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第54話 暴行犯は高度警備ロボット?(7)

「お待たせしました」

 桜井教授が、待ち合わせた保土ケ谷のファミレスにやってきた。

「こちらこそ、およびだてしてすみません」

 鷺沢が頭を下げる。

「こちらは? 彼女さん?」

 隣でそう扱われてむっとする佐々木。

「いえ、こちらはぼくの仕事のパートナーです。役所の正職員」

「あなた、役所の臨時職員って言ってたわね。ほんと、今の役所が率先して非正規を脱法雇用してるのはゆゆしき問題ね」

 佐々木は更にむっとする。

「で、お話は」

「すみません、教授。教授は聡明だからご存じと思いますが」

 鷺沢は頭を下げる。

「あの警備ロボット暴行の被害届、取り下げていただけませんか?」

 佐々木はビックリしている。いきなりド直球にもほどがある!!

「ああ、あの件ね」

 教授は考えた。

「そうね。もう取り下げても良いかもね」

「ええっ!!」

 佐々木は更に驚いた。なんだこのド直球のラリーは!!

「じゃあ、なんで被害届なんて」

 教授は微笑んだ。

「あの子、ソフィア1号に予想外なコトされちゃって。私、すっかりうろたえて」

「何をされたんですか」

「あの子に全て見られてたの。夫とのことも」

「えっ」

「紡さんのことですね。なれそめから今の暮らしまで伺いました。でもぼくもお話しの中で気になってることもあったんです。教授、紡さんの話をするとき、楽しそうなんだけど、どこか寂しそうだった。すぐ打ち消すような目をしていたけど」

「あら、バレちゃってたのね。鷺沢さんには」

「正直、二人の関係だからぼくから言えることじゃないと思いました。でも推測は出来た」

「なるほど。ソフィア1号と同じなのね」

「ええ。実際あったり映像にとったりって事は、予想以上に情報量があって、上手く分析すると相手を丸裸にしてしまう。だからとても危険なんですが」

 鷺沢は言いよどんだ。

「マンションの共用ロビーでお会いした紡さんの身体に、あざが見えて、あ、って」

「ええっ!!」

 佐々木はさらにビックリした。

「まさか!!」

「ええ。私、夫を傷つけてました。今それで離婚にむけての話をしています」

 教授は頭を下げた。

「フェミニズムの旗手がDVの加害者、って。こんなのバレたら更に大騒ぎよね」

「ぼくは黙ってます」

 鷺沢がそういう。

「DV防止法にはDV行為の発見者に通報の努力義務がある。罰則はないけど、守秘義務に関する法律でその通報を妨げる解釈をしてはならない、とされている。だからぼくも努力しようとした。でもDVってのは実際はすごく複雑なもの。いうなれば人間の愛情に関する仕組みの重大なバグみたいなもので、単に引き離せば良い、という立場もあるし、それが一番有効な対策だけど、残念ながら女性のDV被害に比べて男性のDV被害のフォローはなかなか制度が整っていない。女性にはDVから避難するシェルターがあるけど、男性向けのDVシェルターはとても少ない」

 教授はすこし黙ったあと、静かに話し出した。

「ほんと、夫にはすまないと思っています。私がこうなってしまった理由を考えて私もつらかったけど、剣を振るったと言って手を責めるのは愚か者。私自身がおろかなのだし、そのせいで私のフェミニズム活動も行き詰まってしまった。本来なら男性のDV被害も男女平等の立場から救済を訴えるべきなのだけど、私にはそれを言う資格がない。夫への暴力をとめられない私にはできない」

「……だからカウンセリングを受けてたんですね」

「ええ。でも離婚ってものには高い壁があって、なかなか簡単にはできない。一緒の名義で買ってしまったマンション、家族割で契約した携帯電話。些細なことかもしれないけどすべて解約や処分には夫との共同作業が必要になる。おびえる夫にそれを強いるのはつらいことだけど、夫はもっとつらいのだと思う」

「でもDVをやめられない。それがDVの恐ろしいところです」

 鷺沢が継ぐ。

「ええ。正直、それで私は死にたいと何度も思いました。私がいけないんだからと。私が死ねば解決するんじゃないかとまで。でもそのたびに夫が救ってくれるんです。でもしばらくするとまた加害してしまう」

 佐々木は真剣に聞いている。

「夫の収入は国の緊縮政策で研究費は残ったけど研究室に必要な経費はめちゃめちゃに減らされ、結果研究をやめなくてはならなくなりそうで、それを今私が補填しています。夫と別れたら私からの援助を失い、夫は幼い頃からやってきたロボット研究を諦めることになる。それも避けたい。それで私はどうしたらいいのかわからなくなりました。カウンセリングも結局はすぐには解決につながらない。焦っているからそうなのかもしれないけど」

「カウンセラーの技量によってはただの愚痴聴きに終わることがありますからね」

 鷺沢もうなずく。

「結局、いろいろネットで言ったり教室で教えていても、私も迷いの底。とても他人に何かを教えられる立場ではない。でもそれを捨てることが出来ない」

 佐々木は複雑な表情になった。

「それでもう私の頭も、混乱していました。そんなとき、警備ロボットのソフィアがあのホールで話かけてきたんです。『あなたが逃げても良いんですよ』と。そして私をエレベーターホールに押し込めました。私はサッパリ理解できなかった。そしてそのとき、ソフィアに恐怖を感じました。あんなゆっくりとしか動かない自走式お地蔵さんみたいなロボットなのに。私の頭はそのとき完全におかしかった。パニックを起こしていた」

「それで弁護士さんに被害届提出を頼んでしまったんですね」

「どうかしてました。人間ここまで追い詰められると、こんなにもまともな判断が出来ないのか、と自分を内心なじりました」

 佐々木と鷺沢は聞いている。

「私はどうしたら良いんでしょう……」

 桜井教授は涙を浮かべていた。

「夫も、夫の研究も、フェミニズムも好きなのに、私は多分それを全て諦めるしかない。つらい。でも、私はそうしなければ夫を傷つけすぎる」

 鷺沢はうなずいた。

「わかっていてもやめられない。それがDVの本当に恐ろしいところです。とくにいい第三者がいいアドバイスをしてくれない場合は、その迷いはますます深まり、それで命さえも危うくなります」

 教授はハンカチで目を覆った。

「ステキだった結婚も私はすっかり台無しにしてしまった。あんな楽しい夫との生活もこうなってしまった。私が悪いからいけない。でも私は、いったいどこで間違えちゃったの……!」

 教授は嗚咽し始めた。


 そのとき、ロボットがきた。


「!!」


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