「この機械、SuperMEG、ですか。これについてちょっと聞きたいんですけど、そもそも今、人間の思考や記憶ってそんな簡単にアクセスして読み出したり書き込んだりできるものなんですか?」
四十八願が黒崎准教授に聞く。
「実験段階ではありますが機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)で脳をスキャンし、それをAIに解析させることで思考を読み取ることは現在可能になっています。テキサス大学オースティン校の神経科学者アレキサンダー・フートの研究チームが22年9月にそれを論文で発表しています。これを使ってすべての表現手段を失った患者とのコミュニケーションを可能にすると期待されていますが、まだまだ実験段階で実用の域には達していない、というのが現在の常識的なところです」
「そうですよね」
「デコーダーと呼ばれるその思考を解析するAIアルゴリズムはかなりの再現能力を持っています。でもそのデコーダーは被験者それぞれに別に作らねばならず、AIのトレーニングには16時間の大掛かりなセッションが必要です」
「簡単なわけがないですよね。たしかに」
「でもこのマインド・リーディング、脳からの読み出しが可能になればADHDや統合失調症のよりよい診断が可能になると考えられていました。アメリカ国立衛生研究所の神経内科医ダグラス・フィールズはそのための実験で5分の測定で彼が外国語を学ぶのが苦手だということを導き出しました。これはさまざまな応用が可能と考えられます。カーネギーメロン大学のマーセル・ジャストの研究チームではfMRIを使って被験者が頭で考えている数字や物体を解析することに成功していました。そこで思考というプライバシーがもはや聖域ではない、とまでいわれています」
「拷問に使われたらたまらないですね」
「ええ。そのとおりです。でも自殺念慮、希死念慮を検出できれば突然の自殺を防ぐこともできます。そうやって命を救うことが可能です。またアメリカでは銃乱射事件の犯人を察知できたのではないかという意見もあります。しかしその察知のレベル、察知した危険人物の隔離の線引きは非常に大きな問題をはらんでいます」
「そりゃそうですよ。内心の自由もあるし、それを勝手に読み取って勝手に隔離されるなんてたまったもんじゃない」
「そしてこのマインド・リーディングのむこうにあるのはマインドコントロールです。かつては脳の手術でそれをやろうというロボトミー手術がありました。一時期それがまともな治療の一つと考えられていましたが今はその悲惨さにより認められていません。しかし経頭蓋直流刺激tDCSによって脳に電流を流して脳をハッキングする実験が一部で流行し、その危険が問題化しています。
しかしそれとは別に光ファイバーを脳内に手術で差し込み、脳の一部にレーザーを照射し神経回路を精密に制御する「光遺伝学手法」が動物実験で一定の成果を出しています。これにより神経障害や精神障害を軽減する可能性は言われていますが、それを倫理的に許容する動きははありません。課題が多すぎるとされています。でもここまで技術が進みつつあることを知らない人は多く、倫理的にどこまで許されるかの議論は活発とは言えない。殆どの国では足踏みです」
「それを彼の国でやっちゃってるから我が国でも対抗上やらざるをえなくなった、って論法ね」
佐々木がいう。
「実際にそれで被害を受けている人がいる。医療倫理と言ってもかつては臓器移植も脳死もほとんど認められなかった。でも認めるようになって救われる命も増えた」
「その臓器移植のための臓器売買が日本ではなく海外で行われている」
「それは日本だけの規制でしかないからです」
「そうとはいいきれないとおもうけど」
佐々木は反駁する。
「検挙して罰したければ罰してください。でもその前に鷺沢さんとその元奥さんを救わせてください。これは法的にも緊急避難として認められるべきではないでしょうか」
佐々木はそれで言葉に詰まる。
「このSuperMEGでは脳の読み取りの解像度を飛躍的に上げるとともに、強力なアクティブ磁気スパイク技術によって脳の任意の箇所を精密に強力に刺激することが可能です。それも手術なしに非侵襲で。ただしそのためにはインターフェースとなるAIのトレーニングとキャリブレーションに8時間の作業必要です。しかもそれで作るAIは他の人に使いまわせない」
「それでも十分だと思うけど」
「鷺沢さんはそのトレーニング作業中にこの状態に陥りました。おそらくどこかで脳の希死念慮の原因となっている構造体を刺激してしまったのだと推定しています」
「構造体?」
「脳の思考がどういう構造を持っているか、神経ネットワークの研究が進んでいますが、それも実験段階でまだ理解には程遠い、と公式にはされています」
「公式には?」
「ええ。非公式、極秘で行っている我々の研究では、高度AI技術の応用でその構造モデルをある程度まで導き出しています。しかしこれは倫理的に大きな問題を持つため公開できないし応用もできない。一般治療へ広げることもできない」
「そんな行き先のないものに研究資金が出てるって、どういうことなんですか」
「詳しくはお話できませんが、80年代からこの極秘研究の歴史はあるんです」
「無茶苦茶だ」
四十八願と佐々木は呆れた。
「責任はすべて私が負います。これで私は訴追されてもいい。目の前の鷺沢さんとその奥さんを救えるなら」
「人体実験に近いですよ。というか人体実験そのものです。こんなこと」
佐々木は声を荒らげ、憤っている。
「でも、目の前の患者を救う手段がほかにないなら、私はこれで救うことに迷うことはないです」
強い口調の黒崎に四十八願と佐々木、晴山は目を見合わせた。
でも、四十八願は聞いた。
「それで救える見込みはどれほどあるんですか」
黒崎は答えた。
「そのために全力を尽くす、としか言えません」