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第32話 被害者は日本国民?(1)

 海老名の子ども食堂「マジックパッシュ」は正月を迎えていた。

「はい、お餅におぞーにとおせち」

 寒いけれど晴れの日差しの中、子どもたちに正月料理が振る舞われる。

 全て近所の高齢のおばさまがたがボランティアで作ってくれたものだ。

「いいわねえ。昔ながらのお正月みたいで」

「あとで神社にみんなでお参りしても良いわねえ」

 おばさま方は手間をかけたおせちの作業で疲れているはずなのに喜んでいる。

「ちょっと前は核家族の時代だから寂しかったのよね。だからおせちもだんだんめんどくさくて省略になっちゃって。もうこれから作る機会もないかなと寂しかったのよ」

「あら、佐々木さん」

 そこに佐々木刑事が現れた。

「ご挨拶にいらっしゃったんですか?」

「い、いえ、ちょっと近くに来たので、のぞいていこうかなーと」

「佐々木さんもお雑煮、いかがですか?」

 おばさまがたが奨める。

「え、それは……」

 その佐々木に子どもたちが抱きつく。

「お姉ちゃん、福笑いー」

「羽根つきー」

「こらこら、お姉さんはお仕事なのよー」

 おばさま方がたしなめる。でもみんなあふれるような笑顔だ。

「ごめんねー」

 佐々木はそう笑って答える。ほんとうに平和な、穏やかなお正月の風景である。

 この年になっても相変わらずの格差社会だし、根深い相対的貧困も全く解決していないが、人々の力でここでもこんな寸時の息抜きができている。

 佐々木はそのことが、心の底からうれしかった。警察官としても一人の女性としても日々、殺伐としたニュースに接して暗澹たる気持ちになるしかない日常が続いていたが、この正月の風景は、新年らしく心をすがすがしくしてくれて、うれしいものだった。

「でも羽根つきぐらいしましょうか」

 佐々木はそういう気になった。

「えー! ほんとー!」

 佐々木はそう言って羽子板を選ぶ。

「じゃ、いきますよー」

 そう佐々木が羽根をトスする。

 すると相手の男の子がそれを突然、ものすごい勢いでスマッシュした。

「えっ」

 すりぬけて壁に刺さった羽根に、佐々木は驚いて固まってしまった。

「この子、バドミントン県大会で準優勝なんですよ」

「そうなの?」

 佐々木が聞くと、男の子はにやりと笑った。

「5番勝負、すき焼き賭けましょう。おばさん」

「おばさん!?」

 佐々木はその呼ばれ方に色めきだった。

「でもすき焼きなんてあるんですか?」

 言いながら鷺沢が奥の四十八願の仕事部屋から出てきた。

「そうよー。近所の食肉工場さんがくれたのよー!」

「すごいですね」

「この子たちも本当に喜んで」

「そりゃそうですよね」

「餅つき、鷺沢さんも手伝ってくれますか? 男手がたりなくって」

「いいですけど、腰いわさないかなあ……このところ運動不足だから」

「どうしたんですか、鷺沢さん」

 佐々木が聞く。

「いや、年越しの仕事が一つあって。四十八願と組んで徹夜で仕上げてた」

「たいへんですね」

「たいへんだけど貧乏だよ。単価はどんどん実質的に下がるし」

「そうなんですか」

「でも僕らの正月と言えば正月番組だったんだけど」

 おせちを食べ終わった子どもたちはそれぞれスマホやタブレットで動画を見てくつろいでいる。

「さすがテレビ、流行ってないなあ。紅白に『行く年来る年』見て、寝てから朝になったら初日の出中継、そのあとフジテレビの『笑っていいとも特大号』、あと日テレの『平成あっぱれテレビ』とテレビ三昧だったよなあ」

「ここでそんな90年代テレビの話しても誰もわかりませんよ」

 奥から四十八願が服のえりを直しながら出てくる。

「えっ、ええっ、ええええ!!!」

 佐々木がめちゃくちゃ驚いている。そりゃそうだ。

「子どもたちがいるのに! 不潔っ!!」

「え、……あ、そうか。いやこれ、別にそういう意味じゃないですよ」

「じゃあどういう意味なんですか!!」

 佐々木はすっかり動揺している。

「でもなあ、単に徹夜明けで着替えただけなんだけどなー」

 そう首をかしげて困っている姿すら、やたらあざと可愛く見える。

「もうっ!!」

「おばさん、羽子板ー」

「うるさいっ」

 佐々木はそれどころでなく目を覆って顔を真っ赤にしている。

「まあ、仲良きことは美しきかな。で、正月のテレビ、なんかないかな」

 鷺沢がテレビをつける。

「森下総理は年始の挨拶を沖縄から行いました」

 沖縄首里城に設けられた演壇の総理の演説の動画に切り替わる。

『この沖縄には3つの正月があるのだそうです。一つは新暦1月1日。もう一つは旧暦の1月1日。そして旧暦の1月16日を祝う十六日祭というものがあるのだそうです。十六日祭、海に生きる沖縄の人々にとっては大事なお祭りと聞きました。私は知らなかったけど、素晴らしい伝統だと思います。

 沖縄は古来より東西文化の重要な交流点でもあり、おおらかさを持つ土地なのだと思います。しかしこの沖縄はかつて戦火により甚大な犠牲を払い、その上いま、大きな負担をしています。でもその負担によって、日本全体の国民保護がなされているのも事実であります。 私は日本国民を代表してその重要な地域の人々の暮らしに寄り添い、日米同盟を機軸とした外交と、沖縄への経済振興策の実施により、沖縄への日本のを有意義なものにするべく内閣総理大臣として努力していく所存です』


「ええええっ!!」

 鷺沢も佐々木も、おばさまがたまでもが愕然としている。

「総理、何言ってるの!!」

「まずいってば! なんで!?」


「総理のこの『実効支配』発言について、波紋が広がっています」

 テレビアナウンサーがそう加え、鷺沢も『マジですか……』とすっかりあきれている。

「正月から何やってるんだよ……勘弁してくれよ……」


 にもかかわらず、マジックパッシュの正月は穏やかな晴れの日だった。



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