込めて笑った。そんな自分の様子をアイナは満足そうに眺めながら告げる。



「私も兄様に会えて嬉しかったわ。だから、一度だけ温情をかけてあげる」



 アイナは静かに立ち上がり、ナイトとエレノアを交互に見やった。


 翡翠色の瞳に嘲弄ちょうろうの色はなく、空虚な冷たさだけが漂っている。靡くシルバーブロンドが、煌々と灯る部屋の光を受けて神秘的に輝いた。



「取引をしましょう。応じてくだされば、命は保証します」



 エレノアが無意識に剣の柄を探す仕草をしかけるが、鎖に繋がれた手は当然ながら何も握れず、指先が虚空を掴んでいる。



「……要求は?」



 感情の乗らぬアイナの声に痛む胸を押さえるナイトへ、アイナが視線を投げた。近くに控えるフェルドは気だるげに欠伸をもらして腕を組み、三白眼を細めて状況を見守っている。



「〝王の証〟──彼女の持つそれを、譲ってくださらない?」



 エレノアの肩がビクリと跳ねた。するりと伸びたアイナの指先が示すのは、彼女の胸元に揺れる白銀の指輪。



形見の指輪これのこと……?」



 エレノアがそっと指輪に触れた。白き輝きが、この場の目を否が応でも引き寄せる。



「ええ。それは真価のわからない貴女が持っていても意味がない。我が王にこそ、相応しき物です。お二人にとっても、悪い話ではないと思いますよ?」



 誘うように笑みを深めて差し伸ばされてる手に、エレノアがきゅっと唇を引き結ぶ。


 当然の反応だろう。あの指輪は、彼女にとってかけがえのないものだ。


 エレノアを背に隠し、ナイトは毅然と問い掛ける。



「拒否する、と言ったら?」


「無論、実力行使するまでです。その場合、命の保証はできかねますね」



 アイナが上目遣いに妖艶な笑みを浮かべた。フェルドも浅黒い肌に白さの引き立つ歯を剥き出しに、にたりと笑っている。


 一触即発。ピリッとした緊張が場に走る。



「……本当に、これを渡せば見逃してくれると言うのですか?」



 一瞬の沈黙の後、エレノアが指輪を握りしめながら問い返した。


 いつもなら鋭く返す彼女の声には覇気がなく、不安が見て取れる。



「ええ。サンクリッド王国軍少将アイナ・エレツ・ルーネントの名においてお約束しますわ。お二人を無事にこの砦から出してさしあげます」



 優美な礼を取り、アイナは名乗った。


 妹の口から出てきた予想以上に重い肩書きに、ナイトはぐっと息を呑む。


 一体どれほどの苦労と貢献を以って、その地位についたのか。生半可な道のりではなかっただろう。


 ナイトが妹を思って感傷に浸っていると、



「二言はないのでしょうね?」



 エレノアが半歩前へ出て、アイナを一瞥した。



「ええ。そんなに信用ならないのであれば、女神に誓ってもいいですよ?」



 揺らがぬ声。女神への誓いは、皇国では最も重き誓約の証である。


 その返答を受けたエレノアは瞼を伏せて逡巡したが、そう時間をかけず決断を下す。



「……わかりました。取引に応じます」


「だめだ、エレノア!」



 うなずくエレノアの肩を、ナイトは反射的に掴んでしまった。


 アイナは誓約を用いて「偽りはない」と暗に語っているが、その裏に隠された真意が必ずしも一致するとは限らない。


 「助けてやる」と言われたからとて、早計に判断するのは危険だ。


 そして何より──。



「指輪は、君の大切なものだろう……!」



 真価など関係ない。指輪はエレノアの母親が、エレノアに遺した品だ。彼女がどれほどそれを大切に想い心の拠り所にしているか、見ていればわかる。


 けれどエレノアは、必死に唇を結んで首を横に振った。



「いいのです、隊長。命より大切なものなんて……存在しませんから」



 優しい声色に、強がって浮かべる微笑み。瞳には強い決意が窺える。


 ナイトは表情を曇らせ、言葉を飲み込む。美しくも痛々しいとも言える姿に、胸が締めつけられる。



「エレノア……」



 指輪を通す鎖の留め具を手繰り寄せたエレノアは、小刻みに震える指先でゆっくりとそれを外して──自らの意思でアイナへ歩み寄り、手渡した。


 チャリ……と、金属の擦れる小さな音が聞こえる。



「フフ……交渉成立ですね」



 アイナの紅い唇が、ほのかな笑みを描く。キラリと輝きを放つ、精巧な造りの指輪。アイナは手のひらに乗ったそれをひとしきり見つめてから握り締め、身をひるがえした。


 エレノアが伸ばしかけた手を握って、俯く。瞼は哀し気に伏せられ、ナイトは何ともやるせない気持ちになった。


 これが最善だったのかもしれないが、大事な物を手放す決断をさせてしまったことに、腹が立って仕方ない。


 鬱々と流れる沈黙。破ったのは、フェルドのこぼした小さなため息だった。



「で、お嬢。オレはぁ、いつまでこうしていればいいですかね」


「退屈させて悪かったわね、フェルド。お客様のお見送りを任せるわ。くれぐれも、失礼のないようにね?」


「クク、ご命令とあらばぁ喜んで」



 アイナがフェルドとの距離を詰め、ぽんと肩を叩く。と、フェルドは不敵な笑みを返しながら肩をすくめ、ナイトとエレノアを鋭い眼差しで射抜いた。



「さようなら、ナイト兄様」



 長い別離を経た兄妹の再会は、こうして終わりを告げる。


 エレノアとアイナ、そして己を絡め取る負の連鎖。

 どうにかして断ち切らなければと思うが、いまの自分はあまりにも無力だ。


 ナイトは行き場のない後悔を抱え、重い足を引きずりながら、冷たい石造りの廊下を出口へ向かって歩くしかなかった。

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