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第3話.手のひらの中の運命



(人によっては半月分のお給料に相当する金額だったのに、あっさりと現金で支払ったあなたに私は驚いていますよ、っと)


 古びた贋作のオパールの指環と言っても、アンティーク品である。リングの内側に刻まれた十五という刻印から、十五金であることがわかる。この材質は現在では使われていないアンティーク品ならではの素材だ。


 おそらくオリジナルの指環が有名になった後、五年以内――、今から約百年前に作られた指環だろう。フェレイユ社の製品であれば必ず刻まれる社名を示す「FRY」の刻印はなく、デザインを模倣しただけのわかりやすい複製品だ。もっと似せて作られたものの場合は、その刻印の意匠や細やかなフレームのデザイン、セッティングから取り外した裸石を顕微鏡で観察し、極小の文字で刻まれた特徴がないかなどを確認する。


(とはいえ、知識があったからわかっただけで、そうでない人には難しいわね。この人も、フェレイユ社の指環のことは知っていても、細かいことはわからなそうだもの)


 確かに彼のような人物が、時々店に現れることはある。蒐集でもしているのか、フェレイユ社のアンティーク商品は特にその筆頭だ。どこかから取得した知識を引っさげて、店頭に並べられている装飾品を指定して、「これはフェレイユ社の商品ですよね」と断定する格好で聞いてくる人もいる。


 先日もそう言う理由で、フェレイユ社の商品を求め、贋作だとわかると肩を落として帰って行った紳士がいた。


(模造品でも、指輪としてはとても美しいのに、残念ね)


 客の中には一目惚れをして購入を決意し、その場で決済をして持ち帰るという客もいる。ただ、ハリエットの家族が経営するこの「マルグレーン骨董店」の客層は、手に届く現実を求める客が大半なので、その日中に購入が決まらず再来店、再々来店をした末に悩み悩んで購入する、というケースがほとんどである。


(一目惚れで購入した、というほどに興味はなさそうだけどねぇ)


 決して口には出せないが、変なの、というのが正直な感想だ。書類に自分のサインを入れながら、ハリエットは先ほどのことをふと思い出す。


 アルフレッドという男性は、支払いを終えると、後は任せたばかりに店中の様々な商品を見て回り始めた。使い込まれたローテーブルに、猫脚の優美な曲線が目を引くドレッサー。大きな一枚鏡の姿見に、サイドテーブルとライティングディスクを順々に見て回り、ひとしきり満足した頃合いでカウンターの前に戻って来たのだった。


 まるでおもちゃ屋に来た子供が、興味の向くままあれこれと触って楽しんでいるような様子に、ざわりとした違和感の欠片のようなものを感じて小首を傾げる。


(支払ったらそれでおしまい、という人もいるのね)


 多くの客はそれなりの金額で購入したものについてのチェックが厳しい。当然と言えば当然で、耳飾り一つとっても、目の前で梱包され終わるのをじっくり見届けたり、合間に商品に関する質問をしたりするのがほとんどだった。


 ハリエットは小さなビロード張りの紺色のケースに収めたばかりの「女性ものの」オパールの指環を見つめながら、蜂蜜色と言われる瞳に迷いを浮かべ、ちょっと眉根を寄せる。


 指環はかなり華奢だった。六号サイズで、骨格にもよるが体格的にもかなり細い人が身に着けていたのではないかと思われた。どの指につけるための指環なのかは不明だが、青年は何も確認せずに購入を決めたのだ。


(小さな指環――。鑑定した時のことを思い出すと、今でもぞっとするけど、早く売れて安心したわ)


 兄が知り合いの宝石商から仕入れたこの指環は、美しいがとても恐ろしい代物だった。特別ないわくのある商品ではないはずなのに、呪われている、と称しても過言ではない。


 指先を握り込むと白い手袋に、記憶を手繰り寄せるように深い皺が入る。


 数日前の早朝。部屋で寝ていたハリエットは、兄の騒々しい呼び声で目を覚ました。何があったのかと急いで一階の店舗に降りてみれば、興奮冷めやらぬという様子で兄が一つの宝飾品を差し出してきた。それが、アルフレッドが購入した指輪である。


(まさか、あんな記憶が刻まれた指環だなんて思いもしなかったわ)


 小さく嘆息し、それよりも念を押しておかねばないことがあると思い出し、口を開く。


「サイズの変更は当店では承っておりませんので、その点はご了承ください」


 自分が「視た」ものについて、この男性に伝えるのは野暮というものだ。確証がなく、具体的に立証もできないことを並び立てて、気の触れた変人だと思われたくないし、気味が悪がられても後味が悪い。以前、相手のことを思って親切心から口を出し、大失態を犯したことを思い出せば、同じ轍は二度と踏みたくないとそう思う。


「身に着けることはないから大丈夫だよ。コレクションだからね」

、ねぇ……)


 やっぱりどうにも引っかかる。

 再びふわりと浮かんだ疑問をなんとか心の奥に押し込めて、ハリエットは営業用の笑顔で応じた。


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