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第15話.動き出す時


「入館パスをご提示いただけますか?」


 鋭い声が二人の行く手を遮った。目の前には二人の警備員。無表情のまま厳しい視線を向けてくる。ハリエットは一瞬怯むものの、すぐに冷静さを取り戻した。


(どうしよう。ヘンリーと合流した時、渡してもらう予定だけど、彼がまだ来ていないわ)


 自分たちはティアーズの総支配人の息子の知人で、これからロビーで落ち合うことになっている、と説明しても信じてくれそうにない風向きだ。普通だったら絶対に怪しむ。


 次第に焦るハリエットの様子を後ろで見ていたアルフレッドは、腕を組みながらとんでもないことを言った。


「僕らは特別待遇だと思ったんだけどね」

「そんなわけないでしょ!」


 間髪入れず反駁すると、アルフレッドは空の手をこちらに見せて肩を竦める。ヘンリーの伝手で特別に入れてもらうという話だったから、特別待遇というのは語弊ではないかもしれないが、顔パスで通れるとは思いもしない。


「申し訳ありませんが、パスのない方をお通しすることはできません」


 明るいヘーゼルの瞳の青年が、ドアの方を目線で示しながら悪びれなく言う。


 とはいえ、待ち合わせをしているのは事実なので、このまますごすご引き下がるわけにはいかない。


「――彼らは私の連れだ」


 すぐ後方から聞き馴染みのある声が聞こえた。


 ハリエットはかるく目を見開き、振り返る。黒スーツに身を包んだヘンリーが、足早にこちらに歩み寄ってくるところだった。背後には黒服の女性と、二人の屈強な男性を引き連れて、物々しい雰囲気である。


 彼の姿に、警備員の態度が一瞬で変わった。


「申し訳ない。こちらが彼らの通行パスだ。渡すのを忘れてね。私が持っていたんだ」


 ヘンリーはジャケットの胸ポケットに手を滑らせると、そこから二枚のカードのようなものを取り出した。手際よく二枚の入館パスを警備員に手渡しながら、事情を簡潔に説明する。警備員は深々と頭を下げた後、すぐに通行を許可した。


「手間を取らせてしまってごめんなさい。とても助かったわ」

「事前に渡しておければよかったんだろうけど、急なことだったから、遅くなって申し訳ない」

「そんなこと、あなたが謝る必要なんてないわ。昨日の今日で用意だなんて、普通無理だもの」


 ごり押しのごり押しであることはわかっているし、かなり無理をしたのではないかとハリエットは予想した。それにヘンリーは答えず、先を促すように背中を軽く触れられる。


「今日は一緒に会場を回りたかったんだが、僕はここでお別れだ」

「仕事?」


 仰ぎ見れば、ヘンリーが苦笑しながらハリエットの前髪を整えるように指先でさらりと撫でる。


「急な用事ができたんだ」

「急な用事?」


 オウム返しに首を傾げれば、ヘンリーは目を眇め短くため息をつく。まるで心底残念だと言わんばかりに。


「詳しい話は後で説明するけど、すぐに出なければならないんだ。君を案内したかったんだけど、こればかりはね」


 肩を竦めて眉尻を下げたヘンリーの複雑な表情に違和感を感じながらも、ハリエットは納得したという風に頷いた。隣のアルフレッドにちらりと見をやれば、彼は特に気にした様子もなく、懐中時計を取り出し、時刻を確認している。


「わかった。いってらっしゃい」


 展示品を案内してもらえるのを楽しみにしていなかったと言ったら嘘になる。


 けれど、こちらの勝手な都合で引き留めるのは悪いだろう。


「大丈夫。展示品を見終わったら、すぐに帰るわ」


 今日はオークションの日ではないし、長居をする予定はない。そう言葉を返すと、ヘンリーは安心したように微笑んで頷き、「それじゃ、また」とハリエットに背を向けて歩き出す。その途中、やや後方に控えていたアルフレッドの肩を叩き、耳元で何かを囁いたと思ったら、満面の笑みで今度こそ本当に行ってしまった。


 アルフレッドは意表を突かれたような複雑そうな表情をしている。顎先に手を当てて、言葉を咀嚼するように押し黙る姿が珍しかったので、何を言われたのだろうかと訝しんでいるとアルフレッドの視線がまっすぐにこちらを射抜いた。


 唐突なことで、どきん、と心臓が跳ねる。


「な、なに?」


 微かな不安が横切って、ハリエットは恐々と表情を変える。その懸念を払しょくするように、アルフレッドが表情をくるりと反転させ、いつものようににこやかな調子で歩み寄って来た。


 ハリエットの頭をぐしゃ、と撫でる。


「わっ。急に何するのよ! せっかく整えてきたのに!」


 クラッチバックで彼の手を軽く叩けば、アルフレッドが目の前で肩を揺らしながら笑っている。


「いいね。君はそっちの方がいいよ」

「何言ってるの?」


 訳が分からない、と付け加えながら手早く乱れた髪の毛を慌てて撫でつければ、アルフレッドは至極嬉しそうな瞳をこちらに注いだまま、唇を動かす。


「牽制か……。いいね。面白い。もっともお嬢さんは気づいてないみたいだけどね」

「え?なに?」


 小さすぎて聞こえなかったアルフレッドの言葉に、探るような視線で問い返せば、彼はゆるやかに首を振って何でもない、と答え肩を竦める。一度、ジャケットの左胸をさっと払い、姿勢を正して歩き出す。


「こっちの話。さ、行こうか。――時が惜しい」


 半ば強引に促されるようにしてハリエットはアルフレッドと共に、オークション品の出品展示ブースへと足を進めた。



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