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第15話 異国の地②鈴木の視点

海外出向になってから8か月。季節は冬から夏へと移り変わっていた。

出向国は、湿度はなくジメジメとした暑さはないが、容赦なく太陽の光が照り注ぎ熱気で充満していた。


日本とは全く異なる気候、文化、そして生活リズム。最初は物珍しかった異国の風景も、今では日常の一部となっていた。しかし、心の中には、常に楠木のことがあった。



本来なら今頃2度目の一時帰国をしていた頃だろう…。


俺は唇をかみしめた。乾いた風が頬を撫でる。

今年の3月上旬、一度目の帰国の予定だった。

1週間まとめて休暇が取れるため楠木を初めての旅行に誘った。


付き合って1か月後には出国。

そんな俺を思ってか、楠木は遠出やショッピングモールの買い物は控えていた。

あの時は、後任との引継ぎが長引いて出発直前まで慌ただしかった。

遠出をして月曜の朝に疲れが残ることを危惧し楠木の優しさに甘えてしまっていた。



本当は遠出もしたかったのではないか?

帰国をしたら旅行に行こう。俺の部屋で一緒に食事をし過ごす日常もいいが、たまには楠木に料理を作らせてばかりではなく、料理長が腕を振るった美味しい食事を楠木と楽しみたいと思い「帰国した時に旅行行かない?」とメールすると、すぐさま「行きたい」と返信がきた。


やはり我慢させていたのだなという申し訳ない気持ちと、心から楽しみにしてくれていることが伝わってきて嬉しかった。

どこに行くのがいいか、楠木はホテルと旅館ならどちらが好きか?買い物よりも景色を楽しむ方がいいのか?楠木の事を想いながら俺も密かにネットで検索ばかりしていた。




しかし、直前になり世界中に疫病が流行。日本政府は入国制限を発表し、俺の一時帰国は幻となった。



「GW前には落ち着くよ…」当初はそう言って励ましあっていた。

しかし、そんな希望は無残に消え、それどころか外出も控えるようにと生活制限が厳しくなっていた。



「夏休みには…」と最初は言っていたが、最近はお互い口にしなくなった。

そして今、こうして異国の地で一人夏を過ごしている。

こんなことになるなら出発前に旅行しておけばよかったという後悔が何度も頭をよぎった。



二人で俺の部屋で過ごす休日も十分楽しく幸せな時間だったが、もしあの時、旅行や遠出をしてもっとたくさんの思い出を作ることができていたら……そんなことをつい想像してしまう。

そして、一度負のループにはまると「あの時、もっと早く素直に気持ちを伝えていたら…」

など付き合う前の過去のことまで後悔するのであった。



半年前と状況は何も変わっていない。

帰国の目途が見えない…俺はこの地に骨を埋めるのか…。そんな恐怖を感じた。




従来の出張のように終わりが見えていれば、帰国を指折り数えて心待ちにすることが出来たであろう。しかし、今はただただ悪戯に、心待ちの日々だけが積み重なっている。

そして期待は高まりすぎると、駄目だった時に絶望に変わる。

先行きが見えない中で期待をすることは、テコの原理のように失望も大きい。



楠木とは今でも変わらず、連絡を取り合っている。

むしろ帰国できないと分かってからの方がマメになった。



「おはよう」と「おやすみ」に加えて「体調はどう?周りの人は大丈夫?」が新しい挨拶として加わっていた。

それ以外は普段の出来事をやり取りしていたが、お互いネガティブな話は避けていた。



特に早苗は出会ったころから周りを見て行動し気配りを忘れないタイプだ。

BBQでは皆が疲れ始めた頃に率先して動こうと追加の買い出しや後片付けをするタイプだった、そのためにお酒の量を控えているのも知っていた。常に周りが困った時にさりげなく手を差し伸べられるよう用意周到だった。

しかもひけらかすようなことはせず、静かに見守る優しくて大きな愛情を持っていた。



そんな楠木に惹かれた。そして知っていながら楠木の優しさに甘えていた。

もっと楠木のやりたいことや気持ちに寄り添うべきだった。

俺は楠木に我慢をさせていた。そして今も……我慢させている。



俺が日本にいたらこんな思いはしなかったのに…遠く離れた異国の地で、何もできない自分がもどかしかった。


楠木はいつも俺のことを気遣い心配してくれていた。

その優しさに俺は甘え過ぎていたのかもしれない。今更そんなことを考えても、過去は変わらない。しかし、過去を反省することで未来を変えることができるかもしれない。




『このまま会えない時間が続き、待たせるままでいいのか?いつ会えるのか分からないまま待たせるのか?楠木は、日本で他の人と出逢い、もっと別の新しい幸せを見つけた方がいいのではないか。』そんな考えが、頭から離れなかった。



楠木を待たせるということは、楠木の時間を奪っていることと同等ではないか、という罪悪感にも似た感情が、俺を苦しめていた。



そんな苦悩をよそに楠木からの連絡は、以前と変わらず優しく温かかった。

「家にいる時間が増えたから蒸篭買ってしゅうまい作ったよ。包むの難しくて苦戦中」

メールと一緒に、蒸篭のふたを開け湯気で曇りがちとなった写真も送られてきた。



しゅうまいの姿はよく見えないが、一生懸命包もうと悪戦苦闘している楠木の姿が目に浮かび小さく笑った。


いつでも周り優先で気遣いを忘れない楠木。今も暗い話はしないようにしていることが伝わってくる。その優しさが逆に俺を苦しめた。


楠木は、何も言わない。寂しくても自分の中でしまい込んで弱音を吐かないだろう。

『辛いのは自分だけではない、知らない土地で一人の鈴木の方がつらいだろうから』ときっと想っているのだろう。


楠木は、いつもと同じように優しく温かい。しかし、その優しさの裏に何かを隠していると感じるようになってきたのは、俺の気のせいだろうか…。



会えない時間が長くなるにつれて、言葉だけでは伝えられないものが増えていく。

温もり、表情、空気感。そういった言葉以外の要素が少しずつ二人から失われている。

信じて待ってくれていることに嬉しさを感じながらも、鈴木は早苗からのメールにすぐに返信をすることが出来ず、そっと画面を暗くした。




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