「今日から新学期だねー」
202*年4月1日。
「エイプリルフールって私、反対ですからね」
四十八願が言う。
「なんでまた」
「私はウソが嫌いなんです。良いウソも悪いウソも」
「まあたしかに」
「世の中安易にウソつきすぎです。ウソそのものがすでに良いモノではないのに」
「そうかもなあ」
鷺沢はいつものようにぼんやりと答える。
「でも四十八願は冗談すぐ真に受けちゃうよね」
「だから嫌なんです」
「去年は『TOMIX(鉄道模型メーカー)が一般のお客がデザインした車両を小ロットで生産するオンデマンドサービスを始めたんで、うちの模型で作った架空周遊列車『あまつかぜ』注文したんだ! っていったら、ものすごく本気にしてたよね」
「うっ」
四十八願は思い出している。
「その前の年は『KATO(これも鉄道模型メーカー)が実在・架空問わずにお客の好きな列車のサウンドを作って車両の音を鳴らすボイスボックスのサウンドデータカードのオンデマンド生産を始めた、っていったらそれも『あまつかぜ』のサウンド作れますね! ってすごく本気にしてたね」
「うぐぅ。でも私は本当に喜んだんですよ! 鷺沢さん『あまつかぜ』の模型大事にしてるから!」
「でも冗談だっていっても四十八願止まらなくなっちゃってやばかったよなあ。ほんとにTOMIXとKATOに電話問い合わせしちゃうとこだったし」
「だから嘘はだめなんです。ほんとにもー」
その時、鷺沢のスマホの通知音がなった。
それでその画面を見る鷺沢の表情が一変した。
「マジか……」
「どうしたんですか」
「四十八願、テレビつけて!」
鷺沢の切迫した声に四十八願がリモコンでテレビを付けた。202*年4月1日月曜日9時22分。テレビはどこも朝のワイドショーを流しているが、そのどれもが一挙に緊迫した放送になっていた。
「横浜国際大学で爆弾事件? ほんとですか!?」
このマジックパッシュのおばさまがたも、この事件に言葉を失っている。
アナウンサーが緊急ニュースの文章を繰り返している。だがまだ詳細が入らないため、ただの繰り返しになっている。それでも早くも中継ヘリからの現場の空撮画像を流している局もある。
大学の建物に穴が空き、破片が散らばる中薄い煙が漂う現場が映し出される。
「これはエイプリルフールじゃないらしい」
「そりゃそうですよ」
「けが人が出てる……ひでえことしやがる!」
「本日9時22分、神奈川県横浜市保土ケ谷区の横浜国際大学文学部1号館で爆発がありました。現在けが人などの情報が錯綜していますが、救急の話では現在確認分で6名の負傷との情報です。この爆発については大学側関係者に爆破予告が届いていて、その対応中の爆発という未確認情報が入っています。爆破予告の内容については公開されていませんが、警察は1974年4月1日に発生した『初日爆破事件』の模倣事件の可能性があると判断、捜査を行っているようです。繰り返します。神奈川県横浜市保土ケ谷区の横浜国際大学文学部1号館で爆発がありました。爆発により6名の負傷者が出ているとの情報が入っています。神奈川県警は何者かによる爆破事件と見て捜査を行っています。
この件は詳しい情報が入り次第さらに放送いたします。
爆破事件、被害が大きくならなければよいのですが」
NHKアナウンサー出身のキャスターが読み上げる。
「そうですね。大昔、学園紛争時代の『初日爆破事件』の模倣事件っていいますが、こういうことはどういう理由があろうとも絶対にやめてほしいです。暴力では何も解決しません」
コメンテーターがつなぐ。
「そうですね。では……元のコーナー『今アツい!映画で好評『銀色の未来鉄道 名探偵コナンvs鉄研でいず!』の鉄道研究部ってどんな部活?』に戻ります。大学での爆発については詳細が入り次第またお知らせします」
「しかし酷いことになったな……」
「学園紛争時代、って、鷺沢さんのお父さんお母さんの世代の話ですよね」
四十八願がそういう。
「四十八願にとっては生まれる30年以上も前の話だもんな。知らないのも無理はないか。ぼくも直接の記憶はないし」
鷺沢は呼吸を整えた。
「あのころベトナム戦争とか中国の文化大革命がおきてて、日本国内でもそういう動きに呼応して『世の中変えよう』って動きが高校や大学でもちあがった。当時は権威主義でガチガチの大人も多かったからそれとの対立が激しくなってあちこちで学生がデモやストライキやったり学校を占拠したりしたの。でもさらに暴力事件起こしたり内部分裂するようになって、それまで理解的だった社会からの支持をすっかり失い、衰退した」
鷺沢は続ける。
「でも学生たちもひどかったけど大学も結構酷くて。東大医学部なんかインターン制度っていう研修制度を給与や労働条件の保証ないわ登録に逆にお金払わないといけないわの登録医制度に変更するってことになって。
それを改悪だ!って反発した学生や研修医が医局長以下教授たちのいる部屋を封鎖して、それに医学部当局がそれやった連中を処分で退学停学にしたら、その時いなかった学生が含まれてて。おかしいだろ誤認処分だ、っていっても当局はそれを無視しちゃって。しかももともと東大医学部附属病院では東大卒業生以外の研修医は人にあらずみたいな差別もあったらしい。それでよけい大揉めに揉めたんだって」
「なんか、お互いにちゃんと話し合って、謝るべきとこは謝って、問題点をひとつひとつ解決すればいいだけのように思えますが」
「当時はそうじゃなかったらしい。学生も当局も頑なですぐ実力使おうとしちゃう。まあそういう時代だったんだ。だけどその結果学生たちは過激な行動に走りすぎてテロだの内ゲバだの散々やって、すっかり人々の支持失っちゃう。すぐ人殺したりあさま山荘に立てこもって銃撃戦やったり。それですっかり学生運動のイメージはどん底。
その余波で今でも学生が理不尽に声あげるのが全然支持されない始末。まあそれに入れ知恵するのがその昔それやってた元学生だからどうにもならんけど、今のものすごい増税とか国民負担率とか与党のやる馬鹿げた愚策をまともに批判できない状態もどうかと思う。
結局その学園紛争時代に調子こいて過激行動やりまくった彼らに、正直ぼくは恨みがあるんだ。50年経ってもこうなっちゃうくせに、かれら50年経って『あのころは若かった』とかいって正当化して、その上『今の若いものは』なんていうんだもの。正直ふざけんなと思うよ。
それどころか当時の過激派、1972年にイスラエルのテルアビブ空港乱射事件なんてとんでもない事件起こしてる。それで26人もの人を殺した。あんなの日本の恥だ。
それなのにそれをやった日本赤軍の最高幹部重信房子を日本のマスコミは持ち上げたりしてる。冗談じゃないあんなのただの犯罪者だろ。あいつの正当化に変に理解示したりして。そういうところが大嫌いなんだ」