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42)

 嘘みたいな話だった。けれど、見てきたかのように語る彼の様子をみれば、ただの妄言などではなく事実なのだろうと受け止めざるを得なかった。

 いつからだったか、王族そして身分の高い貴族は、万が一の毒殺を避けるために銀食器を使うようになった。その上でさらに毒味役を側に置いたり自ら少量の毒に身を慣らしたりすることもあるというが、それらは周到に用意された彼の策謀の前ではなんら役に立たないものだったのかもしれない。

 なぜなら、彼はもう闇を生み出した【世界】の支配者になっていたからだ。彼の【世界】は彼にとって不都合な邪魔者を消そうとしている。否、実際に消してきたのだ。

「――だというのに、あの男はしつこく嗅ぎつけてきた。あまつさえ、宰相を懐に抱き込んだんだ」

(そして、そのことを不審に思ったジェイドが忍び込んだ……話が繋がったわ)

「先代の頃から王室を掌握していた宰相を処刑するのには難がいった。邪魔者は悉く消すつもりだったというのに。なぜか、派閥が生まれてからはだんだんとうまくいかなくなっていった。君はそれがなぜだと思う?」

「……それは、きっと」

 二コラの資質に疑問を抱いた者が多くいた。そこから宰相を筆頭に派閥が生まれたことは事実。その一方、リディは白装束姿のシメオンと出会い【世界】の抑止力が働いていることを知った。二コラが理を歪ませたから、その抑止力によって時戻しされた。

 思い通りにいかなくなっていったことで二コラは狂っていき、それが世界の抑止力をさらに強め、分岐点や特異点を生み出すという悪循環に陥っていった。

【世界】を護るための存在である白装束の男が現れ、分岐点を回収し、特異点を排除しようとする世界によって断続的なループがはじまったことが判明。ループし続ける中で、二コラはとうとう自分の者にならないリディを殺すという思考に囚われた。世界は抑止力による分岐点の消去すらもままならず、特異点の排除も追い付かず、とうとう後戻りできないところまで狂ってしまった。それが、この世界のあらまし――。

 ジェイドを喪い、今、目の前に広がっているのは、二コラが築き上げた闇の世界。

(もう、取り返しのつかない、世界……になってしまってということ?)

「さあ、僕と一緒にくるんだ。君はこちらの世界に来るべきなんだ」

 二コラがさらなる闇の先へと誘う。

「いやっ! 行かないわ! あなたとなんて行かない!」

 揉み合いながら血にまみれていく。涙も絶望の叫びも乾いた心には届かない。悪魔に落ちた二コラにはただリディという存在に執着し続けるだけ。そこに未来などはるはずもない。

「君のいない世界なんて、僕にはありえないんだ。君が僕のものにならないというなら、君を殺してやる……!」

「きゃっ」

 絶望を覚悟したそのときだった。

 どんっと突き飛ばされるように抱きこまれる。その直後にざくりと鈍い音がした。

「……っ!」

 一瞬、何が起こったのか思考停止したリディは、自分を抱いていた存在に驚く。

「……無事、か……逃げ……」

「ジェイ、ド?」

「っく……」

 それ以上、声にならないままジェイドは震え、屈強な体躯を持つ彼が大量の血を吐きこぼし、膝をつく。

「はははは、くはは、あはははははは……! バカな男だ。愛しさゆえの正義か? 死んではなんの意味もないだろうに!」

「ジェイド! ジェイドっ! しっかりして!」

 リディはジェイドに声をかけ続ける。なんとかして彼の身体を抱き起そうとした。その間にも血は流れ続け、彼の瞳からはあっけなく生命の色が消えようとしていた。

「死にかけていた男がここで死に急ぐとはね。無駄だよ。致死量の毒が塗られた刃をまともにうけたら、いくら頑丈な男とはいえ、無事では済まないさ」

「いやっ! ジェイド! 死なないで! 生きて!」

 いくら叫んでももう無駄だということが、いやでも思い知らされる。体温はどんどん失われていく。そこに、ジェイドの意識はなく魂も消え、亡骸だけが残されてしまう。リディは縋るようにジェイドを抱きしめた。

(どうしてっ、こんなことになってしまったの……)

「ああ、愚かだ。ああ、愉快だ。リディが死んでいたら、時は戻されたかもしれなかっただろうに」

 そうだ。自分の愚鈍な思考が、この世界を引き起こした。

 時を戻さなければ。愚鈍な思考を持った自分を殺すのだ。

 ひょっとして今までリディが時戻しの前に現れた顔の見えない女は、自分自身の影だったのではないか、と今さらその考えに至る。

すると、うまく思い出せなかった女の言葉が、脳内に響き渡った。

『……自分を、省みることね」

『……あなた……なんかに、この【世界】……は、渡さないわ』

(そういうことだったんだわ。あれは……別の時間から来た私だったのね。私は、ずっと……正しいことに気付かないまま、選択を間違え続けていた。だから、間違えた選択の後に発生した私の存在は、特異点と認識されて殺された……だったら!)

 リディはとっさに剣へと手を伸ばした。

時戻しをするには自死を選ぶしかない、覚悟の上だった。

 だが、それは悪魔と化した男に阻止されてしまう。

「だめだよ、僕の花嫁。せっかく邪魔者がいなくなった世界を手に入れたんだ。僕は絶対に君を死なせないよ。ここに行き着いたのなら、もう手遅れだ。君だけが残されたなら、もう時を戻す必要はないのだから」

「……っ」

「ははははははは。僕は邪魔者をやっと消せた。さあ、リディ、君は僕と一緒にくるんだ。君は、僕の一番目の花嫁候補なのだからね」

「いや――!」

 闇が手を伸ばしていた。悪魔の顔をした二コラと共に闇に引きずり込まれる。

 そこは別の【世界】。リディが望んでいなかった別の場所。二コラが望んで作った場所。

 リディがたどり着きたかった【世界】は運命にはなりえなかった。

 ここは正しい【世界】にはなりえない。

 崩壊する運命。

 そしてまた時は戻される。

 永遠に終わりの来ない――破滅の終末(バッドエンド)の【世界】へと。




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