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43)

『だから小生は言ったんだよ。姫君……残念だよ』

『どうして。あのとき、あなたは……私が選択をしたときに、姿を消したの?』

『思い違いをしてはいけないよ。姫君はそれを是と受け取った。ただそれだけのこと。それが間違えていた。それだけのこと』

『そんなっ』

『小生は別に姫君の絶対なる味方というわけではないんだ。言っただろう?【世界】を護る存在なのだと。ああ、実に惜しい。本当に残念だったね』

 たしかにそうだった。彼は誘導するようなことを言っていたかもしれないが、誘導されたのはリディ自身だ。流されてはいけなかった。見極めなければならなかったのだ。

『破滅の終末へようこそ』

 白い猫の姿から白装束のシメオンへ。その姿はやがて黒い猫から血に濡れた二コラの姿へ、変貌を遂げていく。

「――っ!」

 目覚めたとき、リディは絶望した。

 激しい動機と共に意識が混濁していた。

 今のは夢だったのかそれとも、リディの意識に話しかけてきたのだろうか。それはリディにはもうわからない。

 しかし肌に触れる冷えた風と共に目の前に見えてくる景色が嫌でもリディを現実へと誘う。

「気付いたかい? よく眠っていたね」

 どこか恍惚とした気配があるものの抑揚のないその声にリディはぎくりとする。二コラが昏い目をしたままリディを見下ろしていた。

「ここは僕の部屋だ。君と僕だけの……楽園さ」

(ユークレース王国……の、二コラの部屋……)

 手が痺れてうまく動かせない。熱を出したあとみたいに身体が異様に重たい。足に枷がつけられ鎖のようなものに繋がれていた。

 ひょっとすると、二コラがまた毒の花をリディに使ったのか、薬で深く眠らされていたのかもしれない。からからに乾いた喉を押さえてリディは頭痛に呻く。

側にいる二コラからはまだ錆びた鉄の匂いがした。彼の指や爪にも血痕が残されている。それがあの凄惨な場面が夢ではないことを証明していた。

 未来を誓った大事な人が、目の前で殺された。

そして、リディはユークレース王国に連れ戻されたのだ。

 リディは絶望に胸を焼く。

(私のせい……私が、【選択】を間違えたから?)

 ジェイドに惹かれる気持ちが本物だったとしても、あのときジェイドの手をとってオニキス王国に逃げた【分岐点】の【選択】は間違いだったから消されてしまったのか。そして、そこで築いたリディとの関係を持つジェイドの存在は【特異点】と判断されて【排除】されてしまったということなのだろうか。そうしている間にも、正しい【世界】は崩壊してしまい、二コラが作り上げた破滅の【世界】に落とされたということなのだろうか。

『本当にこれでよかったのでしょうか』

 スフェーンの言葉が蘇る。

『いえ。あなたとジェイドのことは兄として応援しているのです。けれど、時々思うのです。正式にユークレース王国との交流を経てから花嫁に迎え入れるべきだったのではないかと』

(ごめんなさい……スフェーン様)

『で、でも、そうせざるを得ない状況だったと……僕は聞いています。そのままリディ様がユークレースに残っていたら、それこそどうなっていたことかわかりませんよ』

(ごめんなさい……レオ)

『確かに、そうですね。ジェイドは……大事な人を護るためにこちらへ招いたのです。その点を否定するつもりはありませんよ。ただ、妙な胸騒ぎがして……』

 胸騒ぎを無視してはいけなかったのに。

『リディ、愛している』

(ジェイド……っ)

 愛しい人の様々な表情、声、仕草、向けてくれた想い、それらが蘇ってきて、嗚咽が零れた。

 喪ってからでは遅かったのに。

(ごめんなさい。ジェイド……)

 また【選択】を間違えてしまった。

 正しかった初恋の記憶の時から、ずっとすれ違い続けるばかりで、彼の手をとって未来へと至る【時間】を掴めなかった。

 リディは二コラが帯刀していたその剣に視線をやった。ジェイドを取り戻すのなら、大事な人達を蘇らせるためには、やはりもう一度、リディの命と引き換えに、時を戻すしかない。そう思ったからだ。

 足枷はあるが、幸い、手が自由だ。二コラの隙をついて奪い、そして自害するほかにない。

 そう動こうとしたとき、二コラが醒めた目をこちらに向けてきた。

「――無駄だよ。ここは僕だけが築いた【世界】だ。君には、もう時戻しをする力はない。なぜなら、こうなった世界は、あの白い猫が干渉できない場所だからね」

「……っ!」

「どうして驚いた顔をするのかな。僕が説明していたことを忘れたわけじゃないだろう。僕の闇が魔物化したんだ。そしてこの【世界】ができた。本当ならこんなひどい有様にするつもりはなかった。君さえ僕の元にいてくれたなら……あの男のことだって殺すつもりはなかったさ」

「私の、せい、ね」

「そうだよ。リディ……君のせいだ。だから君は永遠に、僕の側で償わなければならない。この監獄のような【世界】で――」

「……っ」

「大丈夫だよ。リディ。僕が愛をあげる。たくさん注いであげるよ。君はきっといずれ……僕のことしか考えられなくなる。そういう【世界】に僕はする」

 絶望が絶望を塗り替えていく、そんな【世界】。もう何も取り戻すことはできないのだろうか。

 今のリディには現実から目を背けるように両手で顔を覆うことくらいしかできなかった。


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