「好意をこじらせて執着する人間もいる。権利に執着するがゆえに暴君となる者がいるように。歪んだ感情はときに倫理観を歪ませることもある」
「あなたにそんなふうに説かれる日が来るなんて思わなかったわ」
「おまえは俺を誤解しているだけだ」
煩わしそうにジェイドが言った。
「それは……あんな出会い方をしたら、そうなってしまうわ」
「先入観や思い込みというのも、厄介なものだな。おまえの……王太子を見る目だってそうだろう」
ジェイドの言葉には気付きがあった。
確かに、最初の印象というのはどうしても心に焼き付きやすい。そして馴染みのある関係にはどこか情が生まれてしまうものだ。
「そう、なのかしら」
幼なじみだからという考えに囚われてしまっていたのだろうか。それで大事なものが見えなくなってしまっていたのだろうか。
ジェイドの考察はあながち外れていないように思えてきた。二コラがリディを花嫁にするために不正を行おうとしていたのは事実なのだから。
そして、うまくいかなかったから時を元に戻して捻じ曲げるためにリディの命を奪うことにし、その刺客の役目は別の花嫁候補にやらせている。無論、リディを一番目の花嫁候補にするためではなく、何かしら吹聴し、焚きつけているのかもしれない。
「で、でも、殺したら時が戻されるなんていう方法、自分ひとりでどうやったら思いつくの? 私だって【世界】の話を聞くまでは、ピンとこなかったのに」
「だが、実際おまえは殺されて、時が戻されただろう? それは自分ひとりで気付いたことだったはずだ」
「それは……される側だったからよ」
「……であれば、誰かが、力を貸しているとも考えられる」
「誰かって……何かの神様とか魔術師みたいな存在とか?」
関係があるかは不明だが、リディはまた、時を司るクロノス神のことを思い浮かべていた。
「さあな。俺にはそこまでは思い至らないが」
二人の間に沈黙が訪れた。
わからないことが多すぎる。考察の疲れが身体に及んでいた。気だるい感覚にため息がこぼれる。
「大丈夫か?」
「え、ええ。考え事をしてしまっただけよ」
もしも力を貸すことができる存在がいるとしたら、とリディは謎の白装束の男の事を思い浮かべてしまった。
記憶に残されている情報を頼ると、彼は【世界】を護る存在なのだと言っていた気がする。だとしたら彼は敵ではないのだろう。ジェイドとこうして時間を共有するように導いてもくれたのだ。
白装束の男がやさしく助言をくれた幾つかの言葉が脳内をふわふわと浮いている。それはまるでパズルのピースのように欠けては浮いて、一つの言葉になるのを待っているように感じる。
それらを思考して必死に手繰り寄せると、ぼんやりとやりとりした記憶が微かに残されていることに気付かされた。
『時戻し……』
『そう。君は同じ時間を繰り返す――時間のループを繰り返していただろう?』
『ええ。でも、どうして時間を戻すのに、私は殺されてしまわなければならないの?』
『そこがまぁ口頭で詳しく説明するのに難しいところだね。ひとつ問題点を挙げると、【世界】が歪められる前の【分岐点】に異常に執着する者がいるということかな』
(異常な執着……)
血に濡れた手で心臓を掴まれるみたいな、どろりとした悍ましい感触に、リディの身は打ち震えた。どく、どく、と嫌な風に鼓動が速まっていく。
そうまでして執着しているのは二コラのことなのだろうか。或いは顔も知らない彼女のことなのだろうか。そのどちらかではなくジェイドがいうように二人は共犯で、彼らがこの世界を歪めている存在なのだろうか。
しかし、このひとつ前にリディが時戻しに遭ったきっかけは、あの白装束の男の手によるものだったはずだ。
(血を見ることなく光に包まれて……私はそのまま意識を失ったみたいだった)
だが、リディの命が潰えたことで時戻しにあったのは事実。どうして元に戻るために殺される必要があったのか。この時間には何か特別なことが起きるのか、それがわからない。
彼は【守護者】のような立場にいるという話をしていたけれど、なぜそんな力を持っているのだろう。その力があるなら、彼が正すわけにはいかないのだろうか。しかし彼には弱点があるようにも言っていた。特異点と見なされれば消されてしまう、と。
白装束の男はリディに必死に何かを訴えていた。
思慮深くあれ、と言っていただろうか。
特異点がどうとか、抑止力がどうという話もしていた気がする。
まだ欠けたピースが埋まらず、すっきりしない脳内にもどかしさを覚える。
それと同時に、二コラのことを信じたい気持ちがリディの中にはあった。それこそ大事な【歴史】があるのだ。幼なじみの彼との【過去】の思い出は……嘘だったと思いたくない。そこだけは変えることのできない事実なのだから。
(でも、白装束の彼の話にも説得力があったのは事実……)
「もう、何を信じたらいいか分からないわ」
混乱するリディを尻目に、ジェイドはじれったそうに急かした。
「だが、確実に何かが起きている。そして今までにないことが起きているということは、最悪の事態になるまで時間の猶予はないということだけはわかるだろう」
「時間の猶予……?」
「何度も殺され続けるかもしれないとは言ったが、無限にループできるものではないのかもしれない。最後にたどりつく【世界】と【時間】がおまえの望むものではない可能性があるということだ」
「それは……怖いわ。どうなってしまうかわからないなんて」
「とにかく俺がおまえを早急にここから連れ出す」
「待って。連れ出すってどこへ?」
「オニキス王国だ」