「そういや、その鈴谷さんが怒った相手って、だれなんでしょうか」
ZOOMでマジックパッシュのみんなが参与に聞く。
「誰だったかしら……私はそのときの会議にいなかったの。警視庁は離れてたけどまだ警察庁にいたから」
「でも、労働政策っていったら、あの人じゃないですか? その後派遣業法を自分の都合の良いように変えさせたって言う大学教授」
「ああ、梅岡平助ね。大手派遣会社の会長だった」
「当時の総理と組んで新しい経済を推進したけど、結果は惨憺たるモノだった」
「でもあの人をみんな面白がって支持しちゃってたんだよね。あの時代」
「そうね……」
みんな、黙ってしまった。
「でも鈴谷さんだけは違った。鈴谷さんは頭の中だけでなく、ほんとうに未来から来た人みたいに思えることがあった。まあそんなこといいだしたらすごく怒られそうで黙ってたけど」
「うっ、それ、誰かさんの下手くそな推理小説みたいですよ」
鷺沢が言う。
「え、誰かさんって?」
「おれ」
「えっ」
「おれ、一度だけ推理小説を商業で書いてたの。でも読者から「面白いけど納得がいかない」ってこっぴどく批判されて、それっきり推理は商業でやらなかった」
「納得いかない推理って……推理ってそれが一番大事じゃないですか」
「架空戦記作家だったのに推理書くってのが無謀だった。書いていくうちにだんだん推理から離れたサービスをしたくなっちゃって。だから推理の読者にあきれられちゃったんだよね」
「何やってるんですか」
「でもあの頃楽しかったなあ。あっちこっちに未来のアイディア書きまくってた。90年代だけどVRやARみたいなのも書いてたし」
「えっ、90年代って言ったらインターネット始まったばっかりみたいな時代ですよね」
「それなのにアバター使ったミーティングとかも書いてた。ケータイが進化して電車の中で新聞広げて読む人はいなくなるとか、Amazonが世界を支配するほど儲かるとか。当時のAmazonは日本に上陸したばかりですぐ潰れるって言われてたけどね。あとTwitterが防災情報インフラになるとか。でもイーロンマスクが買収するまでは予想できなかったけど」
「本当ですか? 鷺沢さんって……そういう頭を」
「当時はぼろくそに批判されてたよ。そんな時代は来ない、って」
「来ちゃってるじゃないですか」
「世の中ではあんまり進みすぎた未来予測ってのは存在を許されない。ちょっぴりだけ先の未来予測で無いと支持され金にならない。そのことを思い知らされたよ」
「結局それで就職どころか生計に困っちゃってるんですものね」
「ホントそうだよ。あのころにもどって普通の勤め人になれば良かった。でもなってたら神経病んでこの歳まで生きてなかったかもだけど、でも今まで生きてもこうして食い詰めちゃうんだから、大してかわりは無かったんだと思う。若い頃のおれってどうしようもなかったし。人間として使えないし小説も下手だったし。それでもそれを高く買ってくれる人は何人かいた。いろんな企業、さらには役所の人もいたかも。どこの役所かは聞かなかったけど、もうムカついたからコスプレして登庁するぞ!って憤ってたり」
「え、それ、まるで鈴谷さんみたいじゃないですか」
「そういえばそうだね。そうか、鈴谷さんああいう人だったのかも。鈴谷さんにも会ってお話ししてみたかったなあ。もうおれにはそういう機会は無いかもしれないけど。聞いてて本当に魅力的で面白そうな人だ」
「鈴谷さんもあのころ言ってたわね。面白い人がネットにいる、って。売れはじめの今後に期待の新進作家がいる、ってのも言ってたと思う」
「あのころはネットに参加するだけでもそれなりにスキルが要りましたね」
「TCP/IPとかダイヤルアップとか。ブラウザをただダウンロードするのも大変だった」
「ネット老人会的な話題ですよね。私は知識としてしか知らないけど」
四十八願が言う。
「だからあの頃のネットは多士済々だった。おれ、あのころの大規模オフ会にいって、ほんとすごく面白かったの覚えてる。本当の研究者も医者も当事者もいたし。でもそのオフ会にドロボーが紛れ込んでたのはその後を予感させてたなあ」
「それも早すぎですよ鷺沢さん」
「でも……鈴谷さんと鷺沢さん、会ったことないんですね。会ってたら話が合って楽しいでしょうね」
「私もそう思います」
参与もうなずいた。
「鷺沢さんの最近の苦境の話を聞いて、私も何かできないかと思ったんだけど……神奈川県のことには介入できないのよ。だからせめて私のポケットマネーで、と思ったわ。いつもいろいろやってくれてるし」
「それは遠慮しときます。結局は自己責任ですから」
鷺沢はヘラヘラと力なく笑った。
「氷河期世代の人たちについて、ほんと、申し訳ないのよね。政策的な失敗の結果を全部押しつけてきてしまった。政府としても自覚しているところはある。その因果で今のむちゃくちゃな少子高齢化問題も当然だった。国民を捨てる、棄民する政府は存在する意味が無いと思う。でも、そう思っていてもうまくいかない」
参与が言う。
「謎ですよね」
「なんとなく私も推測することは出来るけどね。この政府の行き過ぎた文書主義、縦割り行政、意味不明な緊縮財政。そのなかで一部が自己の利益誘導を行ってる疑惑はいくつもある。事実、梅岡平助もそれで訴追されかけて慌てて会長職を辞してる。でも検察もそれ以上の追及が出来ない」
「なぜですか」
「彼を支持しちゃう人がいるのよ。今でも。梅岡のYouTubeチャンネルを登録してる人間は6.7万人もいる。彼を投資の神様だと思ってる人間もいる。それは役所の中、中枢部にも」
「ええっ、そういう中枢の人って、壮大な株価操縦になっちゃうから株式投資とか禁止じゃないんですか?」
「その規制があのころ、なくなったの」
参与が言う。
「そんな……」
鷺沢がそこで口を開いた。
「だからなんでしょうね。自分の株さえ安泰なら困らない。役人の給料上げると風当たりは強いけどバレない株式投資ができれば、そっちにしか関心は行かない。国民なんて、民草の運命なんて知ったことか」
鷺沢は続けた。
「思えばあのころとある流行のマンガにこういう台詞がありました。『自分の両手の届く範囲でベストを尽くせばそれでいいんだ』って。あのころ、おれも含めてそれに納得してしまった。でもそれは手の届かない範囲を考えなくてもいいんだ、って理解を勝手にしてしまった。そのマンガ家に責任はない。でも受け手のおれたちはそれでわかった気になって、考えることから逃げてしまった。そしてそこを突かれてしまった」
そのとき、四十八願が顔を上げた。
「鷺沢さん。これって」