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39)

 秋の祝祭が過ぎる頃、ようやくヴァレス侯爵をオニキス王国へと迎え入れる算段がついたとジェイドからリディに報告があった。ユークレース王国から積み荷を運ぶ船に乗り込み、仲介地点を経由してオニキス王国に入る計画が立てられたらしい。

 オニキスとユークレースの間を流れる河川は多くある。検問地点の多い陸路を馬車で行くより、スムーズに移動できる河川の利点を最大限に生かすつもりだということだった。

(無事に到着できますように……)

 久方ぶりの父との再会をリディも待ち望んでいた。数ヶ月の間、父はどんな気持ちでいたことだろう。野心家の父とはいえ、娘に対する愛情はそれなりに向けていてくれた。娘を見捨てずにユークレースからオニキスへと出てくることを決意してくれたことはきっと権力への執着だけではないはずだ、とリディは信じていた。

【執着】――その言葉を久方ぶりに思い浮かべてから、胸の中にゆっくりとざわめきが広がっていくような気配がした。

(だめ。余計なことは考えないで)

 リディはかぶりを振った。

「なんだか急に寒くなってきましたよね。あっという間に冬の訪れがきてしまいそうですね」

「え、ええ。そうね」

 相変らず護衛にはレオがついてくれている。あれからリディの周りではとくに異変が起きていない。しかしこのところ城に閉じこもりがちだったので、晴天に恵まれた今日、気分転換も兼ねて散歩に出てきていたところだった。

 レオと会話をしながら外の庭園を散策していた途中、リディはジェイドの姿を見かけた。

 彼は険しい表情を浮かべていた。

(なんだか様子がおかしいみたい……?)

 ジェイドの側には騎士団のまとめ役でもある立派な甲冑を着た元帥の姿が見えた。

「――それは、妙だな」

「……警戒を強めるべきかもしれませんね」

 二人の会話がぼそぼそと風に乗って流れ込んでくる。何か予期せぬ問題が起こったのだろうか。

(まさか、道中、お父様の身に何かあった……?)

 それともユークレース王国内で何か動きがあったのだろうか。

 今すぐにジェイドに話を聞きたかったけれど、邪魔をするわけにはいかない。何か変わったことがあったら、すぐに知らせると彼は言ってくれた。それを待つほかにないだろう。

「リディ様、ここは冷えますから、中に入りましょう。あたたかいお茶を出してもらうよう侍女に声をかけましょうか」

 気を遣ってくれたらしいレオに声をかけられ、リディははっとして頷く。

「え、ええ。お願いするわ」

「承知しました」

 にこやかにレオが胸を張る。彼の存在に癒されて少しだけほっとした。

 王宮に戻る途中でスフェーンと出会い、彼のティールームで休憩の時間を過ごすことになった。ちょうどリディのことを気にかけてくれていたらしい。

 二人で円卓を囲み、茉莉花のお茶をいただく。少し離れたところにレオが待機する。

胃の中があたたかいもので満たされてから、リディはようやくほっとする。

「今日はいちだんと冷えますね。なんだかじっとしていると落ち着かなくて宮廷内を何周もしてしまいました」

「実は、私も落ち着かなくて外に出たけれど、風がとても冷たかったわ。まだ秋なのに冬が早々と来てしまったのかと思うくらい」

 リディは引き続き、茶器を両手で包むようにして暖をとる。

 一方、スフェーンは飲み干した茶器に視線落とし、神妙な顔つきで呟いた。

「本当にこれでよかったのでしょうか」

「え?」

「いえ。あなたとジェイドのことは兄として応援しているのです。けれど、時々思うのです。正式にユークレース王国との交流を経てから花嫁に迎え入れるべきだったのではないかと」

「……それは」

 逃げるようにジェイドの手を取ったことは事実。リディは故郷を振り返らなかった。二コラのことを裏切ったも同然だ。そればかりか、父親をこちらへ呼び寄せるということは、領地や領民たちをも見捨ててきたということ。

「あなたを責めるように言うつもりはなかったのですが、すみません」

「いえ」

 気まずい沈黙に一石を投じたのは護衛についていたレオだった。

「で、でも、そうせざるを得ない状況だったと……僕は聞いています。そのままリディ様がユークレースに残っていたら、それこそどうなっていたことかわかりませんよ」

「確かに、そうですね。ジェイドは……大事な人を護るためにこちらへ招いたのです。その点を否定するつもりはありませんよ。ただ、妙な胸騒ぎがして……」

 スフェーンが落ち着かない様子でため息をつく。

 リディだけではなく皆が憂いを帯びた顔をしている。その意味を知るのが、リディは怖いと思ってしまった。

 だから見過ごしてしまったのだ。思考を止め、追及することを止め、ただひたすらに保身という名の平穏に縋るように意識を縫い留めていた。

 ――どこかでチリンと警告の鈴の音が鳴る。

『いいかい? 恐れに立ち向かうためには【識る】ことが必要。学びは大事だ。愚鈍のままでいてはいけない。君の中にあるものと目を逸らさずに向き合ってほしい』

『よろしいかな。君もこれからはもっと【選択】を意識してほしい。これまで以上に思慮深く生きることだ。この世界は、思考の強さが重要視されるからね』

『では、【忠告】をしよう。姫君の【選択】に不純なものがなければ、何も問題は起こりえない。君の心に従うべきだ』

 ――忠告を受けていたはずだったのに。


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