「一番高いビルがA棟。鉄塔があるのがB棟。情報本部があるのがB棟に向かって背中を向けてるC棟。裏の厚生棟には隊員用のコンビニやスタバがある」
「橘さん、市ヶ谷に来たことあるんですね」
佐々木が言う。
「いや。さっき一般見学者用のパンフレット見ただけ。地方の駐屯地暮らしだったからここのことなんかまるで知らないよ。地方から見れば雲の上みたいなもんだ。帰りに見学者用の売店に寄ろうかな。ちょっと欲しいものがあるんだ」
「でもこれ」
佐々木はチェーンで体と結んだ自衛隊の身分証を見た。
「四十八願さん、これ、どうやって手配したんだろう?」
「考えたくない。公文書偽造、経歴詐称とかさっきから罪名がいくつも浮かんで走馬灯みたいになってる。これ合計で懲役何年だろ、って」
大丈夫ですよ、と四十八願からのメッセージが入る。
監察本部はこれまでも監察のための内偵をしてきたし、その中にはこの手の工作もあるんだそうです。特に最近はパワハラセクハラ事案が増えて自衛隊の権威が失墜してるので、それだったらちょっと危なくても未然に内偵で先手を打てた方がいい、って方針とか。
「マジか……」
自衛隊には高度な秘密を扱う部署もあります。それを隠れ蓑にした犯罪もあるので、監察本部は大臣直轄でそういう所にも内偵できるようになってるんです。
「そうだろうけどさ」
二人は防衛省正面ゲートを通り、大階段のエスカレーターを使って丘を登る。
「でもそこまでやるなら、監察本部の人間でやれるんじゃないの?」
監察本部は今、セクハラ事案の対応で内偵要員がひどく不足してるんだそうです。
「だからってぼくらに任せちゃうってどういうこと?」
雑談はそろそろ切り上げましょう。その機械を設置する位置を知らせます。それほど正確でなくてもこっちで調整できますので、落ち着いて設置してください。
「へいへい」
まずA棟の中に入って、1階の北非常階段ホールに1番の箱を置いてください。
「置くって、ほんとに置くだけ?」
他に何があります?
「壁にしかけるとかじゃなくて?」
ええ。隅っこに目立たなく置いてくれればOKです。
「これでいい?」
かけたスマートグラスのカメラで設置した様子を撮影して送る。
ばっちりです。
四十八願のそのコメントとほぼ同時に、小さな名刺箱サイズの機械のLEDがさっきまでの赤色から緑の点滅に切り替わり、その点滅も猛烈な速さになった。
あともう一個お願いします。
「今度は殉職者慰霊碑の裏?」
はい。
「なんだかさっぱりわからん」
すみません、今説明してる時間ないんです。
「そうだろうなあ」
A棟を出ると「おつかれさまです!」と若い隊員の挨拶を受ける。
「制服ってすごいよね。これ着てると誰も疑問に思わない」
「だから警察で売買を監視して阻止してるんです。大手だけでなく中小の売買サイトも監視対象です」
「え、その監視ってまさか人力で画面見て?」
「少し自動化しましたが」
「やっぱり人力なのか。どうりでザルだと思った」
橘の言葉に佐々木が「ぐぬぬ」の顔になっている。
「ずいぶん懐かしいヘリが飾られてるな」
メモリアルゾーンです。ここに殉職者慰霊碑があります。
「例のミサイル開発で死んだ彼もここに?」
そうなるでしょうね。残念ですが。
「そりゃそうだよなあ。なんでまたあんな変な自殺を」
そこなんですが、自殺かどうかについては。
「ええっ、他殺の線が出てきたの?」
それも帰ってきてからにしましょう。設置お願いします。
「へいへい」
そして設置が終わった。
「じゃ、帰るとしますか」
橘と佐々木は目を合わせた、その時だった。
「あー、沢田2尉ここにいた! やっと見つけた。どこ行ってたんですか。撮影もう始めますよ」
カメラマンらしき男が声をかけてきた。
「沢田? 私は佐々木……」
「時間ないからそれはあとでお願いします」
ナンダソレは。
「金井3尉も。時間ないから急ぎましょう。ちょうど表紙撮影に良さそうなパーティション見つけたんで、そこで撮ります」
金井?と自分を呼ばれて橘も戸惑う。
そしてバタバタと撮影が行われ、終わったところで「おつかれさまでした!」となってしまった。
「なんだったんだろう……」
「わからん」
「まあいいわ。帰りましょう」
そこに声がかかる。
「あ、お二人にはグラヒルに部屋取ってあるので、今夜は泊まってください。遠くから来てお疲れでしょうし」
「へ?」
「それでなんで私たちにツインの部屋用意してあるのよ!」
佐々木は顔を真っ赤にしている。
「俺もあまりのことに理解が追いつかない……」
橘も困っている。
自衛隊の広報誌で取り上げる隊員を取り違えちゃったんですね。でも今からそれを否定すると潜入がバレますから。
「バレますから?」
諦めてください。
「なんですってぇ!!」
佐々木はすっかり動揺している。
「まあ、自衛隊って本来任務はキッチリやるけどこの手の業務は案外抜けてることがあるんだよね」
「あるんだよね、じゃないです!」
「まあまあ。仕方ないさ。佐々木さん、ここで寝なよ。俺、外いって一晩時間潰してるから」
「えっ、橘さん野宿するんですか?この市ヶ谷で」
「だって、いやでしょ?」
「い、いえ」
「年頃の男女がこんな部屋にいたら、間違いが発生しかねない。俺はやるつもりはないけど、佐々木さんは」
「いいですよ。私もそこまでじゃないし」
佐々木は息を整えた。
「諦めて泊まりましょう。でも」
「大丈夫。俺は君に今夜、指一本も触れない」
佐々木は顔を上げた。その整ったあごの鋭角が、薄暗い部屋の灯りでなまめかしく浮かぶ。
「だ、大丈夫」
橘はそうどもって答えた。