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34)

 久しぶりに二コラのことを思い浮かべると、胸が塞がるような気持ちになる。

だが、今はジェイドの話を聞くことを優先した。

「しばらく俺は二人の様子を気にしつつ庭園を散策していた。そのうち飽きた俺は大騒ぎになる前に大広間に戻ろうとしていたのだが、独りになったおまえが俺に近づいてきたんだ。そして、物珍しそうに瞳を輝かせて聞いてきた」

『――ねえ、あなたはどこから来たの? なんていうお名前? 私は……リリィよ』

「リリィ……?」

「リディ、と言ったんだろうが、風に紛れた声はそう聞こえた」

 舌足らずな子どもだったリディの声がそう届いたのか、それとも二人の間に吹き抜けた風の悪戯か。

 けれど、その話を聞いて納得したことがある。

「もしかして、ジェイドが懐かしい響き……って言っていたのはそのせい?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、私に会ったときにすぐにあの子だってわかったの? 十年も前なのに?」

 リディはそこで少し疑問に思う。

 幼少期から青年期へと移ろう十代の頃は、見目もだいぶ変わっていくものだろう。

「おまえの疑問はもっともだ。無論、十年前だけではない。俺はおまえには何度か、祝祭の日のたびに会っている」

「……え? 何度か?」

 思わず眉根を寄せた。リディにはそんな記憶が一切ない。

「ああ、間違いない。おまえの記憶には残念ながら残っていなかったようだが」

 寂しそうにジェイドが言う。

 そんな運命的な出逢いが会ったなら、リディは覚えていてもおかしくない。それなのに、そこの記憶だけがごっそりと抜けているらしい。必死に思い出そうとしても、まるで書架に並ぶ本をまとめて引き出したみたいに、空っぽだった。

「あなたに会ったら覚えていてもおかしくないわ。どうして私、忘れてしまっていたのかしら」

 二コラと過ごした記憶だけは覚えている。年に数度、父のヴァレス侯爵の公務があるとき、そして祝祭や式典の度に王宮に顔を出していたからだ。その幼い頃の幼なじみに向ける感情を、リディは初恋なのだと思い込んでいた。それ以外の出会いや記憶は出てこない。

(そんなことがあるの……?)

 なんだか居心地が悪くて落ち着かない。まるで意図的に【隠された】或いは【改変された】みたいに感じてしまう。

 まさか――と二コラを一瞬疑ってしまいそうになったが【時戻し】はあくまでも最終花嫁候補者の一人になったあとの舞踏会を起点にされている。それに、幼い王子だった二コラに今の王太子としての権力はなかったのだから、昔のことはまた別の話になりそうだ。

「そこまで悩むことじゃない。俺と過ごした【時間】がおまえにとってそこまで重要ではなかったからだろう」

 ジェイドがそんなふうに言い切ってしまうのが寂しい。

「そんなはずがないと思うの。あなたって印象に残りやすいもの」

「もし、おまえがしっかりと覚えていたら、もっと回りくどいことをせずに済んだのだが」

 ジェイドからいきなり熱っぽい視線を注がれ、思いがけず鼓動が跳ねた。彼のその言葉には重みがあるように感じられる。だが、彼の意図がわからずにリディは戸惑った。

「どういう意味?」

「……結局、長話になりそうだ」

 ジェイドはやれやれとため息をつく。

「ごめんなさい。でも、知りたいわ。教えて?」

 リディが食い下がると、ジェイドはやや言いづらそうに口を開いた。

「俺は、何度か会ううちにおまえのことが気に入っていた。だから、おまえを花嫁に……と望んでいたんだ。それで、ユークレース王国には友好な国交の見返りに、おまえとの婚姻を求めたことがある。今までそれはすべて突き返されたが――」

「そんな話は聞いたことがないわ」

「当然だろう。ヴァレス侯爵ひいてはおまえのところまで話が届いていない。それが一体何を意味するか、簡単な話だ。つまり王室内で【なかったこと】にして処理をされたということだろう」

「そんな――」

 リディは息を呑んだ。

 もしもその話がちゃんと通っていたとしたら、今頃リディはジェイドとはとっくに婚約或いは結婚していた可能性があったということだ。

【あるはずだった】未来が他人の思惑によって【なかったこと】にされた。そこで二人の【運命】は途絶えたのだ。そのことに改めてリディはショックを受ける。まさか【時戻し】とは別のところでもそんな手が加えられていたなんて思いもしなかった。

 暫し二人の間に重たい沈黙が流れた。

 取り戻せない過去を思うと、胸の奥にちりちりとした痛みが走る。もしも……過去を取り戻せたなら今頃二人は幸せだったのだろうか。そんなふうにありもしない想像をしてしまう。

「皮肉なものだな。結局、俺はおまえを正当な手段ではなかろうと自分の花嫁にするためにユークレース王国からオニキス王国へ攫ってきたのだから」

 ジェイドはそう自嘲気味に言い視線を落としたあと、リディの方に向き直った。

「もしあのとき正式に話が進んでいたら、とっくにおまえは俺の花嫁になっていたはずだった――おまえと出会ってから今日まで何度もそうやって惜しい気持ちになった。あるはずだった時間が失われたも同義。おまえと過ごす時間はもっとあったかもしれないのにな。可能性の話をしても仕方ないことだが」

「……ジェイド」

 慰めるために名前を呼んだのではなかった。でも、ジェイドはリディの気持ちを感じとったらしく、彼は柔らかに微笑んでリディの額へと唇を寄せた。神妙な顔をしてほしくなかったのかもしれない。



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