「ジェイド……」
「もしかすると、おまえを俺のものにしてもいいという啓示かもしれないな」
深刻にならないように彼は言ったのかもしれないけれど、リディは照れくさくなってしまった。
「もうっ。すぐにそういうふうにもっていくんだから」
ジェイドは僅かに微笑んでから、それでも真剣な表情でリディを見つめ続ける。
「もし、俺が傍を離れているときに何か気になることがあればすぐに報せろ。どんな些細なことでもいい」
「ええ。わかったわ」
「いい子だ」
ジェイドはそう言ってリディの額にキスを落とし、ドレスの紐を結んでくれた。しかしこんな時かもしれないけれど、リディとしては少しだけ不服だった。むっと唇に力を入れたことが伝わったらしい。
「なんだ? 今、不機嫌になる要素があったか?」
「あなたって私のことたまにお嬢さんとかいい子だとか、子ども扱いするでしょう? それって昔の思い出があるから?」
やや膨れ気味に尋ねると、ジェイドは意表を突かれた顔をしたあと、ぷっと笑った。
「子どもっぽいと思われていることを気にしているのか?」
「ほら。そうやってからかうでしょう?」
「おまえはすぐに誤解する」
ジェイドは呆れた顔をしたあとで、言いにくそうにさっと視線を逸らした。
「俺なりにおまえを可愛いと思っているからこその言葉なんだが……」
訥々とそう言ったあと、ジェイドがこちらに視線を戻す。彼の想いが透けたその瞳にあてられ、リディは墓穴を掘ったことを思い知る。
(ジェイドは……ずっと前から、私を好きでいてくれたのよね。それを意識すると、なんだか照れてしまうというか……)
「……っそ、そういうことなら」
ぼうっと顔が熱くなるのを感じて、リディは瞳を泳がせた。
「おまえが嫌なら、今後は控えておくか」
「嫌とは言っていないのよ」
「天邪鬼か」
ふっとジェイドが屈託なく笑う。いつも大人っぽく豪胆な彼の年相応の飾らない一面に、リディの胸がきゅんと音を立てた。
「呆れた?」
「いや。おまえのことはもうずっと可愛い。今ではもっと深いところで、愛しい……そう思ってる」
ジェイドが手を伸ばしてきて唇を軽く食む。リディが見つめ返すと、もう一度やさしく啄んだ。
うまく宥められた気がしないでもないけれど、ジェイドにキスをされるのは好きだ。彼の想いがまっすぐに伝わってくる。喧嘩をしたわけではないけれど、仲直りの意味をこめて、リディからも唇を密着させる。
煽ったつもりなんてないのに、ジェイドがさらに深くくちづけを求めてきた。やがて目を瞑って互いの唇の感触と息遣いをただ感じるままに身を委ねる。胸の鼓動が早鐘を打っていることだけが遠くに聞こえていた。
名残惜しむようにそっと唇を離してから、ジェイドが問いかけてきた。
「……おまえの聞きたいことは話したつもりだが、納得できたか?」
「私が知りたかった【最初】の話。その一つだけしか聞いていないつもりだったのに、すべては繋がっていたのね。教えてくれてありがとう。何よりジェイドの気持ちが知れてよかった。あなたが今まで私に伝えてくれた言葉に、より重みを感じたもの」
大切に、大事に、慈しんでくれた彼の愛情に、あらためて感じ入っていると、ジェイドは気恥ずかしそうに目を泳がせた。そんな一面もまた愛おしい。
「我ながら見た目に似合わない純愛だと思っている。兄上にからかわれるのも道理だな」
「ふふっ」
リディは微笑んでそれからジェイドの両手を握った。
「……っ何のつもりだ」
「私もあなたのことを大事にしたい。あなたの想いに応えたいと思ったの」
「おまえは情に流されやすい。義理堅いともいえるか。だからこそ、あまり昔話はしたくなかったんだ。情は時々人の判断を惑わせるからな」
それはたしかにそうかもしれない。情がわいてしまえば、無視できないものが芽生えてしまう。恋は盲目といわれるのも、それなのかもしれない。
でも、それは人間が心を持つ生き物だからこそ得られる感情だ。たとえ何かに呑まれそうになったとしても人はいつまでも人であるべきだし、そうでありたい。だからこそ、人の想いを無視できないし、大切な人のことならなおさら尊重したい……とリディは思うのだ。
それに――必要な時に彼がくれた言葉には、つよく心が動かされた。
『おまえが俺の花嫁になるというのなら、生涯ただひとりだけを大事にすると誓う。他の誰でもない……リディ、俺はおまえがほしい。この気持ちだけは本物だ』
そんなふうに言ってくれたからこそ、リディはジェイドの手をとったのだ。
『俺がほしいものはとっくに手に入った。この先はおまえがずっと側にいればそれでいい。他に多くは望まない』
そんなふうに言ってくれるジェイドだからこそ、リディは彼のことを――。
(あ、私、今何を考えていた? ジェイドのことを大切な人って……)
胸の奥にじんわりとしたものが広がってくる。
リディはもうそれがどういう感情なのかわかっていた。もう、それは確かな名前で呼んでもいいだろう。溢れる感情のままに、喉の奥から想いが零れていく。
「私、あなたが好き……」
そう、ジェイドのことが好き。彼に対して抱えている想い、これこそが【恋】というものなのだと。そう意識した途端、彼に好きだと、伝えずにいられなくなってしまった。
「……っだから、俺が今言ったことを聞いていたのか?」
ジェイドが狼狽している。
そんな彼のことをリディはそれでも見つめていた。
内側に芽生えた彼を意識する感情に戸惑い、歴史のない二人の間にどうして懐かしい気持ちになるのか困惑していたけれど、今ならわかる。
「好きよ。ジェイド……私、あなたに恋をしたみたい」
「俺の話を聞いていたか? さすがの俺も怒るべきか?」
そう言いながらジェイドは困惑したように眉を下げている。毒気を抜かれた獰猛な獣がどうしていいかわからずにいるみたいだ。ひとつひとつ見せてくれる彼の一面に、リディの心は奪われていく。
「あなたの花嫁になるわ。だから、恋の続きを教えてほしい」
「……っ」
『おまえが俺の花嫁になるというのなら、生涯ただひとりだけを大事にすると誓う。他の誰でもない……リディ、俺はおまえがほしい。この気持ちだけは本物だ』
「私も、あなたのことがほしい。この気持ちは本物よ。私がずっとほしかったものは手に入ったわ。あなたがずっと側にいてくれればいい。他に多くは望まない」
ジェイドが伝えてくれた言葉を、同じようにリディも返す。
彼に本気だとわかってもらえるように。
「リディ、もうわかった」
「ちゃんと伝わった?」
「ああ。おまえの気持ちが……たまらなく嬉しい」
ジェイドはその瞳の色を穏やかなものに変えて、それからリディを彼の方に引き寄せると、存在を確かめるように、ぎゅっと腕の中に抱きしめた。
リディは目を瞑って思う。
ああ、これが愛しさ……なのか、と。
そして……この【世界】を確かな【運命】にしたい、と。