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第50話 暴行犯は高度警備ロボット?(3)

 フェミニズムとは何か


 大学の教室。桜井教授は黒板に大きく書いた。この大学では黒板が現役だった。

 鷺沢はそれを教室の一番後ろの席で聞いていた。鷺沢は高卒であり、この大学の学生でもない。いわゆるモグリである。桜井教授のことを少しでも知りたくてモグリをすることにしたのだ。

 ネットでは桜井教授は萌え絵を批判して炎上したりしているが、ネットというものは人間の一部の要素を過剰に強調することがある。たしかに桜井教授の意見は偏った意見に思える鷺沢だが、ネットの性質を見るとなにか、ネットの外に真相がありそうな気がするのだ。


「フェミニズムとは女性の権利や地位向上を目指す運動のことです。そしてその基礎は男女平等の理念にあります。フェミニズムは女性だけのものではなく、男性やLGBTQ+などのマイノリティも含めた、全ての人々のために、社会の不平等や差別を解決することを目指す分野です」


 桜井教授は語るが、学生たちの反応は、と見ると、やっぱり薄い反応だった。ほとんどは反応せず無関心な表情でスマホやノートPCに向かっている。後ろのほうでは小声で話したり笑ったりしている。女子学生ですらもそうなのだ。男子学生に至っては露骨にあくびしたりしている。

 ちゃんと聞いているのは女子学生の数人だけのようだ。


 だがそのとき。


「フェミニズムなんて要らねえよ」


 という声が聞こえた。教室の一番後ろに座っている男子学生だ。それに集まる注目。鷺沢はそのとばっちりでモグリがバレるのではないかとすくんだ。


「今の日本、ほとんど男女平等じゃないですか。教育も仕事も政治も今の日本では男女どちらでも出来る。それなのに騒いで問題ばかり起こしてるフェミニズム、正直言って時代錯誤だし邪魔じゃないですかね」


 桜井教授は怒りもしなかった。悲しみもしなかった。ただ、その意見をしっかり聴き、それに穏やかに答えた。


「それは今の世相にありがちな大きな誤認ですね。日本のジェンダー格差はランキングでは153カ国中の120位。政治や経済に女性リーダーはまだ少ないし、賃金格差、セクハラの問題も未だに深刻です。それを解決しようというのがフェミニズムです。今だからこそ必要です」


「それは統計のおかしなとこで、現実を反映しているとは思えない。それに政治経済への女性リーダーが少ないのは女性がそう選んでるから。女性は未だに専業主婦になりたいとか養われたいと思っている。事実デートでもおごってほしい、おごるのが当たり前だなんて言ってる女性も多い。フェミニズムはそういう人たちを不幸にしているだけです」


 そのときだった。


「そうかな。それはあなたの偏見じゃないですかね」


 そう言ったのは、なんとモグリの鷺沢だった。


「女性がそれをちゃんと自分で選んでるって言い切れるかなあ。いろんなしがらみ、幼い頃からそう育てられちゃってるとかそういうので我慢してる女性も多いと思う。そもそもネットはそういう声を拾うのは苦手だよ。おごりだってあんな恥ずかしいこと書くのは一部だ。少なくともぼくの知ってる女性はそういうことを恥ずかしいことだ、言うべきことじゃないってわかってる。

 でもこの社会ってそういう慎ましい人々につけこんで選択肢を奪い、いかにも選択させたように装って強制させることがスゴく多い。そういうずるい社会に対抗するには、男性女性にかかわらず自由を実現できる社会を目指すフェミニズム、ちょっと過激な人も多いけど、要らないといって良い思想とは思えないけど」


 鷺沢はそう言ったが、教室がしんと静まりかえり、直後自分がモグリであることを思い出して真っ赤になった。


「ありがとう。あなたの意見は大切ですね。そう、フェミニズムは私たちの生活に密接に関わる思想です」


 それで教室の空気が変わった。男子学生はまだ反発を続けていたが、少なくとも小声で別の話をしたりあくびをするのはやめた。女子学生はさらに教科書を開いてメモを取りはじめた。何よりも男子学生女子学生双方が活発に教授に質問をするようになった。


「フェミニズムとは何か、と書きました。ここでその歴史、理論、運動について学びますが、何よりも大事なのはそれだけでなく、自分の立場、経験からこのフェミニズムを考えること、そしてこれがはたして何なのかを考える。それが私たち一人一人に必要なことなのです」


 授業が終わった。

「すみません」

 鷺沢が教室から研究室に戻る教授に話かけた。

「あなた、モグリさんでしょ。見慣れないし年齢もいってるからわかったわ」

 桜井教授はそう微笑む。

「バレてましたか」

「みんな間違うんだけど、教壇から教室のなかの一人一人ってスゴくよく見えるのよ」

「そういう先生多いですね」

「それなのにヘーキであくび。なかには最前列で寝ちゃうのもいる。負けないけどね」

 教授は微笑んだ。

「そうなんですか」

「で、あなた、フェミニズムへの関心だけでここに来てるわけじゃないでしょ? ウェブで話題の炎上教員をどんな人間か、見に来たの?」

「いえ、知り合いから、教授が被害届を出したロボット暴行事件について調べてほしいと」

「メディア?」

「いえ、そういうのじゃないんです」

 鷺沢は寂しそうな顔になった。

「そういうのだったらまだ良かった」

 教授は怪訝な顔になった。

「ぼくは大学に行ってない、企業にも今じゃ属せない、行政からも企業からももういらないと棄民された氷河期世代ですから。もう異世界転生小説で緩い自殺願望を和らげてなんとか生きてるような状態です」

 教授は目を見開いた。

「あら、そうは見えなかった」

「実態は惨憺たるもんです」

 教授は少し考えた。

「ちょっと興味あるわね。それもまたフェミニズムで扱うべき問題かもしれない。ちょっとこれから研究室にものおいて、食堂行くけど、行く?」

 鷺沢は驚いたが、頭を下げて答えた。

「よろしくおねがいします」

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