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第2話.星雲の石




 星雲が如く煌めく、万華鏡カレイドスコープの石。


 蛋白石たんぱくせきとも呼ばれるその存在は、揺らめく銀河の一滴を閉じ込めたかのような麗しい光を放っている。角度や光源の位置によって星々が明滅しているようにも見えるこのオパールは、乳白色の半透明な地色の中に淡い緑や青、黄色や赤、オレンジなどの小さな輝きが浮かんでは消えていた。


 まるで人の心のように移り変わる宝石を、じっくりルーペで観察し終わったハリエットは、小さく息を吐くと、目の前のカウンターの椅子に座っている人物に声をかけた。


こちらの指環で大丈夫ですか?」


 白い手袋を嵌めた指先で摘まんでいる金色の指環を、もう一度低く掲げて見せながら慎重に尋ねた。傾けるたび天井の暖色の電灯を反射して優しい光を煌めかせた。精緻せいちに彫られた彫刻の合間を縫うように、白シャツにベスト姿の自分がぼんやりと湾曲して写し取られていた。


「ん? なにかな?」


 呼びかけに答え、金色の髪の男がパッと顔を上げた。


 凝ったデザインの懐中時計をダークグレーのジャケットの胸ポケットに収め、南洋の海色パライバブルーの瞳をこちらに合わせてくる。


「すみません。オパールなら、他の指環もあるのだとお伝えしたくて、ええと。ミスター」

「ホーントーン。アルフレッド・ホーントーンだよ。ミス・ハリエット」


 親し気に瞳を細められ、どきりと胸が騒めいた。出会って経ったの十五分。初対面の男性に気安く名前を呼ばれるような経験は人生でそうそうない。ハリエットは曖昧に引きつり気味の微笑みを返し、「わかりました」と答える。


 手元に置いている書きかけの書類に目を落として、購入者のサインに視線を定めれば、アルフレッド・ホーントーンと大胆かつ優雅な筆跡で記入されていた。


「大丈夫、。その指環が欲しかったから、


 欲しかったからと言いながら、アルフレッドは購入決定後から指環を一瞥もしない。


 来店した時の奇妙さを思い出し、ハリエットは一つ瞬きをした。肩の上で切りそろえられた茶色の髪がわずかに揺れる。


(それで、いい、ねぇ……)


 ハリエットは「わかりました」と短く頷いて、指環に視線を落とす。


 彼、アルフレッドは先ほどふらりとハリエットが店番をする「マルグレーン骨董店」に訪れた。来店して早々、ショーウィンドー前に飾られているアンティークの宝飾品を指差しながら、「そこに飾ってあるフェレイユ社のオパールの指環を購入したい」と言ってきた。


 男性がたくさんの宝石の中から「オパール」を判別しただけでも驚きなのに、宝飾品メーカーを言い当て、サイズも金額も確認せず「購入一択」だったことに意表を突かれた。


 ただ、残念なことに、この指環は「フェレイユ社」の製品ではない。贋作と言えば聞こえは悪いが、もっとソフトに言うなら、デザインだけを忠実に再現した質のいい模造品と言ったところだろう。だが、素人では真贋の見極めは難しいということを踏まえると、男性の特異性はより際立った。


 客の中にはルビーとガーネットの違いが判らず、赤い石、とひとくくりに示す人もいる。無色透明ならダイヤモンドだし、水晶やガラスと思いもしない。サファイアと言えば青だし、緑や赤紫があるのだと話しても小首を傾げられるのが関の山だ。


 その上、アンティークの装飾品は新品の宝飾品より安いと誤解している人もいる。人の手を渡り歩いてきた中古品という認識の人にその傾向が強く、事実、値段を見て愕然とし帰る人もしばしばだった。


 だからこそ、アルフレッドのような男性は初めてで、とても新鮮だった。


「わかりました。書類を仕上げたら、すぐにお包みしますね」


 ハリエットは指環を一度、机の上の黒のトレイの上に置いて彼に背を向け、戸棚の中から小さなケースを取り出した。振り返って机の上に置くと、用意していた柔らかい布でもう一度優しく指環を拭いて、開けたケースにそっと入れる。


 それから机の上の書類に視線を走らせて、ペンを取って必要事項を書き込んでいく。


「それにしても掘り出し物だったね。いい買い物をしたよ」

「あの金額で掘り出し物、と言えるのはお客様くらいなものですよ」


 社交辞令的に微笑んで返しながら、ハリエットは笑顔が引きつらないように意識を集中させた。


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