リディは驚いて言葉が出なかった。
城の外へ連れ出されるのではなく、国の外へ出るという。そんなことができるのだろうか。
「なぜ、そんなに驚く必要がある? 花嫁を攫っていくと告げたこと、忘れたわけじゃないだろう?」
ジェイドが覗かせた大胆不敵な表情に、間者の姿で城に忍び込んでいたときの彼が重なって見えた。
「だって、私のことは花嫁の卵だからあなたは興味がなかったんじゃ……」
そう。ジェイドはオニキス王国にとって利になるために花嫁を攫うのもやぶさかではないと言っていた。だが、花嫁候補が一人くらい消されたってなんら痛手にはならない。だから、虎視眈々と狙っているような素振りをしてみせたのだ。
「おまえがここで一番目の花嫁候補になるまで殺され続ける前に、俺がおまえを花嫁にする」
リディは唖然とする。ジェイドならば本当にやりかねない。否、本当にそうするつもりなのだろう。
「追手がつくわ。花嫁候補の一人が消えるのよ。二コラの様子がおかしかったの。最悪――二国間の火種になるかもしれない」
「花嫁候補の一人や二人消えてもいいと考えている連中だぞ。そうでなければ、おまえに国同士を争わせる、それだけの価値があると?」
ジェイドの探るような眼差しに、リディは押し黙った。一番目になる可能性はあっても、それが正しい価値のあるものかどうかと言われると、是とは言い難かった。
「それは……私にはわからないけれど」
「いずれにせよ、今は春の祝祭。七日間……三ヵ国は約定のために手出しはできない。それを利用するほかにないだろう」
「先に手出しをしたら、それは通用しないのでは……?」
「おまえは何を恐れている? その身の破滅よりも怖いことがあるとでも?」
「……それは」
「俺が怖いか?」
まっすぐに見つめてくるジェイドを、リディは受け止める。
「あなたのことは……怖いとは思っていない」
「ならば俺に奪われることが怖いのか?」
「……奪われるって、それは、その……」
意味を深く考えてしまえば、顔にかっと熱が散ってしまう。彼の花嫁になるために奪われるということはつまり、そういうことなのだろう。ジェイドのことを好ましい、惹かれている、と感じたことが何度もある。でも、その感情が何なのかまだ整理がついていない。それなのに、彼についていっていいのだろうか。
ジェイドと視線だけが交わったままリディが押し黙ったそのとき。チリンと鈴の音が鳴った。その音色には聞き覚えがある。
つられたように振り返ると、そこには金と青の目をした、あの白い猫の姿があった。
「あっ!」
リディとジェイドが共にその姿を視認した瞬間、白い猫はややあってからあの白装束の男へと変身を遂げた。
「やあやあ、また会ったね」
「……あなた!」
「また会えたね、かな」
にこにこと白装束の男は笑顔を浮かべている。だが、その瞳の奥には底知れないものが浮かんでいるように見えた。
「規格外のやつがまた現れるとは。リディ、おまえが会ったのもこの男だろう」
「え、ええ。そうよ。一体……あなたは何者なの?」
ジェイドと共にリディが警戒する目を向けると、白装束の男は寂しそうに眉尻を下げた。
「やはり【抑止力】が働いているね。まぁ、二人がようやく認識し合ったここでの時間なら、小生の名前くらいは教えてあげても大丈夫そうかな。では、改めて自己紹介をするよ。小生の名はシメオン・アンバー。素敵な名だろう? 以後、どうか【世界】のことをよろしく頼むよ」
「俺は俺の目的のために行動を起こしている。【世界】とやらのために生かされているわけではないのだがな」
「いずれ君だって小生に感謝をする【時間】が来るさ」
「何?」
剣呑な眼差しを向けたジェイドを、のらりくらりとかわしながら、シメオンと名乗った白装束の男はリディの方へと微笑みかけてくる。
「ねえ、姫君」
リディは思わず後退し、ひらひらと踊るようにステップを踏むシメオンを警戒する。彼はそれでも構わずに話しかけてきた。
「どうやら【世界】に赦されたようだから、【干渉】しない程度に、ひとつだけ忠告くらいは許してもらおうかな」
「どんな忠告? 助言ならばありがたいのだけれど……」
「そこは……色々制約があってね。【忠告】ということにすれば【世界】は赦してくれるからね」
なるほど、とリディは頷いた。
「わかったわ。聞かせてちょうだい」
「賢い姫君はさすがだね。素敵だね。惚れてしまうよね。ジェイド君」
ちらり、とシメオンがジェイドを横目に見る。
「はぁ。もったいぶらずに、さっさと話を進めろ」
苛立ったようにジェイドが腕を組む。
困惑したリディはシメオンを急かした。
「あなたは【時間】を無駄にすべきではないわ。そうでしょう?」
「仰せの通り」
シメオンはそう言い添えてから表情を真剣なものに変えた。
「では、【忠告】をしよう。姫君の【選択】に不純なものがなければ、何も問題は起こりえない。君の心に従うべきだ」
「私の心に?」
「そうさ。どうかな? 君は一番目の花嫁候補となり、いずれユークレース王国の王太子殿下と結婚したいと思っているのかい?」
「私は――」