「自衛隊の中でいくつか我々で調べたいところがあるんですが、あいにく私や鷺沢さんは自衛隊員の中に潜入しても、訓練されてない体つきで目立ってしまいます」
「それで俺呼んだの?」
橘が呆れる。橘はかつて陸上自衛隊の偵察バイク隊の隊員で、今でもロードワークの日課を忘れていないために、服の上から見てもわかるほど身体が締まっている。
「私まで潜入して、って? 私、自衛官に見えるかなあ」
刑事の佐々木もぶーぶー言う。
「長髪にガリガリの身体の私や中年太り丸出しの鷺沢さんよりはマシです。佐々木さん、とりあえず自衛隊の制服着てみてください」
「え、着るの?」
すると鷺沢と四十八願、さらには橘までがジト目で見る。
「……はいはい、わかりましたよ。着ます。着ますよ。でないとめんどくさいし。で、更衣室は?」
「隣の納戸使ってください」
そして数分後。
「……マジ?」
3人は納戸で着替えて出てきた佐々木の海上自衛官姿にすっかり呆然としてしまった。
「スゴクイイ……」
「凜々しい、ってこういうことを言うんですね」
「写真撮って良いですか?」
「なんで私でそんな着せ替え楽しんでるのよ!」
佐々木は怒る。
「いや……ちょっとどころでなく驚いたよ」
「めちゃ似合ってるじゃないですか」
「ホンモノの自衛官より良いよ。自衛隊の広報誌の表紙にしたいぐらいだ」
「ええと。それはまずいいとして、どこに行けばいいの?」
「そうでした」
四十八願は説明図をPCのモニタに出した。
「橘さんと佐々木さんは一緒に防衛省市ヶ谷地区のこことここでこの機械を作動させてください」
「なにこれ。何をする機械?」
「説明すると長くなるので」
「って、まさか、私たちにミッション:インポッシブルやらせる気?」
「そうです。さすが話が早い」
「むちゃくちゃだ。もしバレて捕まったらどうするんだよ」
橘が抗議する。
「もし捕まったとしても最終的に監察本部の藤原3佐がフォローしてくれます。だから、不審がられたり捕まったりしたとしても藤原3佐が来るまで絶対に沈黙しててください」
「なんでまたこんな危ない橋を」
「私、それより前に警察官なのよ。それがこんなことして良いわけないじゃない」
橘も佐々木も非難ゴーゴーである。
「でも他に方法がないんだ」
鷺沢が頼み込む。
「一人の自衛官がその命を費やしてでも守りたかったもののためなんだ」
「……どういうこと?」
橘と佐々木はその言葉に目が?マークになる。
「今は言えない。でもハッキリ言えるのは、これ以外に彼の死に報い、正義を護る方法は無い」
「……よくわかんない」
佐々木はそう言う。
「まあ、でもいいか」
橘はなぜか納得顔になっている。
「えっ、なんで?」
「佐々木さん、そういうことってあると思いません? ただ生きてるだけだと歴史の流れに流されてただ負けてしまう。でもチョウのように小さな羽根でも、自分の意思で羽ばたけば、それが回り回って遥かとおくで嵐を引き起こせるかもしれない」
「バタフライエフェクト、ね」
「普通に生きてたら何事もないけどなにもできない。それなら少し冒険かもしれないけど押し流そうとするなにかに抗いたくないですか?」
佐々木は考え込んだ。
「僕はよくこういう言葉を思い浮かべるんです。『あともう少しで運命の向こう』って」
「そういう歌がありましたね」
「ええ。運命は冷たく残酷な鋼の壁のように目の前を覆っている。でもそれをこじ開け、その向こうにたどり着くための羽根は、小さいけどまだぼくらにあるんです。つい心細くなってしまうけど、それを越える勇気はきっと無駄にならない。勇気を出さないであとで後悔するより勇気を出して多少無茶でもやって反省した方が人生はお得だと思う」
「鷺沢さん、それを数日前にメンタルの危機だったあなたから聞くとは思わなかった」
「……そうですね。てへ」
鷺沢は照れた。
「照れてどうなるもんでもないけど、これをやらないとみんな困ったり人の命が奪われたり無駄になるんなら、やりましょう」
佐々木はそう言うと海上自衛官の制帽を被った。女性用の制帽を被った姿はさらに可憐だった。
「おねがいします」
四十八願は頭を下げた。
「橘さん、行きましょう」
「そうですね。正義のために」
橘はそう茶化して言った。
*
JR中央総武線の市ヶ谷駅。ホームに今どき灰皿を備えた喫煙所がある。そこに朝の電車で橘と佐々木が降り立った。
「おい! 橘じゃないか!」
声がかかって、橘は少し驚いた。
「え、坂東さん?」
「懐かしいな! 7Dの駐屯地以来じゃないか。でもおまえさん、隊を」
そこで橘が口に指を当ててシーッとした。
「そうかそうか。まあ、いろいろだな」
「坂東さんも。あれから出世したんじゃないですか? 今ここにいるって事は」
「お蔭様で去年度から1佐でここに配属だ」
「おめでとうございます!」
「でもここじゃ1佐は掃いて捨てるほどいるよ。石投げれば必ず当たる。駐屯地とちがって」
「駐屯地で1佐というとお迎えとお送りの黒塗りのクルマが出ますもんね」
「ああ。ここじゃ書類と使いっ走りの日々だよ」
「でもがんばってるんですね」
「そうでもないさ。こうして時間潰してるし」
「あ、そうですよね。いいんですか? 国旗掲揚」
「ああ。あれの直立不動が腰に来るから、ここで煙草吸いながらサボってるのさ」
「ありゃ」
「といいつつ、ここの背広はだいたい同期だ。だから雑談してるウチに仕事の打ち合わせになったりな」
「何ここまで社交場にしてるんですか」
「旧軍の頃からそうかも知れない」
「んなバカな」
「まあいい。ところで隣の海自の子は? 彼女さん?」
佐々木は顔を真っ赤にした。
「いえ、ちょいと仕事で同席してるだけです」
「おまえさん好みの顔だなーと思ったけど、そうじゃないのか」
「ええ」
「そうかそうか。さて、掲揚も終わっただろう。行くよ」
坂東1佐はそう言うとスタスタと歩いて駅を出て、丘の上にそびえる防衛省市ヶ谷庁舎に向かった。それに橘と佐々木も続く。
「このグランドヒル市ヶ谷ってホテル、これ自衛隊丸抱えのホテルなんだ。知り合いの隊員で怪我して除隊したのがここで働いてる。結婚式ここでやる隊員もいる」
「橘さん、普段より口数多い気が」
「え、そうかな……」
橘は考え込んだ。
「まあ、懐かしいとこうなっちまうのかも」
そして正門に着いた。
「こういうとき、エベレストに旗を立てるぞ、って言うんだ」
「ほんと橘さんもそういうの好きですね」
「みんなこういう冒険は大好きなのさ。本当は。なんかワクワクしてきた」