「ねえ、私たち…もう本当にこれで終わりなの…?もう逢うことは出来ないの…?」
涙で潤んだ楠木の瞳を見ていると、胸が締め付けられるようだった。
二年もの間、彼女を待たせてしまったことへの罪悪感、そして、今もなおいつ帰れるか分からない状況が続いていることへの申し訳なさ。様々な感情が渦巻き、言葉を失ってしまった。
「…今は…まだ…分からない…」
そう言うのが精一杯だった。曖昧な返事しか言えない自分が、情けなかった。
しかし、楠木の肩に置いた俺の手の上に彼女の手がそっと重ねられた瞬間、心臓が跳ね上がった。電流が走ったかのように全身が痺れ、そしてそのまま動けなくなった。
しかし、その場では何も起こらなかった。何も起こらないように必死に努めた。
この状況でこれ以上軽々しく楠木に触れるべきではない。そう、理性で自分を抑え込んだ。
駅までの道のりを歩きながら、俺は様々なことを考えていた。
『楠木は、何を考えているのだろうか。俺のことをまだ想ってくれている気がする…。』
今日、楠木に会えたことで、俺の心から楠木への罪悪感は少し消えていた。
彼女を待たせてしまったこと、一方的に別れを告げてしまったこと。それらの後悔は、今でも俺の心を重くしていた。
今日楠木に会って彼女の気持ちを知ることができて、まだお互いに気持ちがある。そう分かったことは、俺にとって大きな収穫であり希望に満ちた出来事だった。 長い間閉ざされていた扉の隙間から、一筋の光が差し込んだように感じた。
しかし、出向も2年延長になるのが濃厚で、その間にまた入国が制限される可能性もある。そうしたら、また楠木を待たせることになってしまう。この不透明な状況が変わらない限り、軽々しく「ヨリを戻そう」とは言えない。安易に楠木の気持ちに応えてはいけない。と、俺は強く自分に言い聞かせていた。彼女をまた傷つけてしまうかもしれない。そんなことは、絶対に避けなければならない。
電車の中ではお互い無言だった。ぼんやりと考えているとすぐに二人の降りる駅についた。改札を抜ければそれぞれ別の方向へ進む。
「今日はありがとう。もし次帰ってくるときは連絡もらえると嬉しいな」
「………分かった。連絡する」
「ありがとう。ずっと逢いたかったから、鈴木とこうしてまた逢えて嬉しい」
「うん…。俺も。もう逢えないかもしれないと思ったから逢えてよかった」
『ずっと逢いたかったから』という楠木の言葉は、俺の胸に深く突き刺さった。同じ気持ちでいてくれたことが、何よりも嬉しかった。
楠木が涙を流し、俺の胸に顔を伏せてきた。楠木が人前で甘えてくるのは、初めてだった。いつも周りを気にして一定の距離を保っていた。
そんな楠木が頭を預けてきたことに、愛おしさ、切なさ、そして、守りたいという強い気持ちになり、俺の心をより惑わせた。心の奥底に眠っている感情と葛藤する。
しばらくすると、楠木は顔を上げ必死に口角を上げて震える声でこう言った。
「私…もう待ち続けるとか言わないから。まだ、心の中に鈴木はいるし、簡単に消えないけれど、仕事を一生懸命頑張っている鈴木を困らせるようなことはしないから。だから…また日本に来た時は逢いたい…日本にいる時は、鈴木の側にいさせて…。」
その言葉で、俺は我慢の限界を超えた。
楠木が口角を意識して上げて喋る時は、無理して笑おうとしている時だ。相手のことを気遣って笑顔になろうと必死に自分を奮い立たせている時だ。その痛々しいほどの健気さが俺の心の奥底に眠っていた、彼女を独占したいという強い欲求を呼び覚ました。
『楠木を誰にも渡したくない…。楠木を自分だけのものにしたい!!!!!』
改札を抜けて数百メートル。人前だろうと関係ない。周りの目などどうでもよくなった。
人影に気づく人もいるかもしれない。しかし、俺は気にせず楠木に深く熱いキスをした。
それは、二年間の空白を、今日の居酒屋での再会と帰り際も、ずっとずっと抑えていた感情だった。しかし、先ほどの言葉で抑えが効かなくなった。
『もう我慢できない。俺は、もう二度と離したくない』心の底から叫ぶように俺は楠木の頭を抑え、勢いよく抱きしめ口づけをした。