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第98話 殺人者は希死念慮(8)

「自己責任と言えば自己責任だった。賭けに負けたわけだから。まさかストーリーがそんなにないがしろにされる世の中になるなんて40年前は予見不能だった。でも世の中はそれをあざ笑い自己責任だと突き放す。40年後を見通せなかったのが悪い、と。鷺沢さんは氷河期世代。今の政府は子育て支援と高齢者福祉で忙しく、氷河期世代の支援について有効な手は打てない。就労支援と言いながらそれは就労支援業者を儲けさせるだけ。普通に主唱できる能力があっても業者の推薦が無ければ就職は書類選考すらも通らない。まるで20年前にハロワでPCでメモ取ってるのにPCの仕事の資格がないからと相手にされず、その資格を取るために借金をしろ、そのために保証人を探せ、といわれたのと何もかわっていない。それが氷河期世代の棄民の実態」

 全員が押し黙った。

「これから生成AIがなんにでも出てくる。ストーリーもAIが書くようになる。とてもじゃないけどろくでもないストーリーしか生成AIには書けない。AIは物事を理解して創作する能力など無い。でも人々はそれを人間にやらせる金をケチり、審美眼を捨てることを選ぶ。そして我慢しながらAIのストーリーで、細かいことだと我慢してAIの作画の作品を楽しむようになる。そして人間の書き手もAIに読んで貰うことで我慢するようになる。AIはそうやって人間をいろんな分野で我慢させる道具になる。そしてそれを作ったプラットフォーマーは富裕層になり、人間はそれに効率よく我慢させられながらさらに搾取される未来になっていく」

 黒崎は言葉を切った。

「鷺沢さん、戦記小説でデビューしたと言ってましたね。でも実はあの戦記は未来を描いたものだった。暗い未来が映画やアニメで流行っていたのに、未来はそんなんじゃない、とストーリーで訴えたのが鷺沢さんだった。いつの世でも人間は少しの不安を持ちながらも明日を信じている。でもその明日はもう搾取と我慢の地獄でしかなくなった。何よりもそれを現実として感じているのが自分であることに鷺沢さんはとてつもない苦しみを感じていた。あまりにも皮肉な運命過ぎる。そしてストーリーの審美眼もろくに無いくせにそれが安易に金になると勘違いして、自分ではろくなものも書けないくせに一人前にパクられたなどといってアニメ制作会社にガソリンまいて火をつける大馬鹿者まで現れた。つらいなんてもんじゃない。審美眼がここまでないがしろにされる世のなかが幸せになれるわけがない。物語、ストーリーって本当なそんな不要不急のモノじゃ無いはずと鷺沢さんは信じていた」

 四十八願も佐々木も聞いている。

「根底で信じていたものがここまで価値がなくなっていることは、鷺沢さんにとっては大きな苦痛だった。それを忘れようと模型作りや捜査協力をしていた。でも奥さんの危機でそれにまた直面した。彼女を救うために鷺沢さんは勇気を出してこのSuperMEGに入った。だけど……」

 黒崎は口ごもった。

「……どうやら彼の国の仕掛けた罠はこれだったんでしょうね」

「どうしたんですか」

「メタミームウイルスです。人間の精神や思考のあいだで伝染する」

「そんなものが」

「存在は噂されていたけれど、人間の自我障壁を超える力は無いと否定されていました。でもいま、鷺沢さんの自我はこのSuperMEGに開かれていて無防備です」

「なんてこと!」

「接続停止!」

 黒崎は大声で指示した。

「脳接続停止! 電磁スパイクアレイ分離!」

「ダメです! 脳から信号が逆流します!」

「カオル君が危ない!」

「システム待機状態に後退!」

「切断コマンド送信!」

「だめです! コマンドが拒絶されました!」

 そして、SuperMEGの低い動作音が止まり、VRグラスに見える世界が真っ青に変化した。

「ブルースクリーン!」

「システム、自動停止しています」

「鷺沢さんは!」

「バイタルが急降下しています!」

「蘇生法(CPR)を!」

 助手たちが鷺沢の身体をSuperMEGから引きずり出して心臓マッサージ、心肺蘇生法を始めた。

「そんな!」

 四十八願たちは言葉も無かったが、直後、叫んだ。

「鷺沢さん!!」



 しばらくたった。

「ありゃ、鷺沢さんこんなことに」

 のんきな声でやってきたのはあの横須賀で佐々木と鷺沢の駅事務室にきた、救急精神科医だった。

「生命そのものはとりとめたけど、意識不明か。はて」

 佐々木も四十八願も晴山も呆然としていた。

「佐々木、鷺沢さんは」

 石田刑事もやってきた。

「助かるのか」

 黒崎准教授はうつむいている。

 そのとき、この研究室の外があわただしくなった。

 やってきたのは大倉参与、佐藤大臣、そして森下総理だった。

「せっかく中国が安全保障対話を再開すると言い出したときにこれか」

 総理の声が沈痛だ。

「じゃあ、台湾有事は」

「すぐにはなくなった。まだ予断は出来ないが、侵攻のために準備していた物資と装備を後退させてるのを衛星で確認している」

「よかった」

「鷺沢さんと元奥さんの話は彼らにも痛かったらしい。重大な人権問題に発展してしまうのは必至だからな。でも私にとってはこれも痛い」

 総理は言った。

「1億の国民がいるんじゃない。1人1人、それぞれ夢や希望を持って暮らしている人間が1億人いる。その重みを私は忘れたことはないんだ。それが救えるなら総理職などいつでも投げ出す覚悟だった。だから、1億の国民を救えても、この2人を犠牲にしたかもしれないのは、本当につらい」

「総理」

 総理も沈痛な表情だった。

「まあ、でも大丈夫ですよ」

 救急精神科医が言う。

「大丈夫。鷺沢さんがデビューの時の気持ちを完全に忘れてなきゃ、時間はかかってもどっかで戻ってくる。鷺沢さんはすごく繊細だけどタフなんだ。こんな信じてくれる仲間がいるのに簡単におさらばはしない」

「そうだといいんですが」

 黒崎准教授がいう。

「大丈夫。医者が人間そのものを信じられなくなっちゃ、救えるものも救えないぜ」

 救急精神科医は、黒崎の背を叩いた。


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