「しかしどうにもなんねえよなあ」
「また溜息。幸せ逃げますよ」
「仕事もみつかんない。収入は減る。ぼく、氷河期に生まれて全くろくな事がない」
「はいはい」
子ども食堂・マジックパッシュはもうすぐ春、新学期を迎える。通ってくる子どもたちに食事や勉強を教えるのといっしょに、ここにくるボランティアの大人たちは新入学の子どもの学用品の名前書きなどの作業支援も行っている。その経費をまかなうのには四十八願をはじめとする大人たちの寄付に、一部行政からも補助が出るのだ。
「へええ、今は名前書き、スタンプで出来るんだね」
見ていた鷺沢が言う。
「ちゃんと油性なので防水で消えにくく、それにフォントも工夫してあって子どもでも読みやすいんですよ」
「あれ、鷺沢さん、昔結婚してませんでした?」
作業しているおばさま方が聞く。
「ええ。すてきな良い結婚でしたよ。離婚したけど。だから子ども持ったことないです」
「なんでまた」
「長くなりますよ。その話」
「じゃ、いいです」
「いいんかいっ!」
鷺沢は笑った。
「でも溜息だよなあ。結婚の頃はなんでも良くなると思って凄く前向きだった。でもダメだったんだよね。ぼくには結婚する資格はない」
「そうなんですか? 鷺沢さん、何かと優しいですし」
おばさま方がそう言う。
「そうでもないですよ」
「せっかく佐々木さんも四十八願さんもいるのに」
「だめ。それは絶対ダメ。あんな若い子を残りのぼくの人生に巻き込むなんて絶対ダメ」
鷺沢はぶるぶると否定する。
「長い話になる。でも結婚ってステキだし、幸せでいいもんだ。何よりも一番強い承認をくれる。自分を選んでくれた異性と、その異性とのあいだの子どもの存在ほど強く大きな承認はないんじゃないかな。心理的にも社会的にも生物的にも大きな効果がある。そして何よりもこの社会や文明がそれを望んで、それによって成立している。そして個人の成長や発展にも大きな寄与がある。結婚して初めてわかることも一杯あるんだ、と思った」
「だれの言葉です?」
「ぼくですよ。ぼくの。作家なんですよぼく。戦記作家だけど。今でもそうだし。忘れそうになるけど」
「そうでしたね。ほんと」
「離婚なんかしたい人はいないと思うけど、離婚でその結婚の価値や意義がよくわかった。だから、佐々木さんとか四十八願には良い相手が出来てほしいと思う」
「そうですか」
四十八願はミルクコーヒーを飲んでいる。んく、んく、と飲むその仕草がやたら子どもっぽい。
「ほんとなー、四十八願可愛いのになー」
「そうですか? 私ひきこもりだし学歴もないし。家事もぜんぜんできませんよ」
「『割れ鍋に閉じ蓋』っていうひどい言葉もあるけど、どんな人でも待っている人がどこかにいるもんだ」
「そうですか? でも鷺沢さんにもいたんですもんね」
「でしょ! そうそう。いい嫁だったんだ。一緒にテツな旅行とかいったし」
「嫌がりませんでした?」
「むしろ嫁のほうがノリノリで。当時見た列車のヘッドマーク見て『かっこいい!』って言ってたぐらいだもの」
「へえ、そうなんですか。レアキャラだったんですね」
「だから、惜しいんだよなあ。あんな良い子無いと思う」
「じゃあなぜ離婚を」
「良い子だから、ぼくにはもったいないと思っちゃったの」
「そうなんですか?」
「結婚も離婚も長い話になっちゃうけどね」
そのとき、呼び鈴が鳴った。
「佐々木さんかな?」
鷺沢が出る。
「もー! どうしてこういう変な事件ばかり私に担当させられるの!」
佐々木が捜査書類をどんとテーブルの上に置く。アットホームなこのマジックパッシュのテーブルなので可愛いテーブルクロスのかかったこたつテーブルである。その上に物々しいフォントで印刷された捜査書類のコントラストがエグい。
「ええと、えっ! 女性が自分に対する暴行容疑で警備ロボットを訴えたの? しかもそこの所轄警察さん、それうけて暴行容疑でロボットを逮捕? なんじゃそりゃ!!」
読んだ鷺沢があきれる。
「おかしいですよね。なんでこうなっちゃったのか」
「ツッコミどころしかないぞまた……」
四十八願もあきれているが、
「あ、この被害者さん、
「あの今話題の桜井教授!?」
「多分そうですね。理論女子大学人間社会学部教授、ですもの」
「ありゃりゃ。ということはこれ、ネットだとものすごい引火性の事件じゃない? フェミニズムで有名だし、最近だと弱者男性批判に萌え絵批判とかで炎上してるし」
その鷺沢に佐々木が口をとがらせる。
「もうそうなってますよ。ネットはそれですっかり炎上祭です。わたしたち警察もそれで警戒してます。エスカレートしたら何が起きるか」
「メーワクそうに言わないの。警察はそれが仕事なんだから」
「あなたに言われたくないです!」
佐々木は不愉快そうだ。
「でもロボットが暴行事件、って……ツッコミどころしかない」
四十八願が首をかしげる。
「でもロボットの犯罪って、たしかSF映画や小説ではいろいろ題材になってませんか?
あんまり私は読んだことないけど」
「大昔にロボット三原則、ってのがあったからね」
第一原則「ロボットは人間に危害を加えてはならない」
第二原則「第一原則に反しない限り、人間の命令に従わなくてはならない」
第三原則「第一、第二原則に反しない限り、自身を守らなければならない」
第一原則が最も優先される。
「これ、大昔のロシア生まれのアメリカの作家、アイザック・アシモフが作ったのよ。でも例外もある」
3つの原則は、次のロボットに適用できません:
安価で容易に交換がきくため、自身を護る必要がないロボット
あらかじめ用途・機能が設定されており、命令を必要としないロボット
その機能や行動が、決して人間に危害を加える物でないロボット
「こんな例外が」
「しかも牧歌的な時代だったんだよね。ロボット工学ではこれを守るはずだったんだけど現実的にこれをロボットに実装するのは無理だって言う人もいる。今のロボットのAIだとフレーム問題おこして処理できないって。そのうえ今は自律型の自走銃架なんてのがある。キャタピラつきのシャーシの上に機関銃乗せて、作動させると電池が切れるまで延々と自動的に敵を探して銃撃する」
「人間に危害加えまくりじゃないですかそんなの」
「現代戦で使われる、あるいは使われてるって話だもん。技術的にも可能だし。ほかにも空中を自律飛行して、怪しい車両を判断して、それにミサイルどーん、っていうドローンも。一応規制されてることになってるけど、いつまで自制できるやら。ウクライナじゃもうクラスター爆弾規制も実質なくなっちゃったし」
「でも今回、そういう話なんですか」
四十八願が言う。
「いや、それが」
佐々木はちょっと言いよどんだ。