異世界珍道中
騒めくような風が、一枚のポスターを掲示板から引き剥がす。
ポスターは風に飛ばされるがまま、倒れたセイの元まで辿り着いた。
「……んっ」
セイは覚束ない足取りで立ち上がり、足元のポスターを拾い上げる。
何とはなしにそれを懐にしまって、彼は周囲を見渡した。
「何だ、ここは……?」
身を守るには適さない服装に身を包んだ人々が灰色の道を闊歩し、至る所にクーロン城にも見劣りしない巨大建造物が立っている。
多くの国を旅してきたが、このような街並みを見たことは一度としてなかった。
「ソウルニエってわけじゃなさそうだな。なあ歌姫さん……歌姫さん?」
ミカがいないことに気付き、セイの顔は一気に青褪める。
ここが未知の土地であることも忘れ、彼は駆け出して叫んだ。
「歌姫さん! 何処だ、歌姫さん!! 歌姫さ……ッ!?」
道を曲がろうとした時、甲高い音がセイの足を止める。
驚いた彼に、鉄の
「危ねえだろ、気をつけろ!!」
セイは我に返り、通ろうとした道の先を呆然と眺める。
白黒の
「思い出したぜ、お師匠の言葉。『初めての土地に来たら、まずはそこのルールを知ることだ』……よし」
セイはその場に座り込み、ペンとメモ帳を取り出す。
そして人や物の動きから得られる情報を、逐一メモ帳に書き出した。
「人の通り道と鉄の箱の通り道を繋ぐ縞模様。それに縞模様の両端にある装置か。俺の仮説が正しければ、装置の表示と人の動きは連動している。装置が赤を示したら止まり、青の時は進むんだ」
装置が青を示し、人の波が動き始める。
後に続こうとしたその時、セイは何者かに声をかけられた。
「ねえ!」
「あっ?」
「さっき蹲ってたよね。具合悪いの?」
白衣の下にアロハシャツを着た小柄な女性が、心配そうにセイの顔を覗き込む。
セイは彼女を払い除けると、縞模様もとい横断歩道を歩き出した。
「ちょっと、幾ら何でも無愛想すぎない?」
「人を探してるんだ。悪いがあんたに構ってる暇はない」
「人探し? それなら協力できるかも!」
「何だって?」
「こっちこっち、着いてきて!」
白衣アロハの女性はセイの腕を引き、軽やかな足取りで駆けていく。
彼女に案内されるがまま、セイは大きな建物に足を踏み入れた。
「生物進化学研究所へようこそ! さて、早速人探しを始めようか」
「いや自己紹介がまだ……」
「したいのは人探しでしょ? 名前や特徴、知ってること全部教えて」
女性はコンピュータを起動し、机を指で叩きながら促す。
独特な波長の彼女に困惑しながらも、セイはミカの情報を伝えた。
「ん、オッケーありがとう。それじゃあ……」
女性は素早く情報を入力し、コンピュータの画面上にモンタージュを作り出す。
その出来栄えに、セイは目を見開いた。
「凄え、歌姫さんそっくりだ!」
「ふふん。後はこれを送信してっと」
「ちょっと待て、何だそれは」
女性が白衣のポケットから取り出した黒い板を見て、セイが尋ねる。
女性は不思議そうに答えた。
「スマホだよ。知らないの?」
「すまほ?」
「とにかく、これで仲間に協力を仰ぐから」
「仲間?」
「大丈夫。実力は確かだよ」
女性はスマートフォンを耳に当て、『仲間』と話し始める。
呆気に取られるばかりのセイの耳を、彼女の叫び声が突いた。
「本当に!?」
「どうした!」
「凄い偶然だよ! あなたの探してる子、シズちゃ……あたしの仲間と一緒にいるって!」
「本当かっ!!」
予想外の吉報が舞い込み、セイは歓喜の声を上げる。
そして数分後、ミカは黒いコートの男性と共に研究所を訪れた。
「歌姫さん!」
「セイ!」
セイとミカは互いの姿を見るなり、手を取り合って無事を喜び合う。
二人は黒コートと白衣アロハに向き直ると、深々と頭を下げた。
「助かったよ、本当にありがとう。えっと、名前は……」
「してなかったんですか? 自己紹介」
「ごめーん……」
黒コートに詰め寄られ、白衣アロハは申し訳なさそうに後頭部を掻く。
ウェーブがかった茶髪を揺らして、白衣アロハが名前を告げた。
「あたしは
「警視庁捜査一課、
次いで黒コートも名乗り、最後にセイとミカが続く。
自己紹介を済ませると、不意にセイの腹が鳴った。
「たはは、こりゃ失礼」
「気にしないで下さい。ちょうどお昼時ですし、何処かへ食べに行きましょうか」
「シズちゃんに賛成! さっ、行こ行こ!」
四人は研究所を後にし、昼食を求めて街に繰り出す。
見慣れない物ばかりで戸惑うセイとミカを、月岡たちは何処か懐かしそうに引率した。
「もうすぐ商店街を抜けます。道が広くなるので、あまり離れないで下さい」
「おう。あと、タメ口でいいぜ。シズミ」
「……分かった」
「リンカもありがとう、セイを助けてくれて」
「どういたしましてっ。あ、ここ!」
木原が立ち止まり、一軒の飲食店を指差す。
その店には、『麻婆堂』と書かれた赤い暖簾がかかっていた。
「……偶然ではなさそうだな」
「えっ?」
月岡が扉を開けると、燃えるような熱気が四人を出迎える。
月岡と木原の顔を見るなり、厨房にいた赤いエプロンの男が目を丸くした。
「いらっしゃい……って、君たちは!」
「お久しぶりです、店長さん」
「本当だよ! 一年ぶりじゃないかい? いやあ、元気そうでよかった」
彼と月岡たちは旧知の間柄のようで、交わす言葉の節々に気安さがある。
しかしその明るさは天性のものなのか、彼はセイとミカに対しても遠慮なく話しかけてきた。
「どうも。店長の
「は、はい」
「そんなに緊張しなくていいよ。テーブル席が四つ空いてるから、どうぞ座って」
土門に促され、四人はテーブル席に腰掛ける。
セイとミカは頷き合うと、向かいの席の月岡たちに恐る恐る切り出した。
「……お金のことだが、これで足りるか?」
セイは懐から巾着袋を取り出し、その中から全財産––と形容するには少々慎ましい金銭を机の上に出す。
お札や小銭をしげしげと眺めて、月岡と木原は顔を見合わせた。
「足りるというか、これは……」
「この国のお金じゃないね。海外の? ねえ、二人は何処から来たの?」
あまりにも答え辛い質問に、セイとミカは黙り込む。
月岡がふっと笑って言った。
「それは後ほど調べるとしよう。金は俺が払うから、遠慮なく食え」
「いいのか!?」
「ありがとう、絶対返すから」
「シズちゃん太っ腹〜!」
「木原さんは自分で払って下さい」
「えーっ!」
和気藹々とした雰囲気の中、四人は土門に注文を伝える。
やがてセイたちの席に、それぞれの料理が運ばれてきた。
「お待たせ。塩ラーメンネギ抜きと餃子のセットに半チャーハン、あと麻婆豆腐二人前ね」
「ありがとうございます!」
「おう!」
土門は月岡たちに背を向け、軽い足取りで厨房に戻る。
四人は両手を合わせると、思い思いに自分の料理を食べ始めた。
「美味っ! 何だこれ、凄まじく美味ぇ!」
「手が止まらない……!」
初めて食べる麻婆豆腐の味に、セイとミカは目を輝かせる。
大皿に盛られた麻婆豆腐を瞬く間に完食すると、ミカは神妙な表情になって口を開いた。
「二人ともよく聞いて。わたしたちが何処から来たのか、何者なのか、全部話すから」
「歌姫さん、ちょっと」
「本当のことを伝えなきゃ。例え信じて貰えないとしても」
「……分かった」
二人の真剣な表情に、月岡と木原は背筋を正す。
ミカは深く息を吸って、単刀直入に告げた。
「実はわたしたち、別の世界から来たの」
「別の世界?」
「ああ。話せば長くなるんだが……」
セイが後の言葉を引き取り、月岡たちに自分たちが元いた世界のことを語る。
巨神カムイとして災獣と戦っていたこと、その戦いの中で生じた時空の歪みに呑み込まれ、この世界に来たこと。
セイは話を終えると、少しおどけた調子で言った。
「ま、信じて貰えないかもしれないけどな」
「信じるさ」
「だよなあやっぱ……えっ!?」
セイとミカは同時に声を上げる。
月岡は冷静に二人を信用する根拠を述べた。
「君が見せてくれた通貨は、世界のどの国の物でもなかった。さっきの話も、数日前に生じた奇妙な歪みと関係していると考えれば辻褄が合う」
「あたしも信じるよ! 本当に異世界があったら面白いし! それに怪物がいたんだもん、異世界人だっているよ」
「この世界にも災獣がいるのか?」
セイの質問に、木原は首を横に振る。
彼女はチャーハンを食べながら言った。
「あたしたちが戦ってたのは『
「そして俺たちは特危獣を殲滅するための組織、『
「ってことは、あんたらにも凄い力があるのか? 変身したり、ロボに乗ったり、バケモン出したり!」
セイが身を乗り出す。
月岡は窓から覗く太陽に顔を向けると、遠い目をして答えた。
「いいや。力を持っていたのはあいつだ」
「あいつ?」
「『
昇は特危獣の力と人間の心を持ち、戦士アライブとして人間を守るために戦った。
そして全ての黒幕ソウギを倒し、特危獣の脅威から人間を守り抜いた。
「凄えんだな、アライブ先輩」
「どうして先輩なの?」
ミカが尋ねる。
セイは明るく答えた。
「俺らより先に世界救ってるからさ。それで、アライブ先輩は今どうしてるんだ?」
セイの質問に、月岡と木原は表情を曇らせる。
長い沈黙の末、木原が意を決して告げた。
「アライブは……ヒューちゃんは……消えたよ」
「消えた?」
「最後の戦いで、ヒューちゃんは人間に戻れなくなったの。そしてあたしたちの前から姿を消した」
いかに心が人間であれど、体が怪物ならば混乱は避けられない。
人ならざる力を持った者の重責を思い、セイたちの胸は締め付けられる。
でも、木原は明るい笑顔になって続けた。
「あたしたちは諦めてない。必ずヒューちゃんを人間に戻してみせるんだから!」
「その意気だぜ、リンカ!」
セイも元気を取り戻し、木原と硬い握手を交わす。
やがて四人は食事を終え、代金を払って麻婆堂を後にした。
「いやあ悪いな、すっかりご馳走になっちまって」
「気にするな。俺も久しぶりに楽しかった」
「あたしも楽しかったよ! ところで今夜の宿は……」
木原の言葉を遮るように、近くで爆発音が鳴り響く。
断続的に発生する爆発の轟音を、逃げ惑う人々の悲鳴を埋め尽くした。
「シュウの仕業か!」
セイとミカは現場に急行し、月岡と木原も後を追う。
しかしそこに立っていたのは、シュウでもマガツカムイでもなかった。
「なっ……!?」
月岡と木原が絶句し、目の前の異形の姿に釘付けになる。
二人のただならぬ様子から、セイは異形の正体に思い至った。
「……まさか、こいつが『そう』なのか?」
獅子、山羊、蛇の特徴を持つ人型の異形が、獰猛な唸り声を上げる。
右腕に装着された壊れかけの腕輪を見て、月岡たちの疑念は確信に変わった。
「間違いない。あれは……アライブだ」
––
日向昇を救え
「グァアアアッ!!」
荒れ狂う獣のような咆哮が街に轟く。
アライブの猛攻を掻い潜りながら、木原が叫んだ。
「何でっ、何でヒューちゃんが!」
「分かりません、とにかく今は市民を!」
「うん!」
月岡と木原は動揺を押し殺し、市民の避難誘導に当たる。
カムイに変身しようとしたセイの腕を、ミカが強く掴んだ。
「だめ! ここでカムイになったら、街が巻き添えになる!」
「考えがある。俺を信じろ!」
「っ!」
セイの言葉で、月岡はとある記憶を思い出す。
かつて昇も、月岡に同じようなことを言っていた。
『信じさせる!!』
当時の月岡と同じように、ミカはセイの背中を目に焼きつける。
セイは勾玉を握り締め、アライブの前に立ちはだかった。
「グルルォオ!!」
アライブの振るう怒涛の爪牙を、セイは最小限の動きで躱す。
アライブが動の極致ならば、セイはその名を体現するが如き静の極致。
やがて一瞬の隙を突き、電気を纏ったセイの拳がアライブの胴を打ち据えた。
続けて蹴りを繰り出し、唸る右脚がカムイのそれに変わる。
そしてセイは、等身大のままカムイへの変身を果たした。
「クァ!!」
カムイは素早く掌底を放ち、アライブを吹き飛ばす。
一気に反撃を仕掛けようとしたその時、カムイの体が不意によろめいた。
「セイっ!」
「チッ、やっぱり咄嗟の思いつきじゃ厳しいな……!」
巨大な力を無理に収束させたことにより、カムイの体を強烈な負荷が蝕む。
白煙の中から現れたアライブの無慈悲な一撃が、カムイの体を引き裂いた。
「ぐぁあああーッ!!」
変身解除に追い込まれたカムイ––セイの懐から、一枚のポスターが舞い落ちる。
ゆっくりと爪を振り上げたアライブは、その眼にポスターを映すなり動きを止めた。
「グッ、ウウ……!」
己の中の破壊衝動に抗うかのように、アライブは頭を抱えて蹲る。
彼の身を案じるセイたちの耳に、シュウの冷酷な声が響いた。
「やはりそう簡単に倒せる相手ではなかったか」
「シュウ!!」
セイとミカは現れたシュウを睨み、彼の様子を観察する。
事情を知らない月岡と木原も、セイたちに加勢した。
「お前が日向昇に何かしたのか」
「そうだ。巨神と歌姫が貴様らと出会ったように俺はアライブと邂逅した。そして手駒とした」
シュウは事もなげにそう言い、月岡と木原の敵愾心を煽る。
彼は冷たい口調のまま、苦しむアライブに命じた。
「撤退するぞ」
「ウウ……!」
アライブは月岡たちを一瞥すると、シュウに従って街を後にする。
静かになった街で、セイが月岡たちに頭を下げた。
「俺たちの問題に、あんたらの仲間を巻き込んじまった。本当にすまない」
「気にするな。お前たちのせいじゃない」
月岡はセイたちを励まし、落ちたポスターを拾い上げる。
その内容を確認して、彼は表情を綻ばせた。
「これを見ろ」
月岡は仲間たちにポスターを見せる。
そこには『
「あっ、水野ちゃんだ!」
「また知らない人が出てきたぞ」
「セイ」
セイが小声で呟き、ミカがそれを窘める。
月岡はポスターを手にしたまま、水野について説明した。
「水野小町。郊外の美術大学に通っていて、日向昇とは深い関係にある。以前コンクールに出した作品がある有名画家の目に留まったことで、個展開催が決まったそうだ」
「……ノボルはその子を見て攻撃の手を止めた。ということは」
「ああ。日向昇の心は生きている」
ミカの言葉に頷き、月岡は力強く告げる。
それはつまり、昇を奪還できるということを意味していた。
「でもどうすんだ? 生身で挑むのは自殺行為だし、カムイになっても勝てる保証はないぞ」
「……一つだけ方法がある」
木原が神妙に口を開く。
彼女に案内され、セイたちは再び麻婆堂の暖簾を潜った。
月岡と木原は慣れた手つきで家具を動かし、隠し扉を出現させる。
そして扉を開けると、薄暗い螺旋階段が四人を出迎えた。
「何だこの階段は?」
「麻婆堂の地下は、かつて特撃班の本部だったんだ」
月岡の説明を受けながら、セイたちは螺旋階段を下っていく。
やがてかつての特撃班本部に辿り着くと、木原が感嘆の声を上げた。
「懐かしいなぁ……!」
流石に私物は片付けられているものの、全体的なレイアウトは当時と何ら変わらない。
定期的に手入れもされているのか、埃っぽいということもなかった。
「万が一の場合に備えて残しとくよう頼んでたんだけど、本当にその万が一が来るとはね」
木原は大型のメインコンピュータを起動し、USBメモリを差し込む。
そこに記録されていたのは、流線型のシルエットを持つ蒼と黒のバイクのデータだった。
「特危獣との戦いが長引いた時に備えて開発しておいたの。ま、実戦投入には間に合わなかったんだけどね」
陽の目を見ることなく消える筈だった研究に与えられた予想外の出番に、木原の心が弾む。
木原は勢い余って、この名もなき機体に命名した。
「一度は凍結され、失われたシステムだから……『フロストスピーダー』だ!」
「フロストスピーダー……!」
「このマシンは、アライブの弱点を補う戦闘支援機。裏を返せば、アライブへの対抗策にもなる」
「凄え! 凄えぜリンカ!」
「これならいける!」
フロストという希望の光に照らされ、四人の士気は一気に高まる。
仲間たちを代表して、月岡が号令をかけた。
「日向昇を……救うぞ!!」
「おう!!!」
四人は円陣を組み、共闘の誓いを立てる。
数奇な出会いを果たした英雄たちの戦いが、ここに始まった。