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第96話 殺人者は希死念慮(6)

「鷺沢さんの意識との初期接続が成功しました。自動解析に入っています。解析システム負荷順調に上昇中」

「鷺沢さんのバイタル正常。血圧100-60、心拍53、呼吸数14、酸素飽和度98」

 このSuperMEGには鷺沢と鷺沢の奥さん、そしてカオルが入っていて、それぞれバイタル監視機器を取り付けられ、磁気刺激を入出力する装置で頭が完全に覆われている。

「意識接続、二次接続ラインをクリアしました。基礎データ出力開始」

「カオル君?」

 黒崎准教授が聞いた。

「大丈夫です。不快感とかないです」

 カオルがそう答える。

「彼女は意識を失わないんですね」

「そのかわりに脳を貸しているんです。彼がいなければこんな早く読み出しプロセスに入るのは不可能です」

「意識接続、最終接続ラインまで35%に到達」

「対象意識の拒否反応確認。自我境界を検出しました。現在相互に意識接触しています」

「55%到達。高度意識の初期接触が開始されています」

「75%。対象意識の覚醒レベル、正常に上昇」

「脳波アルファ波にくわえシータ波出現中」

 確認ステップが進んでいく。

「80%到達」

「そろそろ鷺沢さんと対話できるレベルになります」

「え、対話できるんですか」

「ええ。でも対話の相手は大人になった鷺沢さんではないです。鷺沢さんの無意識そのものにちかい存在です」

「催眠療法みたいですね」

 四十八願が言う。

「お詳しいですね。ええ。たしかに似ていますが機序的には違ったものと考えられます」

「で、鷺沢さんの問題の希死念慮はどうやって解決するんですか」

「通常であれば精神的な問題、危機は睡眠によってほとんどが解決します。社会的な人間関係の問題すらも睡眠で精神の健全なエネルギーの回復が得られれば、希死念慮のような危険な思考は行動に移る前に脳の有効領域から押しやられます。脳にはそういう健全性を保つ機能がいくつもあります」

「それが機能していないって事ですか」

「ええ。重大な機能不全があるんです。それでも脳内物質のバランスが復帰すれば、それも回復するはずなんです。とくにそのバランスは薬によって回復させることは可能ですし、それにかかる時間の間、自殺しそうだとかで危険でも、そういう場合に身体の活性を落して過激な行動を止めてしまう薬もあります。それで止まっているうちに脳内のバランスが回復することもよくあります。通常の精神科医はそうやって患者を守ります」

「脳の自己治癒力って結構強いんですね」

「その自己治癒力が期待できない場合は入院療法を使うことになります。こうやって精神医学の治癒のセオリーはけっこう決まっているんです。でも残念ながら、途中でこのセオリーのプロセスから外れて過激な行動を取ってしまう患者はいます。それにこのプロセスを知らない患者も」

「そういう人が人身事故で電車に飛び込んじゃうんですか」

「ええ。でももっと身近で危険な自殺法がいくつかあります。ここではその話は出来ません」

「なるほど……」

「鷺沢さん、聞こえますか」

 意識レベルと表示されたディスプレイのグラフが反応している。

 ――私は生きているべきではない。

「どういうことです?」

 ――大切な人を守れないのに生きている意味は無い。信じてくれた嫁を守れなかった。それは死に値する。

「そんな」

 四十八願が口を開いた。

「元嫁さんもそんなこと望んでないと思いますよ、鷺沢さんと結婚したぐらいだもの。聡明な人ですよ。そんなひとが鷺沢さんの死なんか望むはずがありません」

 晴山も口を開く。

「それに、私たちを放り出さないでください。私たち、鷺沢さんと一緒に鉄道コンベンションに参加するのが夢だったし、その夢を何度も叶えて貰ってきたんです。鷺沢さんは私たちにとっても大事なひとです」

 ――そんな価値は私にはない。

「そんなことないです!」

 ――そもそも私は存在すべきでは無かった。

「何言ってるんですか」

 ――私がいなければみんな、幸せだったはずだ。私がそもそも存在しなければ世界はここまで悪くはならなかった。

「そんな」

 黒崎はマイクのスイッチを切った。

「健康な人間でも死にたい、と思うことはあります。でも普通はそれはぼんやりとしたもので、自然に治まるものです。それを一般の自殺願望や希死念慮と呼びます。しかしその無意識には自殺したい理由の特定を無意識のうちに拒否していることもあります。この区別は非常に曖昧ですが、どちらにしろ自殺企図、実際に自殺しようとする行動に発展させないようにせねばならない。そして鷺沢さんはうつ病で公的補助も受けている。私は鷺沢さんの主治医ではないけれど、そのうつ病が軽いものではないという主治医の診断を支持します。このSuperMEGの分析でも神経伝達物質の欠乏を検出していますし、データでも鷺沢さんが常に自己否定感、空虚感、自罰感を抱えていることもでています」

「鷺沢さん……よくつまんない冗談言ったりしてたけど、そんなことが」

「つらかったのですね。常にそれを気づかせないように気遣っていたのでしょうか」

 晴山がそうつぶやく。

「横須賀で最初に会ったとき、本当に死のうとしてた」

 佐々木もつぶやく。

「死にたいという気持ちを実行しようと行動してるのは重症なんです」

「でも、話をしたら、今思えばどんどん元気になっていって、寝ちゃったんだった」

「話し相手ができたことで、病的な深い孤独感から逃れられたのでしょう。でも、鷺沢さんは伺っている限りでは重度の虐待を受けて育ったわけでもない。もちろんそれが必ずしも原因になるわけではないのですが、鷺沢さんの成長の歴史のなかに、自殺しようとしてしまう何かがあるんです」

「なんだろう……。そういうこと、これまで聞いたことない」

「それを調べるしかないです。それは直接の原因ではなくても、間接的な原因にはなっているのでしょう。通常ならそれは長い精神療法の時間を必要としますが」

「でも時間が無いですね……こんな機械で維持してる状態は長く続けられない」

「ええ」


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