「このSuperMEG装置で行う脳操作は脳の機械的な構造を磁気スパイクで操作するものですが、これだけなら通常のrTMS療法に近いし、不用意に行えばあの危険で野蛮なロボトミーと変わらなくなってしまう」
黒崎准教授が説明する。
「それを避けるために脳から記憶メタデータを読み出し、人間の理解可能なコンテクストに変換する高度な分析能力を持っています。この分析結果を基に何が障害の原因になっているか、それをどのように処理するかをこのインターフェースシステムで決定し、それをAI制御のコンピュータが判断して磁気スパイクを精密に脳内に発生させ、それによって入り組んでしまった記憶を解きほぐしたりするのです。機序的にやっていることは実は認知行動療法と同じです。ただその同じ仕組みを脳科学と高度磁気刺激で超高速で実施する。それだけです。とはいえここまでくるまで多額の資金と膨大な労力を必要としました」
「でも、ということはこの治療のためには鷺沢さんの内心、知られて欲しくない過去や現在を強制的に読み出してしまいますよね。とんでもなく倫理的にヤバいですよね」
「ええ。我々が守秘義務をいくらもっても、そもそも倫理と言うより人道上の問題が大きくあります。被験者の核心的なプライベートを明かすことは重大な人権侵害で、許させるモノではない。普通の国ではそうなります」
「でもまたしても、彼の国はその全く普通じゃ無いことをヘーキでしてしまった、というわけですね」
「ええ。彼の国の人間には人権がないのです。党と国家の方針に逆らうモノはどんな人間でも資産だけで無く人権も何もかも奪う。だから洗脳技術も彼の国で発展し、多くの人を傷つけ続けている」
「だからといってその対抗上で我々がやっていいってことには」
佐々木がなおも抵抗する。
「できればそうしたいです。こんなことやらないですめば一番です。でもそれでは鷺沢さんを救えない」
「テロリストがテロを正当化するようなもんです」
「批判は甘んじて受けます。でも私は目の前の患者が苦しみ、死んでいくのを放置することは出来ない」
黒崎もつらそうだった。
「佐々木さんの言うことも確かにわかります。でも」
四十八願が口を開いた。
「鷺沢さんがなんでそんな問題だらけのこの機械を使って奥さんを救おうとしたのか、私にはよくわからない。このまま鷺沢さんが亡くなったら、私は多分それを受け入れられない」
四十八願の口調も苦痛に満ちていた。
「だって、一緒に鉄道コンベンションに出展するんだって頑張ってきたし、それ以上にいろんな冒険や謎解きをやってきたんです。その私たち仲間に何にも言わないでこんな危険に身を投じるなんて」
晴山も涙を浮かべている。
「そんなのって……どう言って良いか言葉がわからないけど、すごく悲しい」
佐々木も考えている。
「そんな鷺沢さんが思い詰めていたことに気付けなかった私を私が許せない」
部屋の中が静かになった。
「少し補足しておきます。この操作の時、鷺沢さんの自我はこの機械の読み出しに全くの無抵抗ではありません。鷺沢さんの自我は死んでいない」
黒崎が言う。
「そうなんですか!」
「ええ。人間の自我の自他境界は非常に強力なエネルギーを持っています。それと完全にぶつかり合ったら精神エネルギーだけではなく、特殊な物理エネルギーも発生します。それはこの機械を壊してしまうこともあり得る。だからこの機械でも、患者の自我との対話に似たプロセスを踏んで行くことになります。決して自我を無視しそれをこじ開けるようなことはしないし、できないんです。彼の国でそれをやろうとしたから、鷺沢さんの元奥さんはその反作用で障害を負った可能性もあります」
「そういうことが」
「だから鷺沢さんを最初にここに呼んだのもあります。元奥さんが心を開いてくれる方が補助しないと、この機械はその自我の自他境界を越えて脳の読み出しと書き込みを安全にすることはほぼ無理なのです」
「ということは、鷺沢さんはこうしている状態でも、この機械でも、どうしても知られたくないことについては拒否することが出来るんですね」
「ええ」
佐々木は考えた。
「つまり、精神科医と患者が対話する精神療法と同じぐらいのレベルの安全性は保たれる、ということでしょうか」
佐々木はそう聞いた。
「はい。それ以上の強制的な読み出し書き込みをしても、脳意識のバランスが崩れて予後が良くない。治療としての利益が小さくなってしまいます。それでは本末転倒だ」
「なるほど」
佐々木はうなずいた。
「じゃあ、やらないって手はないですね。このままでは鷺沢さんは危険だし、鷺沢さんの意思が同意せず拒否できるなら、それは倫理的にも問題は小さいと思う。治療のリスクより利益の方が大きい」
「佐々木さん……」
「私も鷺沢さんのこと、もっと知りたいと思うけど、鷺沢さんの拒否するような内心にまで踏み込むのはつらいし、私自身を許せなくなる。でもこれなら、なんとかなりそう」
「ありがとうございます!」
黒崎が礼を言った。
「あなたが礼を言うことじゃないと思うけど。それより鷺沢さんと奥さんを救うのに全力をあげてください」
「はい。全力を尽くします」
黒崎はそう答えた。
「でも、思ったんだけど、鷺沢さんが私とかをどう見てたかもわかっちゃうの?」
「それは」
「鷺沢さん、レースクイーンと競泳水着の女の子が大好きなムッツリど変態ですけど、そういうこともはっきりわかっちゃうんですか?」
四十八願が聞く。
「鷺沢さんの自我がその部分の読み出しを認めれば、技術的には鷺沢さんのそういうことの記憶をコンテクスト、文章や画像で鮮明に再生することも出来ます。まあそんなことはしないと思いますが」
黒崎がそう答える。
「そうですか。でも鷺沢さん、そういうの自分でふつうに言っちゃうからなあ」
「そうでした。鷺沢さん口が軽いから、この機械で吐かせるまでもないですね」
「というかそういうこと、逆に私たちへのセクハラよね。ひどい」
佐々木が言う。
「もう! なんかムカついてきた。こうなったら、もう洗いざらい吐かせちゃいましょう!」
「佐々木さん、ここにきて突然むちゃくちゃ言わないでください……せっかく慎重だったのに……」