それから1週間が経った。
鷺沢の意識が戻らない。
その病室にお見舞いが何人も来た。
桜井教授もきた。
驚いたことにあの「太郎」もきた。
そして「花子」だった彼女は忙しい中を縫ってZOOMのリモートで見舞いをしてきた。
更に驚くことに、なんと死刑が確定しているはずのあの「ビックリ男」の再審が始まることになった。あの初日爆弾事件の爆発物の爆破中止回路の話が伝わってそのまま死刑には出来なくなったのだ。
それでも、鷺沢の意識がなかなか戻らない。
「こういうとき、キスとかすると意識戻らないかな」
四十八願が言う。
「してそうなるなら、そうしたいわね」
佐々木も言う。
「うっ、何言ってんの私! キモっ!」
佐々木は慌てる。
「本当にそう思ってます?」
四十八願が静かに言う。
「……そうね」
佐々木はそう、かみしめた。
「変なおっさんだったけど、それはそれでいい人だった」
「まだ死んでませんよ」
四十八願が言う。
「そうだけど……」
鷺沢はベッドに沈んでいる。
「そうだ、なにか鷺沢さんの好きな音、流してあげたら?」
佐々木が言う。
「そうですね……」
傍らにいた看護師がうなずく。
「じゃ、この前のみんなで乗った寝台列車サンライズ出雲で撮った音でも流しましょうか。すごく楽しそうにあのときの話、何度もしてましたから」
そういって四十八願はケータイのプレーヤーアプリを立ち上げた。
「電車の走る音って、単調だけどそれがかえって良いのか、眠くなるわね」
「佐々木さんもそうなんですか? 私も眠れないとき、よく聞きます」
「変なモノね。電車なんて何の興味も無かったのに」
「影響しちゃってたんですね」
音が流れる。
「この録音、長さどれだけあるの?」
「東京から出雲市までの12時間分あります」
「長っ」
「でもこういうのは残さないと、あとでまた録れるとは限りませんからね」
「そうなの?」
「そういうもんです。私もそうやって録っとけば良かったと思う列車の音がいくつもありますから」
そのとき、チャイムが鳴った。
――みなさま、おはようございます。次は、岡山です。岡山ではサンライズ瀬戸号と、サンライズ出雲号の切り離し作業を行います。まもなくいたしますと準備のため、7号車と8号車のあいだは通り抜けができなくなります。ご了承ください――
自動放送の声が流れる。
「あれ、途中から再生しちゃった」
そのときだった。
「うーん」
鷺沢がうめいた。
「ええっ!」
「もう岡山か……寝ちゃったよ」
「ええええっ!!」
鷺沢が起きようとしている。
「先生! 鷺沢さんが!」
看護師があわてて病棟医を呼びに行った。
*
「てなわけでさ。元嫁も退院してピンピンしてるけど、ぼくはなんかすごくイヤな夢見たあとみたいに、よく思い出せないんだ」
鷺沢が言う。
ここは東京ビッグサイト東1ホール、鉄道コンベンション開催中のマジックパッシュの模型展示ブースのなかである。
「ほんと、心配させないでください」
四十八願はそう言うが、うれしそうだ。それはそうだ。1年間準備してきた模型ファンとしての晴れの舞台なのだから。そのとおり、このコンベンションの観客がひっきりなしにやってきて彼ら彼女らの模型を熱心に見て、ケータイで撮ったりしている。
「食事、してきました」
晴山と佐々木がやってくる。展示の合間を縫って昼食を済ませてきたのだ。
「おつかれ。じゃ、ぼくと四十八願で食事行ってきます」
「いってらっしゃい。展示車両の面倒、まかせてください」
「でもなんで私までこの展示に巻き込まれてるんだろう」
佐々木が言う。
「しかたないですよ。乗りかかった泥船と思って」
「船でしょ、それいうなら。泥船だと沈んじゃうわよ」
「そうでした」
そういいながら、佐々木は模型車両を入れたブックケースを取り出した。
「佐々木さんも結局サンライズの模型、あれから買っちゃいましたね」
「乗った思い出の列車が欲しくなるって言う心理、わかっちゃったんだもの」
「秋にはみんなでサフィール踊り子ものることにしましたものね」
「流れる風景の食堂車の中でミカンジュースにクラフトビール、ワインのラ・セグレタにロータリーブリュット、フリッツァンテ。美味しいだろうなあ」
佐々木がうっとりする。
「上海ガニロールキャベツに豚角煮入りつけ担々麺も」
「参与が『行ってきたら』って手配してくれたんだもの。いかないと」
そういいながら佐々木は展示の線路に自分のサンライズ出雲・瀬戸のNゲージ模型をリレーラーで乗せている。
「佐々木さん、すっかり変わっちゃいましたね」
「そうかもしれないけど、まあ、良いと思う。楽しい世界を一つまた知れたし」
「そうですわね」
そのとき、隣のブースが何か盛り上がっている。
「お隣さんのエビコー鉄研もたのしそうですわね」
「あのとき脳を貸してくれてたカオル君もなんともなかったし。頭痛してたらしいけど回復。でもほんとあの子、ハンサムよね」
「カオル王子って呼ばれてるみたいです」
「わかる気がするわ」
そのときだった。
「すまぬ!」
隣のエビコー鉄研ブースから、動輪の髪飾りをつけた女の子がやってきた。
「マスキングテープ、お貸ししてくれませんかのう」
「え、マステ? どうしたの?」
「分岐器のリモコンケーブルが泳いでて引っかけるので固定したいのだが、マステが足りぬのだ」
「あら、そうなの? 晴山さん!」
「ありますわ。Bの工具箱の中の百均ボックスの中に」
「ありがとう」
佐々木が探す。
「はい」
「かたじけない」
礼をする彼女の名札には『エビコー鉄研総裁』とある。
「佐々木さんとはあなたであるのか」
「え」
「鷺沢さんからお話は伺っておるのだ」
「そうなの? どんな話?」
「とても優秀な刑事さんだ、と」
佐々木はちょっと考えた。
そうなのか、鷺沢はそう思っていたのか……。
「鷺沢さんを、よろしくであるのだ」
「え」
「鷺沢さんもワタクシの盟友にしてライバルであるのだ。ワタクシの歩む道『乙女のたしなみ・テツ道』のための大事な相談相手でもあるのだから」
「そうなの……?」
なあんだ、鷺沢さん、『自分は不要不急の氷河期世代』なんていいながら、こうしてしっかり必要とされてるじゃない。
でも……そのために、つらい目にもあってきたのか。
佐々木はすこし考え込んだ。
「佐々木さん、まだ展示は始まったばかりですわよ」
晴山がそう呼び戻した。
佐々木はもうすこし考えたあと、言った。
「わかってます!」
<了>