リディは思わず側にいるジェイドを見た。彼を見ていると、えもいわれぬ胸の内に溢れる熱のようなものを感じる。二コラに対するものとは別の感情が確実にそこには在った。ジェイドの存在を意識的に感じとると、鼓動がとくりと甘く波打つのだ。これが、彼に心を奪われている証拠だ、といわんばかりに。
リディは彼に心を奪われていることに気付いていながらわからないふりをしていたのかもしれなかった。惹かれてはいけないと、彼を拒むように意識していたつもりだった。
けれど――どうしてか、これ以上はジェイドと離れがたい。改めて自分が彼以外の他の誰かと結婚することを想像してみると、息ができなくなるような胸の塞がりを覚えてしまう。同じようにジェイドが別の女性と結婚をすることを想像したらもっと苦しくなってしまった。
(私は……きっと、彼に惹かれている)
でも、リディには自信がない。恋心はときに人を盲目にさせ、人の判断を狂わせると、本で読んだことがある。ジェイドだって面白半分で構っているだけにすぎないかもしれない。優しくしてくれるのだって裏があるかもしれない。本当に自分が判断していいのだろうか。
「リディ」
ジェイドに名を呼ばれて、リディはびくりと身を震わせた。
「今すぐに俺を信じろとは言わない。だが――」
ジェイドはそう言い、リディの手をそっと彼の方へと引き寄せた。普段の彼の豪胆さからは考えられないほどやさしい仕草だった。そうして指先が絡められると、心臓の奥にまで甘い痛みが届きそうになる。
「おまえが俺の花嫁になるというのなら、生涯ただひとりだけを大事にすると誓う。他の誰でもない……リディ、俺はおまえがほしい。この気持ちだけは本物だ」
リディは誠実な光を灯したジェイドのまっすぐな瞳を見つめた。彼のその言葉は乾いた大地を潤す雨のように、リディの胸に深く沁みていく。気付いたら目から涙が溢れていた。彼のあたたかな想いを込めた声音に触れ、氷のように冷えた不安な心が溶かされていくようだった。
「……どうして泣くんだ」
さすがのジェイドも狼狽えている。そんな彼の飾らない様子にリディの胸がよりいっそう熱くなる。うねるような甘い波が押し寄せてくるような気配がした。
わからない。どうしてこんな気持ちになるのか。初めての経験だから。
この感傷に名前をつけるとしたなら――正しくはなんて言えるのだろう?
【恋】とはっきり呼ぶにはまだ早いような気がして、それは躊躇われる。そもそも、二コラ以外の人と恋をしてはいけないはずだった気がして、軽率に口にしてはいけない気がする。
だから、精一杯考え抜いた上で、リディは素直に感じたことだけを口にする。
「わからないの。ただ、あなたにそんなふうに言われて、大切に紡いでくれる言葉からあなたの誠実な想いが伝わってくるみたいで……嬉しかったの」
「……っ」
ジェイドが息を呑んだような気配がした。顔を上げると、彼が近づいていたのに気付いて、リディもまた小さく息を呑む。目尻から零れる涙に触れるように、ジェイドがそこへキスをした。目を閉じる間もなく触れてきた唇は彼と知り合って今までで一番やさしかった。
「伝えたつもりだ。おまえへの想いは……これから先も、何度でも、伝えよう」
見つめ返すと、もっと愛しそうな眼差しを注ぐジェイドの姿が視界に飛び込んできて、リディは何も言葉にならなくなる。
(どうして――あなたとは、あの日に会ったのが初めてで、何度か時間が戻されるたびに接点はあったけれど……覚えている記憶はそれでもわずかのはずなのに)
恋はこんなにも急に降ってくるものなのだろうか。否、自分が落下しているのかもしれない。手を引っ張られて下へ下へと。それがたとえ光のある場所ではない、暗い闇の底だとしても、この人となら一緒に落ちていくことをいとわないという衝動さえ抱くほどに。
気付けば、ごく自然と約束を交わす恋人同士のように互いの唇が触れ合っていた。
目を瞑ったその傍ら、鈴の音が笑ったように響いて、リディとジェイドが離れたときには、シメオンと名乗った白装束姿の男のことも見えなくなっていた。
この選択が正解かはまだわからない。
でもきっと、今いる世界にはこれが最善なのだろう。リディは不思議とそんなふうに感じとっていた。