離れの部屋に監禁されてどのくらいの日々が経過したのか、リディはある日、気分の悪さに嘔吐してしまった。
見かねた使用人が二コラに報告を入れると、ようやくリディの足枷と手錠は外された。リディに逃げ出す気力はもはや残っていない。この状態で自死をしようとはしないだろうと判断されたのかもしれなかった。
それからの二コラはリディに優しかった。君に死なれては困ると繰り返し、食堂の席を設け、一緒に食事をするようになった。彼もまたリディがいなくなることを恐れていたのだ。
リディが言葉を発しない代わりに、二コラが話しかけてきた。それは政治に関することや国の話ではない。庭の花がどれだけ咲いたとか、珍しい猫が入り込んできたとか、そういった雑談だ。
あの白い猫ではないかと、リディは一瞬反応したが、そうではなかったようだ。しかし見当違いだというのに二コラはリディが反応を示した変化がよい兆候だといわんばかりに嬉しそうに顔を輝かせた。それから、部屋に花を届けてくれたりリディが好きそうな本を渡してくれたりした。歪んだ愛情だけれど、二コラがリディを想っていることだけは確かなのだろう。皮肉にもそれを思い知ることになった。
そうして二コラの献身的な看護を受け、二週間ばかりが過ぎた頃、リディの体調はだんだんと回復していき、やがて言葉を取り戻した。二コラは感極まったように涙を流していた。
そのうちリディは王宮内を自由に動くことを許された。それも二コラの取り計らいだ。きっと彼は以前のようにリディが塞ぎ込んで壊れてしまうことを恐れたのかもしれない。
けれど。彼を蝕む闇はまだ消えていないようだ。まっさらに改心するような雰囲気はない。リディへの執着はずっと続いている。
『花嫁の件はまた後日改めよう。君を最高に美しく飾って、毎日大切に沢山可愛がると誓うよ』
『また私を閉じ込めるの?』
『まさか。そんなことはしないさ。けれど、君は僕の腕の中からは一生離れられない。誰のところにも行かせない。いいね? 万が一にもそんなことをしたら僕は今度こそ君の翅をもいでしまうかもしれないよ』
ぞっとした。二コラが献身的だったのは私欲を満たすため。リディを心配していた気持ちはあったかもしれないが、彼の中に巣食う魔物はいつ牙を向くかわからない危険な気配を漂わせている。
二コラはまだリディを花嫁にすることを諦めていない。彼の傀儡となり動く人形を愛するつもりでいる。戴冠式こそまだではあるが、世継ぎは二コラしかいない。花嫁候補者はすべて王宮から追い出されたらしい。リディにはもう後がなかった。
(これが……本来の【世界】の結末だったの?)
あれからも度々、時戻しのことが脳裏をよぎることがある。二コラがいうには外部から干渉ができない世界だと言っていたが、それでも奇跡を信じて、なんとか白装束姿のシメオンに会えないかと、白い猫を探して彼の気配を期待することもあったが、出会えていない。
万が一、彼に出会えて時戻しができたとして、次に時戻ししたあとのことをリディは想像した。思い通りに戻れるわけではないこと、そして死を選んだあとで自分が求める未来にたどり着けない可能性があること。それらを考えると、リディは自死を試そうとする気持ちにはなれなくなっていた。
ジェイドに逢いたい……死ぬほど逢いたいけれど、だからこそ、また目の前で彼が息絶えるところを見るのも、彼をまた喪うのを体験するのも怖かったのだ。
それに、記憶の中にいる思い出のジェイドはいつもリディの中であたたかく存在してくれている。それが今のリディの支えだったからだ。
今はただ支えがほしい。両の足でしっかりと大地を踏みしめて、前に進んでいける力がほしい。何か行動をするとしても、今の状態ではどうすることもできない。
その一方、【世界】について何か知れることはないかと、リディは密かに書斎や図書館の中で調べ物をするようになった。何かができるわけではなくても何もしないでいるよりは気が紛れてよかった。
そうしてリディがユークレース王国に連れ戻されてからまもなくひと月が経過しようとしていた、
そんなある日のこと。王宮の中が騒がしくなった。
ちょうど書斎から出たところだったリディは、宰相であるベリルの姿を発見し、彼に近づくことにした。
「ベリル様、いったい何があったんですか」
尋ねると、ベリルは重苦しいため息を吐いた。
「領地がレジスタント集団に占拠されたのですが、残されていた領民がいたというのに、彼はすべて焼き討ちをしたのですよ。その件で今、現場が混乱を極めています」
「そんな……止めることはできないのですか?」
「暴君からの仕打ちに恐れを抱き、誰も彼に逆らいません」
ベリルはすっかり憔悴しきった表情をしていた。そんな彼を見ていると、リディはいたたまれない気持ちになってしまう。
ベリルがユークレース王国およびオニキス王国との関係をよくするために画策していた人物であることはジェイドから話を聞いた上で見当がついていた。それに彼はリディの父であるヴァレス侯爵のことも色々と尽力してくれていた人物なのだ。