これは俗にいう兄弟喧嘩というものなのだろうか。レオの方にちらりと視線をやると護衛の彼は出しゃばるわけにはいかないらしく苦笑いを浮かべるだけだった。
その間にもツンとした表情でしれっとした言い訳をするスフェーンと、こめかみを引き攣らせつつ兄に意見をするジェイドの口論が続けられていく。
(この二人……似た者同士の頑固者の兄弟っ!)
しかし放っておいたら延々と続いてしまうだけだ。せっかく美味しかった茉莉花のお茶も花はすっかり広がって散り散りになっている。
見かねたリディはとうとう席から立ち上がり、兄弟の間に割って入った。
「あの、ジェイド、聞いて」
リディはそう言ってジェイドの袖を引っ張った。
「なんだ。今、俺は兄上と大事な話を――」
「あなたの大事な花嫁の話は聞いてくれない?」
必死に訴えかけると、珍しくジェイドが口ごもった。うっすら耳が赤くなっているような気がする。
「……っ」
「おやおや、おやおや」
袖で口元を覆いながらスフェーンが愉しげに目を細めていた。
「……なぜ、二回言った。兄上、そのようにからかうのはおやめください」
やはり兄の方に分があるようだ。だからこそ、リディはジェイドにちゃんと話を聞いてほしかった。
「はぁ。リディ、おまえをそっちのけにして悪かった。わかった。おまえの話を聞こう」
ジェイドが申し訳なさそうに言い、リディの頭をそっと撫でてくれた。
「私がスフェーン様の誘いについてきたの。だからスフェーン様は何も悪くないのよ。よそから来た私のことを気遣ってくれて、色々お話を聞かせてくれて嬉しかった。でも、あなたに心配をかけてしまったわ。ごめんなさい」
想いが伝わるように言葉を選んだつもりだ。もちろん、全部リディの本心だ。
「いや、その色々というのがだが、別に俺は……まあ、いい。紹介する手間が省けたわけだしな。兄上には……礼を言う」
ジェイドは完全に納得したわけではなさそうだが、どうやら矛を収める気になったようだ。スフェーンを気にすると、彼はリディの片目を瞑ってみせた。
「それから、レオ」
「は、はい」
「リディにはもう少しだけ兄上の話し相手になってもらおうと思う。気が済んだようなら、リディを俺の部屋まで連れてきてくれ」
半分不服そうではあるが、ジェイドなりの譲歩だったのかもしれない。
「承知しました」
レオはかしこまったように頭を垂れた。そこで場がおさまると思ったのだが。
「ああ、まったく……真面目な男はこれだから困りますね。私に信頼を置いていただけるのは大変ありがたいのですが、いいですよ。もう満足したのでお返しします。いずれまたお話する機会は訪れるでしょうから」
「お返しってな。リディは物じゃないんだぞ。まして、あなたの玩具でもない」
またジェイドが怒りだしてしまう。
「ジェイド……私は平気よ」
それ以上また喧嘩したら収集がつかなくなる。そう思ってリディはとっさに間に入った。
「ふふ。ムキになるくらい彼女のことが本当に大好きなんですねえ。昔から」
「昔から?」
「兄上」
「あ、また余計なことを言ってしまいましたね」
スフェーンは肩を竦めてみせる。絶対にわざとだということはリディにはわかった。
「リディ、行くぞ。このままここにいれば、延々と兄上の退屈しのぎに付き合わされるだけだ」
「は、はい」
「それから、レオ、しばらく自由をやる。適当に兄上の相手をしたら休憩しておけ」
「はーい」
レオが軽やかに返事をしかけたところジェイドに睨まれると彼は慌てて「御意」と言い直した。普段はきっとジェイドとレオはもう少し近しい存在なのかもしれない。けれど、スフェーンの前では主従を明らかにしておきたかったのだろう。彼なりのプライドでもあるかもしれない。
ジェイドの背中が妙に焦っているような気がする。今すぐにここから離れたくて仕方ないといった感じだ。
「ジェイド、あの……」
「俺の部屋についてから話す」
まったく、とジェイドはため息をついた。
(自信家なところのあるジェイドにもちゃんと弱みがあるのね)
なんだか普段のスフェーンとジェイドのやりとりを垣間見た感じがして、ふふっと笑い声が漏れてしまった。
「何がおかしいんだ」
思い当たるところがあるのか、ジェイドはきまり悪そうな顔をしたまま、こちらを振り向かずに歩いている。その足取りはいつもよりもぎこちなかった。
「ジェイドもお兄様には弱いのね」
「振り回されている、と言ってほしいものだな」
困ったように眉を下げたジェイドの口調からは、嫌悪ではなく兄への敬愛が含まれているように感じられて、リディは嬉しくなってしまった。
「あなたとスフェーン様のこと、もう少し聞かせてほしい。今度は、ジェイドの口から」
「別に、面白いことは何もないが……」
「なんでもいいのよ。どんなふうに喧嘩した話でも」
「おまえな……」
ジェイドは不服そうにまたため息をつくが、リディが楽しそうにしているのを見て毒気を抜かれてしまったらしい。彼の顔に笑みが戻りかけていた。
「それからね。あなたの剣を振るう姿、素敵だった。まるで、なんていうか黒い竜みたいな……」
「そういう構えがあるんだ。黒い竜……黒竜は、オニキス王国の守護神だからな。敬意を示して剣に祈りを込める、剣舞というものもある」
たしかにオニキス王国の赤い軍旗には黒い竜が描かれている。ユークレース王国は青地に白い獅子、そしてランベール王国は緑地に金色の蛇、それぞれがその国の守護神であることはリディも知っている。だが、これほどまでに象徴を表すような人はジェイド以外にいないような気さえしたのだ。